第64話 オーシャンレイン

 自分で言うのもおかしいかもしれないけど、僕は恵まれていると思う。


 両親との仲は良いし、高校に入学してからの友人達は驚くほど優しくしてもらっている。商店街の人達も気さくだし、入りたかった高校にも通えている。


「行ってきます母さん」

「は〜い! 四十万さんによろしくね〜」

「う、うん」


 何故、僕が四十万さんと出かけるのを知ってるのか謎だけど母さんの弓なりの目を見ると落ち着いて家を出た。



 待ち合わせ場所は月詠駅、彼女の事だから僕より先に来てからかうのを楽しむはず、と予想して結構早く来たんだけど。



「……あっ」



 駅前の広場のベンチにいる髪の長い彼女を僕は見つけた。


 コンビニで買ったであろうドリンクを半分ほど飲んでいる彼女は本を読んでいた。厚さを見るに読み始めたばかりでたろう本のページをめくる彼女の下まつげが妙に印象的に映る。


 秒針が一周する時間の中で僕の瞳は彼女だけを見ていた。


 ――彼女のどこに惹かれたのか?

 と問われると、ミステリアスな所と答えてしまいそうになるほど僕の心支配されているのだろう。


 一歩、二歩と地面を踏みしめて彼女との距離を縮めていきたいのに、何故だか一向に心の距離は縮まっていかないようなもどかしさ。


 ――ふわぁ


 夏の前の風が彼女から僕の方へ吹いてきた。

 その風には色があった。

 その風には香りがあった。

 その風には温もりがあった。

 その風には彼女が確かにいた。


「おはよう十蔵くん、早いね」

「お、おはよう四十万さん。僕の負けだね」


「うぇへへっ。罰ゲームなにしてもらおっかなぁ? ナニしよっかなぁ〜」

「えぇ! 罰ゲームあるのっ!?」


 一歩、二歩と地面を踏みしめた距離に彼女はいる。

 否――彼女もまた僕の方へと歩を進めてくれていたのだ。


「あっ、四十万さんいい匂いがする」

「もう気づいちゃった? うぇへへ、これはね」


 季節を巡る桜の香りのヘアオイル。

 僕が彼女に贈った特別な香りだ。




 ――――――



「あちゃぁ、これは仕方がないよ十蔵くん」

「……うぅぅ、僕のばかぁ」


 どうしても彼女を連れてきたかった場所。

 それはいつか約束した場所だった。

 彼女と何か大切な話をするならここだと決めていた場所。


 喫茶店『オーシャンレイン』


 僕は今そのお店の前で頭を抱えていた。




〜愛すべき可愛いかわいいみなさまへ〜

きゃぴ☆

オカマママでぇぇす♪

実はあちしのマイプリティワイフが新しい命を宿してくれましたぁ!(はい拍手っ!)

そんな訳で、オカマママとしては全身全霊でワイフと子ども達を守らなくちゃいけないの。

なので落ち着くまで少しお店をお休みするわねぇぇぇぇぇ(ごめんちゃい)

どうしてもあちしに抱きしめて欲しいフェイスがあるなら下の連絡先までよろしくねぇ!

タキオンより早く駆けつけるからァ♡


宣伝

ちなみにぃ。

下の地図の所に友人が新しくお店を出すのよ。

ウチの従業員も手伝いに行ってるから応援してね!





「そ、そういえば父さんがそんな事言ってたような気がする」


 確か月詠商店街の集まりの時にオカマママさんがお店を休むって。僕はその事を失念していた、いや忘れていた。


 四十万さんと一緒に来たくて、彼女の話を聞きたくて、僕は事前確認をする事を忘れて走っていただけなんだ。


「あぁ、うぅぅぅ」


 穴があったら入りたい、とはこの事だろうか。

 要は単に浮かれていただけかもしれない。

 朝のテンションからフリーフォールした僕は彼女の方を見れないでいた。


「ここに連れてきたかったの?」

「……うん」


 彼女は落胆しただろうか。


「なぁんだ」


 あぁ、やっぱりそうなのかな。


「私はてっきりLから始まって泊まれる所だと思ってた」

「えっ?」


 泊まれる所?

 Lから始まるってなんですか?


「せっかく気合い入れて来たのになぁ」

「ご、ごめん。期待に応えられなくて」


 何かはわからないけど、彼女を落胆させたのは事実なので謝っておく。


「見える所も見えない所も物凄く気合い入れて来たのになぁ」

「あ、あの。返す言葉もないです」


 見える所は確かに凄い。

 公園デートとはまた違う装いだけど一段と大人びているのがわかるから。

 見えない所ってどこだろう?


「うぇへへ。順調な道なんて面白くないでしょ? 人生は自分の力で切り拓くのだよ!」

「そうだね! なんか元気出た」


 屈託ない声に僕の心の雲は払われていた。

 そんな時――



「あら? もしかしてお客さんかしら」



 後ろからの女性の声に僕と四十万さんが振り向く。

 振り向いた僕達はふたり揃ってその人物のある部分に釘付けになった。


「ごめんなさいね、お店が休みになっちゃって。主人ったらなかなか頑固だから」


「あっ、いえ」

「えっと、その」


 そこに居たのは大きなお腹をしたご婦人だった。その人は僕と四十万さんを交互に見ると何か納得したような顔をしてこう告げた。


「ふふふっ。せっかく来てくれたんですもの、内緒だけど二人が良ければ」



 ――カランッコロンッ



 来客を知らせるベルは、今は二人だけの為に鳴る。



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