第11話 職人の残像 前編

 提灯を掲げた盆之胡瓜を、墓前の男はあぐらをかいたまま見上げた。

 年齢は六十前後か、老人と呼ぶにはいささか若い。体によく馴染んだグレーのポロシャツに下は作業着のズボン。銀縁の眼鏡は貫禄に一役買っている。肉付きの良い体は体育教師を思わせた。

「私になにかご用ですか?」

 低く響く声で言った。睨むまではいかずとも気難しさを感じさせるかたくなな表情だった。


「失礼ですが、あなたはなぜここにいるのかご存知ですか?」

 生きた相手なら的外れな質問だが、この男は提灯で照らしても影ができなかった。


「死んだ自覚があるかってことですか?それぐらいわかっていますよ。じゃなかったらこんなところに居座るわけありません」

 男はシワを寄せた眉間を押すように、右手の中指で眼鏡の位置を直した。


「あなたは何か心残りを抱えているようですが」


 その言葉に苛立ったように、親指の爪で眉の上をかいた。

「きれいさっぱり死ねる人間がいるもんですか?」


「あなたが天国へ行けずにいるのは、その心残りが人一倍強いせいです」

 言った盆之を男はしばらく見上げたままでいた。やがて裾についた砂を払って立ち上がった。

「おっしゃる通り、私は大きな悔いを残して死にました」そう言いながらズボンのポケットを探った。「私は花火師でした。いまはもう元花火師ですが」生前の習慣で名刺を探したものの見当たらなかったようだ。

「うちは曽祖父の代からの花火屋で、私は高校を卒業して花火の世界に入り、親父の後を継いで社長を務めていました。世襲というと聞こえは良くないですが、火薬の調合など花火の技術はいまも門外不出のことが多く、世襲が多いんですよ」


 さっきまでの不機嫌な表情は消え、流暢な口ぶりで言った。


「こういうと考えの古い、凝り固まった世界だと思われるかもしれませんが、そればかりではありません。いまは花火の打ち上げはコンピューター制御で、パソコンでプログラミングして100分の1秒単位で打ち上げを管理しています。うちの会社も同様です。花火大会に行かれたことはありますか?」


 首を振った盆之に男が言った。

「いまや花火大会は花火を打ち上げるだけではなく、音楽と融合したり演出を凝ったりと総合芸術、一大エンターテイメントに進化しています。歴史や伝統は大切でも、それだけでは感動を届けることはできません。歩みを止めれば廃れてしまう。花火も例外ではありません」


 花火職人としての矜持か、確たる自信が言葉の節々ににじみ出ていた。


「花火そのものの作り方は昔からあまり変わっていません。いまも一つ一つ地道な手作業で作り上げます。花火は正直で、手間暇をかけてつくりあげれば美しい花火が打ち上がります。火薬を扱い、危険と隣り合わせですので雑にはできません。うちは花火屋としては大きい方ではありませんが、毎年いくつもの花火大会を手掛けています。『川野辺かわのべ桔梗ききょうまつり花火大会』をご存知ですか」


 初めて聞く名前だった。


「毎年川野辺市で開かれるお祭りの花火大会です。川野辺は小さな市ですし、全国的に有名な大会ではありませんが、毎年大勢のお客さんが足を運んでくれます。桔梗まつりにはうちの会社は第1回から参加していて、川野辺にとっても会社にとっても毎年の一大イベントです。


 そのフィナーレを飾るのが『川野辺桔梗一花繚乱』です。最後に桔梗色の花火を盛大に打ち上げるんですよ。大会を締め括る名物で、川野辺市民はみんなこれを楽しみにしてくれます。桔梗は川野辺の市の花に指定され、市章にもなっています。川野辺の名物で象徴でもあるんです。大会のフィナーレに夜空一面に、青ではない、紫とも違う、川野辺の桔梗が満開に咲く。その姿が地元の新聞に『川野辺桔梗一花繚乱』と紹介され、そう呼ばれるようになりました。


 50年前の第1回大会の時に、川野辺の桔梗をアピールしてほしい、桔梗色の花火を打ち上げてほしいとうちの2代目、私の祖父が市から依頼されました。青系の色は花火の中でも難しく、当時はいま以上だったとおもいますが、必死で研究し、グラム単位で火薬を調合し、試作を繰り返して川野辺の桔梗の色を完成させた。夜空に咲いた川野辺の桔梗に、大歓声が沸き起こったそうです。桔梗まつりには3社の花火屋が参加してるんですが、フィナーレはずっとうちが任されてきました」


 夜のキャンバスが桔梗色で塗りつぶされる様はさぞかし壮観だろう。話を聞くだけで胸が躍った。


「ですが先ほど言ったように火薬の調合は秘伝のものです。中でも桔梗色の調合は秘伝中の秘伝で、うちの会社でも跡継ぎにしか教えてはならないと祖父が言い残しました。祖父が苦心して生み出した桔梗花火はうちの会社の象徴です。私も親父に認められてようやく教えてもらえました」


 秘伝の技術とは、いかにも職人らしいエピソードだ。


「でしたが、私はそれを伝えることなく死にました」


「次の大会は桔梗花火を打ち上げられない、ということですね」

 天国へ行けずにいる後悔の中身は、話の流れから盆之にも想像がついていた。


「最後が締め括れません。楽しみにしている人が大勢いるっていうのに。記念の50回大会のフィナーレを桔梗花火で飾れない」

 男は空を見上げた。真っ暗な空に桔梗を咲かせているのだろう。 


「調合方法を知っている方は他にいないんですか?」


「あれだけは跡継ぎだけに教える秘伝中の秘伝ですから」


「秘伝書のようなものもないんですか?」


「他の誰にも教えてはいけない、書き残してもいけない口伝です。祖父がそう決めました。私は親父に何度も繰り返し叩き込まれましたから、忘れることはありません」


「それがここで途切れてしまう」


「だから弱ってるんです」

 力なく吐いた息が夜闇に霧散した。


「悔いを晴らして天国へ行くお手伝いをするのが僕の役目です」

 盆之が言った。


「何をしてくれるんですか?」

 男の眉間にシワが寄った。


「誰かに贈り物をして悔いを晴らせるのなら、あなたに代わって僕がプレゼントを贈ります」


「言ったように、これはメモにしたり、形にのこしたりしてはいけない掟になっています」


「どうにかして形にすることはできませんか?」


「私が直接教えることはできないのですか?」


「あなたは亡くなっているのでそれはできません」


 男は顔を覆うように手のひらで眼鏡を押さえた。


「秘伝というぐらいだから簡単なものではないんでしょうね」


「それはあなたにも教えることはできません」


 夜の墓地にしばしの沈黙が流れた。


「日本全国で開かれるイベントで、とりわけ多くの観客を集めるのが花火大会です。一晩で何十万人と集客するイベントは他にはそうはありません。たくさんの人が花火を楽しみにしている。我々はその期待に答えるために日夜精進しています。

 夜空に開く花火は美しい。長い時間をかけて準備したものがほんの一瞬で散ってしまいます。観客は我々の苦労を知りませんがそれで構いません。事故なく安全に、子供からお年寄りまで花火を楽しんで、感動してくれれば、それがなによりです。主役は花火ですから」

 自分に言い聞かせるように言った。


「世襲と仰いましたが、跡を継ぐ方はいたんですか?」


「私には息子がいます。五代目を継ぐ予定でしたが、正式に指名せず、引き継ぎもしていません。こんなに早く死ぬとは思っていませんでしたから。あいつはまだ、跡を継ぐレベルに達していませんでしたし」


「まだ一流の花火職人ではなかったということですか?」

 この男の息子なら、それなりの年齢のはずだが。


「息子は三十半ばですが、この世界に入るのが遅かったものですから。息子は私に似ず勉強ができて、いい大学に進学しました。花火に学歴は関係ありませんが、せっかく勉強できるならもったいないですし、大学を出てから跡を継いでくれればいいと。ですが息子は大学を卒業すると、別の会社に就職しました。有名な証券会社です。

 息子は、外の世界を見てみたいと言いました。そういうのも長い目でみれば花火の役に立つかもしれない、視野が広がるかもしれないと。花火の発展のためには社会勉強も必要と考え認めました。

 息子は三十過ぎてからこの世界に入りました。まだ3年ほどで『玉貼り3年、星かけ5年』といわれるこの世界では修業の身です」


 短いとは思えない3年も、職人の世界ではたった3年なのかもしれない。


「息子は賢いし一生懸命頑張ってはいます。プログラミングは覚えましたが、花火師としてはまだまだです。花火作りは手作業ですから勘や感覚が重要で、それには経験が必要です。秘伝を教えるには早かった」


 まだまだ教えたいことが山ほどあったのに、教えずに死んでしまった。悔いは秘伝の花火だけではないのかもしれない。

「会社の方も大変なんじゃないですか?」


「うちには他にも優秀な職人がいます。親父の代からいる私と同い年の村山さんは花火作りの名人で、寡黙な性格ですが、一人黙々と花火作りに没頭します。そろそろ引退とも話していましたが、少し延びてしまうかもしれません。

 入社して20年以上になる望月さんは、高校時代に火薬類取扱保安責任者を取得した根っからの花火好きで、研究熱心で、四十歳以下のコンテストで優勝したこともあります。最近は女性の花火師も増えてきましたが、その中でもピカ一といっていい腕前で、リーダーシップもあって面倒見もいい。

 戸田君もまだ二十代ですが、プログラミングの名人で、私のイメージを形にしてくれる頼もしい期待の若手です。花火を愛する社員がいるので会社のことは心配していません」


 男の言葉には会社への愛情が溢れていた。


「やはり問題は、どうやって秘伝を伝えるか、ですか」


「毎年大勢のお客さんが桔梗花火を楽しみにしています。どうにかして直接教えることはできませんか」


「それはできません。なにか形のあるものにして贈るしか。いい方法が見つかればいいんですが」


「桔梗花火は、私たちとお客さんの約束のようなものです。これだけは裏切れませんが、このままでは桔梗花火の火が消えてしまう」


 男は脱力して、しゃがみ込んだ。威勢よく話していたのとは別人のように項垂れる姿に、盆之にはかける言葉が見当たらなかった。


 不意に男は空を見上げた。ヒューと天に昇る音が聞こえ、ドンッと鳴って頭上に大輪の桔梗が開いた。夜空に次々と咲き乱れる桔梗の花火が男の目には映っていた。視線を落とすと、観客たちの恍惚とした表情が照らし出されていた。『川野辺桔梗一花繚乱』が盆之の目にも見えるようだった。


「私は間違っていたのかもしれません」

 男はすくっと立ち上がった。

「贈り物が決まりました」

 男が盆之と約束を交わして提灯の火を吹き消すと、辺りは真っ暗な闇に包まれた。

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