第5話 少女の後悔 前編

 夜の墓地に乾いた打音が木霊していた。トン、トン、トンと繰り返される単調なリズムは季節外れの風鈴のような哀愁を帯びていた。盆之胡瓜は灯した提灯を手に、耳を澄ましてその方へ歩いた。


 提灯が照らし出したのは墓石に座る制服姿の少女だった。ブレザーの前のボタンを外してブラウスの首もとを緩めている。ローファーの踵でキツツキのように墓石を軽打していた。罰当たりに見えても、己の墓ならお咎めなしか。すでにこの世の者ではなかったが。


 成仏できずにいるのは大きな悔いを抱えたせいだが、若ければその想いもひとしおだろう。


 少女は盆之に気づき、揺らしていた足を止めた。

「わたしのこと見えてるの?」


「そのようですね」答えた盆之を少女は上目遣いにした。「ジロジロ見ないでよ。死んでる人が珍しい?若い子が珍しいのか」


「若い人は多くありません」


「でしょうね」

 少女は長く伸びた髪の毛を指先で手繰るようにしてもてあそんだ。

「わたしのことなんてほっといてどっか行ってよ」


 その場に立ち尽くす盆之に「マジでなんなの?」と語気を荒げた。見世物にされた気分がした。


「あなたは大きな後悔を抱えているようですね」


 こうして成仏できずにいるのだから盆之の目には明らかだったが、図星をつかれて少女は息を飲んだ。


「悔いを抱えた人に寄り添い、天国へ行くお手伝いをするのが私の役目です」


「どういうこと?」

 墓石から飛び降り、スカートの尻を払った。


「あなたの抱えている後悔を晴らす手伝いができるかもしれません。よかったら何があったのか話していただけませんか」


 少女は盆之の全身を一瞥した。和洋折衷の服装に帽子と眼鏡のいで立ちは、柔らかい物腰も加わって、不思議な安心感をもたらした。提灯の灯に目を細めつつ口を開いた。

「里美。っていってもわかんないと思うけど、わたしの友だち、親友。里美とケンカしたまま死んだの」


 家族や恋人ではなく友だちに対する後悔。この年代ならではだが、それだけ想いも強いのだろう。


「里美は幼稚園からの幼馴染みで小中高ずっと一緒。姉妹みたいって言われたこともあるけど、姉妹以上の関係だから。実際家族以上に一緒にいたと思うし。他にも友だちはいたけど里美は特別。里美にとってもわたしはそうだと思う。絶対そう。


 いつ友だちになったのか、きっかけとか全然覚えてないけど、幼稚園の年中の時の写真には並んで写ってて、物心ついた時には隣りにいた。小学校の入学式も校門の前で一緒に写真に写ってる。二人ともちゃんと"気をつけ"して」

 口元に笑みが浮かんだ。幼い少女が並んで気を付けする写真を思い出したのだろう。


「小2の遠足の時、当日になって里美が熱出して行けなくなったんだけど、わたしも行かなかった。里美が行かないんならわたしも行かないって。親には行った方がいいって、行ったら楽しいよって言われたけど行かなかった。家で一人でお弁当食べた。いま思えば子供っぽいけど、全然後悔してない。里美が行かないなら行っても意味ないから。緊張とか興奮とかのせいだったみたいで、次の日には熱下がってたから、持っていくはずだったお菓子を二人で近所の公園で食べた。里美が『いつもより美味しいね』って。わたしが『いつもと変わんない』って言って二人で笑った」


 少女は墓石を振り返ったが、そこに刻まれた文字から目を背けるように向き直った。


「わたしの名前、美里っていうの。里美と美里。ウソみたいだけど本当だから。そういうのも運命感じるし。将来誰かにプロポーズされたら親より先に紹介して、審査を通過したら結婚認めるとか話してたんだけどね」


 美里が急性骨髄性白血病を発症したのは高校2年の時だった。入院した美里を、里美は毎日見舞った。面会できない日は病院内の喫茶室で過ごした。


「わたしたち同じファミレスでバイトしてたの。わたしは病気になって辞めたけど、里美は続けてる。里美の家そんなに裕福じゃないから小遣いは自分で稼いでて、貧乏ってわけでもないけど。学校とバイトの忙しい合間を縫って毎日お見舞いに来てくれた。いつもと変わらない元気な顔で、側にいてくれると心強かったし絶対病気に勝とうって思えた」


 美里の思い出し笑いで、これから話す中身がうかがえた。


「里美はいつも優しくて一生懸命で。ちょっと抜けてるところもあるけど本当にいい子で。病気になってからチケットくれたんだけど、何のチケットだと思う?」


「何のチケットですか?」


「サーカス」


「サーカス?」

 意表をつかれ、声が裏返りそうになった。


「そう。サーカス」


「サーカスが好きなんですか?」


「全っ然」と美里が笑った。「サーカスなんて興味ないから」


「里美さんが好きなんですか?」


「里美だって好きじゃないよ」


「じゃあなんで」


「有効期限のないチケットを探したんだって。いつか病気が治ったら一緒に行こうって、焦らずちゃんと治してってわたしにくれたの。有効期限ないチケットなんてあると思う?普通に考えればあるわけないのにネットとかで探しまくったんだって。でも全然見つからなくて。ようやく見つけたのがサーカスだったんだって。有名じゃないサーカスで客もあんまり入らないから有効期限がないみたい。里美って、とろくて、どんくさくて、ピントずれてるけど一生懸命だから」


 しかし若い少女は病気の進行も早かった。日に日に容態は悪化し、抗がん剤治療で髪の毛が抜け落ちた。


「覚悟はしてたんだけど、髪の毛がない自分の姿、すごいショックだった。わかる?わかんないでしょ。わたし子供の頃からずっとロングで髪がきれいってよく誉められた。自分でも好きだったし、似合うと思ってた。校則厳しい学校じゃなかったけど一度も染めてもない。それがきれいさっぱりなくなったの。鏡で見た時ウソだと思ったから。これはわたしじゃないって。帽子を用意しといたけど被っても髪がないのにかわりないから」


 目の前の美里の髪は、闇の中でも艶やかに見えたが、病気はこれを奪ってしまった。


 美里はニット帽を被ったが、明るく振る舞っていても落ち込んでいるのは里美には明らかだった。なんとか励ましたいと里美がプレゼントしたのは、美里をかたどった手作りのぬいぐるみだった。


「手芸が唯一っていっていいぐらいの取り柄だから。手先はホント器用で、靴下に穴開いた時とかちゃちゃっと縫ってくれたし。履いてたやつでも全然嫌な顔せずに。去年の誕生日にくれた手編みのマフラーはわたしの宝物だった。

 だからぬいぐるみもわたしによく似てた。UFOキャッチャーの景品にできそうなぐらいによく出来てて。ショルダーバッグみたいなチケットホルダーもついてて。サーカスのチケット入れるためのね」


 流暢なおしゃべりがそこで止まった。ここから先を話すのは覚悟がいるようだ。


「だけどそのぬいぐるみの髪の毛、ロングだったの。わたしといえばロングだから。フエルトとかじゃなくてちゃんと一本ずつ毛糸が縫い付けてあった。でもわたしはすごく嫌だった。それでキレた。なんでこんなことすんの?!いやがらせ?!って。


 里美は『早く元通りの元気な姿に戻ってほしかったから』っていったけど、わたしにそんな余裕はなかった。それで帽子をとって髪の毛がない顔を初めて見せた。『いまのわたしはこうなの!髪がないの!』って。そしたら里美泣き出して『ごめん』ってぬいぐるみ持って病室を飛び出していった」


 それから里美が病院に来ることがないまま美里の容体は悪化し、再会することなく亡くなった。


「病気は治ると信じてた。絶対治して里美と一緒にサーカス行くんだって。でも本当に治療は辛かったし、髪がなくなったのもショックで、情緒も不安定で、カッとなってあんなふうにいった。だけど時間がたって冷静になると、里美に悪かったなって。一生懸命わたしのことを考えてくれたのに。

 ずっと一緒だった里美と離れて、自分にとってどれほど大切な存在だったか改めてわかった。それからずっと悔やんでた。里美に会いたい。里美に謝りたい」


 その想いは里美さんも同じだと盆之には思えた。


「さきほど言ったように、わたしの役目は悔いを晴らして天国へ行くお手伝いをすることでです。あなたに代わりって、誰かにプレゼントを贈ります」

 誰かは聞かずともわかっている。


「プレゼント」盆之の言葉を反芻して、美里ははっと顔を上げた。

「里美に渡してほしいものがある」懇願するように盆之に告げた。


 美里は盆之と天国へ行く約束を交わして提灯の火を吹き消した。

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