第67話 彼女のお守り
落ち着いた四十万さんはまだ少し涙声だったけど、これまでの事を話してくれた。
これまでの事。
彼女の生い立ち。
彼女のこれまでの生き様。
「――私はあまり感情を表に出さない子だったみたい」
四十万家は女系家族なのだとか。
九姉妹の八番目に生まれたのが四十万さん。
四十万八重さん。
お姉さん達が賑やかだったからなのか、それとも本来の性格なのかはわからないけど、物静かで一日中庭の蝶を眺めている子だったらしい。
「そんな私を見てお母さんは心配しちゃったんだろうね」
娘に自主性を持って欲しかったのか、それとも自分が守らなきゃと思ったのか、母親は娘に対してレールを敷くようになった。
決められたレールを走る列車のように。
親切な信号機のように母親は彼女にアレコレと世話を焼いた。
「お父さんとおばあちゃんは『私の自由にしなさい』っていつも言ってくれてたんだよ」
でも彼女は敷かれたレールの上を歩いていた。
その方が楽だったから。
自由ってなんだろう。
そんな事を考えていると家の中である事件が起こった。
「一番上のお姉ちゃんとお母さんが喧嘩しちゃってね」
内容は四十万さんに許嫁、もとい婚約者を今の内に見つけるというものだった。
「お姉ちゃんがあんなに怒った所は見た事がなくて、幼いながら怖かったのを覚えてる」
後から聞いた話によると前にも婚約者を早めに決めるという事で母親と娘達で言い争いになったそうな。
「だから私は母親が怖くなってお父さんとおばあちゃんに懐くようになったの」
あまり感情を表に出さない子供だったけど、まさか親子喧嘩を見て負の感情を向けられるとは母親は思わなかっただろう。
「お父さんは本当に優しくてね。色んな話をしてくれたんだ。でもね……」
ある日公園に散歩に行った時の事。
他の親子連れの様子を見る父の顔が少しだけ羨ましそうに見えた。
目線の先にはお父さんと息子がキャッチボールをしている風景。
当時の四十万さんは何を思ったのか、お父さんはキャッチボールをしたいんだなと思ってしまう。
「今思えばそんな事じゃなかったのにね」
四十万家は女系家族で九姉妹。
男親としては息子とキャッチボール。
二十歳になった息子とお酒を飲み交わす。
そんな事を夢見ていたのではないだろうか。
「だから私は変わろうと思った」
決められたレールの上を走るのではなく。
自分で決めレールを進もうと。
母親に決められた相手ではなく、自分で相手を探そうと。
「女子校じゃ異性となかなか巡り会う機会が無いからさ。思い切って共学を選んだんだ」
そこまで聞いた僕はあの時の事を思い出す。
受験疲れの彼女の顔に何か芯のようなものがあったのを。
「受験当日はおばあちゃんと一緒に家を出たんだけどさ、神社でお参りしてから行こうってなってね」
おばあちゃんは迷子になり、四十万さんはおばあちゃんを探す間に遅刻してしまったらしい。
「迷子のおばあちゃんを隣駅まで送ってくれた見ず知らずの男の子がいたらしくてね」
「もしかしてそれって」
僕は確かあの時早めに神社に寄ってお参りして、ひとりのご婦人を隣駅まで送った。
「うん、四十万花緒。私のおばあちゃん」
こんな巡り合わせがあるんだろうか。
「でもね、それだけじゃないんだよ」
まだ他にあるのだろうか。
彼女との共通点が。
「十蔵くん。月詠町で自転車に乗って転んだ男の人を助けたでしょ?」
「――っ!」
確かに助けた。
頭を打っていて意識が朦朧としていた男性を。
「その人が……その、もしかして」
背筋に冷たい汗が流れる。
「私のお父さんだったの」
お弁当を忘れた娘に届けようと急いでいた。
自転車に乗って慣れない雪道を急いでいた。
凍った路面に滑ってしまい頭を打った。
「私がその事を知ったのは受験が終わってからだったの。だから急いで教室を出たんだ」
「そんな事って」
大きく口を開けた僕に彼女は言う。
「ずっとお礼が言いたかったの」
そう言って彼女はバックから手帳のような物を取り出す。
何か見覚えがある手帳、けれどどこで見たんだろう。
「私の家族を救ってくれた人にずっとお礼が言いたかった。そしてその人は私の隣の席で今は目の前に居るんだよ?」
彼女が差し出した手帳は見覚えのある手帳だ。
いや、見覚えどころではなくそれは紛れもなく。
「これって僕の学生手帳!」
中学校の学生手帳。
無くしたと思っていた学生手帳。
それを彼女が持っているって事は。
「お父さんに声をかけ続けてくれてる時に落としたんだって。救急隊員の人が息子さんのだろうからって勘違いしちゃったみたいで」
そういえば受験が終わった後、中学校の担任の先生が僕を抱きしめてくれたのを覚えている。
「立派だ、よくやった」と声をかけてくれたのを覚えてる。
アレは単に受験頑張ったねって意味だと思っていたんだけど。
「これは私のお守りだからダメ」
受け取ろうとする僕にサッと手を引っ込めて意地悪な顔をする彼女に僕はいつしか笑っていた。
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