第12話 職人の残像 後編

 花火の製造、打ち上げを手掛ける角田煙火工業株式会社の4代目社長、角田卓己かくたたくみが急性心不全のため死去した。重労働につきものの腰痛を抱え、花火大会本番の夏場には疲労に加えてストレスからくる胃痛に悩まされたものの、数日前までアグレッシブに現場を動き回り、予兆を気づかせることがない中での、58歳の若さでの急死だった。


 この年は例年以上の猛暑で、過労がたたった、シーズンが終わり張り詰めていた緊張が一度に緩んだせいなどの見方もあったが、花火大会シーズンの終わりを待っての死去は花火を連想させ、花火師の矜持を見せられたようでもあった。



 他の花火工場がそうであるように、角田煙火工業も山の中に所在している。大量の火薬を扱う花火の製造は、人家から離れた場所でのみ許可されている。

 花火の命である"星"と呼ばれる火薬の塊を作る"星掛け"には天日干しが重要で、乾燥した冬には翌年に向けた花火の製造が行われる。冬場は少ないながらも花火大会があるほか企画の打ち合わせ、事務作業など花火大会シーズンが終わっても会社には仕事が山積していた。


 父の葬儀を終えた角田寿広としひろは、悲しみも癒えぬままいくつもの課題に直面していた。花火会社に生まれたとはいえ入社3年と一番の新人で、花火大会を3シーズンしか経験していない。花火職人としても未熟な自分が、どうやって会社を運営すればいいのか。跡継ぎの非力から衰退を招いた企業は数知れず、角田煙火工業の火を自分で途絶えさせるわけにはいかない。これまで気を使ってくれていた社員は父親の後ろ楯がなくなってもこれまで通り接してくれるのか。自分が会社を引っ張っていけだろうか。不安ばかりが募った。



 事務所の壁に亡くなった父、卓己の写真が飾られた。法被姿で引き締めた顔を向けている。数年前にタウン誌の取材を受けた際に撮ったもので、記念にと拡大した写真を譲ってくれた。額縁におさまる父の顔は花火と向き合う時に見せる、父親ではなく花火師のそれだった。

 左隣には三代目の祖父、その隣は二代目の曾祖父、一番左の角田煙火工業創業者・角田敏夫の写真は教科書で見た歴史上の人物のような威厳をたたえていた。高祖父と曾祖父は寿広が生まれる前に死去していたが、この写真に向かう度に自分の体に花火師の血が流れていることを自覚した。

 それぞれ襟元に代目と『角田煙火工業』と印字された法被をまとっている。右に遡るほど写真は鮮明になり、四代目の父は唯一のカラー写真で、角田煙火の発展を表しているようだった。


 歴代社長の写真が並ぶ隣の壁には、壁面を覆うほどの巨大なパネルが掲示されていた。『第40回野辺山桔梗まつり花火大会』のタイトルが添えられたのは、夜空一面に咲き誇る桔梗色の花火。写真でも壮観だが、現場で見ると天空に桔梗畑が出現ように黒のキャンバスを鮮やかに染め上げ、毎年多くの観客を魅了した。


『野辺山桔梗まつり花火大会』は角田煙火工業の一大行事で、『野辺山桔梗一花繚乱』はその象徴だったが、跡継ぎのみに伝える掟のこの花火の調合を父の卓己は教えることなく死去した。

 次回50回の記念大会を迎える『野辺山桔梗まつり花火大会』の第1回から欠かすことなくフィナーレを飾ってきた『野辺山桔梗一花繚乱』は風前の灯火で、パネルの前で寿広は頭を抱えた。


 ノックの音に振り返ると、事務所を訪れたのは望月彩香もちづきあやかだった。入社して22年になる望月は、コンテストで優勝経験のある花火師としてたしかな腕を持つだけでなく、明るく裏表のない性格で他の社員からも信頼の厚く、父・卓己も一際目をかけていた。


「どうしました?」

 望月の姿勢が受け身に見え、呼んだ覚えのない寿広は訪問の意図をつかみかねた。


「これがロッカーに入っていたんですが」

 望月らしくなく、戸惑いがちに言った。手にしているのはクリーニングからあがってきたようにビニール袋に入った法被だった。濃紺の地に白いラインが入り、背中には丸で囲まれた角の字が書かれている。花火大会の時に社員がまとうユニフォームであり、鎧兜のようでもあった。丸に角の字は皮肉めいているがユーモラスでもあり、寿広はこのデザインが気に入っていた。


「法被ですか」

 それがどうしたのか、困惑する寿広に、望月はビニール袋から出して広げて見せた。寿広の目に飛び込んできたのは襟元に白で抜かれた『五代目 角田煙火工業』の文字だった。

 社員に配布されている揃いの法被も、代目が書かれているのは社長だけで、父・卓己の法被には四代目と印字されていた。


「ロッカーに入っていたんですが」

 望月は繰り返した。あなたが入れたのですか?という問いを含んで聞こえたが、施錠されているロッカーを無断で開けるわけがない。しかし誰の仕業だろう。いたずらとも思えなかった。


「僕は入れていませんが」と言ってからはっと気づき「ちょっといいですか」と寿広は法被を借りて顔の前に広げた。背中には丸に角が、襟には『五代目 角田煙火工業』の文字、濃紺は染めたてのように瑞々しい。真新しく糊の効いた法被は着るうちに体に馴染んでいく。ロッカーに保管している寿広の法被には『角田煙火工業』とだけ印字されていて、初めて見る『五代目』の表記はどこか懐かしくて眩しく、そこを流れる血が手のひらから伝わってくるようだった。


 まじまじと眺めていた寿広は、やがて納得したように法被を下ろし、折り目にそって丁寧に畳んで望月に返して言った。

「これはきっと親父の遺言です。親父は跡継ぎに望月さんを指名したんです」

 息を呑んだ望月に寿広は続けた。

「僕は親父の跡を継ぐ気でいました。疑いもしませんでしたが、それは間違いでした。跡を継ぐにはまだまだ未熟で、五代目に相応しいのは僕ではなく望月さんです」


「私なんて」と首を振ったのは、戸惑いより遠慮に思われた。


「あなたは花火への想いが誰よりも強く、研究熱心です。結果も残していますし、みんなからの慕われ信頼されています。僕が言うのもおこがましいですが、実力、経験、人柄すべて兼ね備えている」


「そんな、とんでもありません」

 首を振って下を向いた。


「無理強いする気はありません。嫌なら断っていただいてかまわない。ですがあたなより相応しい人は見当たりません」


「私は桔梗花火の調合を知りません」

 望月は角田煙火への愛情が深いゆえ、その象徴である桔梗花火の重みも知っていた。


「この法被で親父が伝えたかったことは跡継ぎの指名にとどまらない。親父は常々話していました。歴史や伝統は大切だが、歩みを止めれば廃れてしまう。挑戦を止めてはいけないと。

 桔梗花火も完成から50年たちました。その魅力があせているとは思いませんし、いまも毎年たくさんのお客さんが喜んでくれます。引き継ぐことは大切かもしれませんが、その術はなくなりました。であればまた新しい桔梗花火を作るしかない。途切れさせてはいけないのは秘伝の方法ではなく桔梗花火です。懸命に花火と向き合ってきたあなたなら新しい桔梗を咲かせることができるはずです。

 新しい桔梗花火をつくって欲しい。この法被にはそのメッセージも込められていると思うんです。親父はそれを望月さんに託した」


「跡継ぎは寿広さんだと、私だけじゃなく社員みんなそう思っていました。まだ入社されて間がなくても一生懸命花火と向き合っていたのをみんな知っています。不満に思う人はいないはずです。受け継がれてきた角田煙火工業を寿広さんが継がなくていいんですか?」


「その気持ちがないと言えば嘘になります。ですが大事なのは角田煙火の未来です。いま僕が跡を継ぐことが発展に繋がるとは思えません。いま継ぐべきは望月さんです。僕もこの先も角田煙火工業で精進し、一人前になれるように努力します。もし望月さんが相応しいと思ったらその時に僕を後継者に指名してください。そうじゃなければ僕じゃなくて構いません。歴史や伝統は大切ですが、そのものが目的になってはいけない。いま角田煙火を継ぐべきは望月さんしかいません」


「私でいいんですか」


「あなたより相応しい人はほかにいません。あたなは花火を愛し、花火に愛されている。ほかの社員の方も異論はないはずです。僕より遥かに適任です。そして望月さんが新しい桔梗花火を作ってください。ずっと桔梗花火を目の当たりにしてきたあなたなら素晴らしいものができるはずです」


 寿広は壁にかかった写真を見上げた。


「いつか父の隣にあなたが並ぶ。それが角田煙火の未来です。あそこには僕よりあなたが相応しい。

 羽織ってみてください」


 袖を通した『五代目 角田煙火工業』の法被は計ったように望月にぴったりだった。


「これは望月さんのものです。親父もきっと天国で喜んでくれています。天国の親父に届くような桔梗花火を打ち上げてください」


 望月は、まるで血が通っていくように法被が温もりを帯びていくのを感じた。

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