第58話 四十万家乱舞①【浅日詩書】

 私の八重やえちゃんに対する最初の印象はあまり良くなかったと思う。


 入学式の日の体育館で隣に座った女の子がとても綺麗だったから。

 言ってしまえば単なる嫉妬。

 自分自身と比較して勝手に劣等感を抱いてしまった。

 洗練された黒髪に整った鼻筋、姿勢よく座る姿は絵画のような時を止める美しさがあった。


 それになんかいい匂いしたし!


 とまぁそんな訳で勝手な想像で「昔からモテたに違いない」「きっと何人も男がいるんだ」「この学園にも男を漁りに来たんだ」「オビもああいう子がいいのかな?」なんて酷いものだった。

 そんな勝手に抱いた嫉妬と敵対心は入学して1週間もせずに、ものの見事に霧散するのだけど。



 少しだけ4月の事を考えていたのは、現在進行形で起こっている現実からの逃避に近かった。


「――もうすぐ奥様がいらっしゃぃすのでしばらくお待ち下さい」


 丁寧に頭を下げた女の人に私達は無言で頷くしかなかった。



 ――1時間程前に時間は遡り

 ゴールデンウィーク2日目の朝、クラスの女子全員で白百合しらゆり町に来ていた。


 昨日の会議でサメちゃんが「四十万八重嬢の家に行く」と言って決まった電撃訪問。当然、発起人のサメちゃんは八重ちゃんの家に行った事があると思っていたけど。


「シャ、シャシャ……想像以上にデカいね」


 四十万家の佇まいを見ていつものキレが失われていた。それもそのはずサメちゃんは「四十万家の場所しか知らない」とほぼ無計画で事を進めていたのだ。なんでそんな事をしたのかと問えば「みんなと恋バナしたいじゃん!」と乙女な回答をもらった。


 そして私達1ー3女子連合は見渡す限りの塀をポカーンと眺めるしかなかった。そんな時に塀の端から八重ちゃんが歩いてくるのが見えた。


「八重ちゃんっ! 急にごめんね、ちょっと八重ちゃんと話がしたくて」


 私が八重ちゃんに声を掛けるけど、当の本人は「一体なんの事?」というような顔をする。そもそも「アナタは誰?」とでも言いたげな冷ややかな目だった。


 しかし――

「あっ! あぁ! もしかして八重のお友達?」

「え? あ、はい。えっと……」


 突然自分の名前を呼んだ八重ちゃん(?)は、さっきとは打って変わって別人のように語り出す。


「私は八重の姉なのよ! 妹と勘違いしたのね、嬉しいようななんとやらだけど……妹に会いに来てくれたの?」

「あっ、えっと、は、はいっ!」


 失敗してしまった。

 まさか八重ちゃんにお姉さんが居たとは。

 っていうか、似すぎじゃない?

 目の前にしても違いがわからない。

 でも確かに話し方とテンションは全く違うし、よく聞けば声も違う。


 塀を見てポカーンとしていたクラスメイト達は八重ちゃんのお姉さんを見て更にポカーンとしていた。


 買い物袋を持ったお姉さんは五織いおりさんと言う。五織さんは私達一人一人に挨拶をして家の中に案内してくれた。感激しているように話す姿は普段の八重ちゃんの10倍はテンションが高いように見える。

 あれよあれよという間に客間に案内されるけど、私達は家の中で目線をさ迷わせる事になってしまう。


「鯉? 鯉が泳いでるよっ」

「すっご! ミニ京都みたいじゃん」

「ここは本当に家ですか? 観光スポットとかじゃなく?」


 私含めクラスメイト達は見える景色に絶句していた。チラリと発起人のサメちゃんを見てみると「すご」「なにこれ」「やばいわ」とこちらも驚きの連続だった。


 宴会場と見紛う畳の客間に通された私は、この部屋の雰囲気に当てられてか普段正座なんてしないのに緊張して座り直していた。

 クラスメイト達もほとんどが同じような状態で落ち着きなく身じろぎしていた。

 そして。


「――失礼します」


 襖の外から掛けられた凛とした声は決して大きくはなかった。それなのにこの部屋全体に響くような声音に私の緊張は一気に膨れ上がる。


 ――スッ


 入ってきた人物を見て私達は一瞬でこの人が八重ちゃんのお母さんなんだと理解する。


 綺麗な和服に身を包み、清廉な黒髪を後ろで結わえ、口元に薄く紅がさす姿に大人の女性の色香を感じる。

 襖を閉める所作も丁寧に腰を折る姿も練度が違うのだとハッキリわかる。塀を見ていた時とは違うけど私達はその姿に言葉を失った。

 言わば見蕩れてしまっていたのだ。


「お初にお目にかかります、八重の母。四十万しじま聖花せいかと申します」


 一輪の花が私達の前に咲いたような気がした。


「こ、ここここここ、こんにちは! わ、わたわたわた……」


 咄嗟に言葉を返さなきゃと思ったサメちゃんだけど言葉になっていなかった。もちろん私なんてずっとポカーンだったから他人の事は言えない。

 サメちゃんに続くようにクラスメイトも何か言わなくちゃと口を開きかけるけど同じように言葉にならなかった。そこに助け舟を出したのは。


「失礼するよっと……あぁ! お母さんなんて先に行くのよ。待っててって言ったじゃん!」


 先程会った五織さんが両手いっぱいにお菓子(?)を持って入ってきた。そんな五織さんに対して八重ちゃんのお母さんは。


「だってあの八重の御学友の皆様が来てくれたんですもの。早く会いたいじゃない?」

「だからって1人で行かないでよ。ただでさえお母さん威圧感あるんだから。ほらみんな萎縮してるじゃん!」


 威圧感かどうかは分からないけど、確かにお母さんの前だと背筋を伸ばさなくちゃいけないような気がする。あのお転婆、黒神くろかみシスターズだって借りてきた猫のように微動だにせず正座してるし。


「それは失礼したわね。皆さんどうぞ足を崩して寛いで下さいな、うぇへっ」


「は、はい」


 両の手をポンッと叩いた八重ちゃんのお母さん、八重ちゃんママは人懐っこい笑顔で笑う。その笑い方は紛れもなく四十万家の証だった。


 それから五織さんが持ってきたお菓子をテーブルに並べて、お手伝いさん(?)達がお茶を運んでくれる間にそれとなく自己紹介を終えた。


「――ごめんなさいね。八重ったら今日は出掛けてるみたいでいつ帰るかわからないのよ」

「い、いえ。気にしないで下さい。私達もアポ無しで突然お邪魔してしまって」


 五織さんも加わった事で話がしやすくなったと思う。八重ちゃんママも最初の印象の残りはあるけど、私達に合わせて口調を柔らかくしてくれていると思う。


「それにしても驚いたわ」

「確かにね」


 ママさんと五織さんは私達を見渡して感慨深そうに口を開く。その姿はどこか安心したような雰囲気だった。


「驚いたというのは、どういう事ですか?」


 自分らしさを取り戻しつつあるサメちゃんは2人に疑問を投げかける。


「八重に友達ができたのもそうだけど、こんなに沢山の人が来てくれた事に驚いて」

「ってか、あの子が友達連れて来たのなんて初めてじゃない?」


 正確には押しかけて来ただけ。

 八重ちゃんと連絡取れないし、そうするしかなかった。まぁそこら辺は些細な事だ。


 しかしアレだね。

 誰かの初めてって言う響はいいわね。

 彼女の初めての友達ではないかもしれないけど、彼女の家に来た最初の1人ってのはいいわね。


「あの子学校ではどうかしら? ちゃんとやれてるかしら?」


 その質問に私は安心した。

 こんな大きな家に住んで、お手伝いさんもいるような人はどこか家族に対して冷たい印象を持っていたから。

 でも目の前の聖花さんは娘を心配する母親なのだ。それだけで今日来たかいがあったのかもしれない。


「八重さんは、そうですね、えっと」


 サメちゃんは何を言えばいいのやらと困った顔をして私を見る。恐らく普段の彼女を近くで見てるであろう私に助け舟を出したのだ。そんな私は彼女の事を思い浮かべながら考える。その視線を受けてママさんと五織さんも私に注目する。



「八重ちゃんは――」



 私は思った事を2人に口にする。



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