第53話 イベリス

 昼食を終えた僕達は公園のほとりをのんびりと歩く。


「ねぇ、この花はなんだと思う?」

「う〜ん、実は花に詳しくないんだよねぇ」


「お花摘みに一緒に行こうとしたのに?」

「それは忘れてってばっ」


 小鳥のさえずりと緑の絨毯と白ワンピースの彼女と花。


 この組み合わせだけで物語ができてしまいそうだ。


「この花はね、イベリスって名前なんだよ」

「……イベリス」


 彼女の服と同じ白いふわふわした見た目の花を彼女はしゃがんで見つめている。


「甘い香りが特徴なんだよ、ほら」

「う、うん」


 彼女に促されて僕も隣にしゃがんで顔を近付ける。


「ほんどだ! 花の香りがする」

「うぇへへっ。花の香りがするね」


 あたりまえの事を言っただけなのに彼女はどこか嬉しそうな顔をする。もっと詳しく「これは○○のようだ〜」とか「キミのシャンプーの香りに〜」と言えればかっこいいのだろうけど、僕じゃ無理だった。


「実は花言葉って日本の意味と西洋の意味じゃ違う場合があるんだよ」

「そうなの!? それは知らなかった……というか花言葉も詳しくなくて」


 母さんが大切に育てている花はあるけど僕の関心は別な所にあった。こういうシュチュエーションがあるならもっと母さんに教えて貰えば良かったと少し後悔する。


「ちなみにイベリスってどんな花言葉なの?」

「……ん〜」


 彼女は僕と花を交互に見て何か思案している顔をする。


「言ってもいいけど、ん〜」


 珍しく唸りながら考え込む彼女は有名な考える人のポーズをする。


「……四十万しじまさんって絵になるなぁ」


 小鳥のさえずりより小さい呟きのハズなのに彼女のお耳は聴き逃してくれない。


「うぇへへ。私にヌードデッサンのモデルになって欲しいって、十蔵じゅうぞうくんはやっぱりえっちだね」

「そんな事一言も言ってないよっ! もうっ!」


 なんだかはぐらかされた気がしないでもないけど、結局彼女はイベリスの花言葉を教えてくれなかった。だけど立ち上がる時に、


「私は大和撫子やまとなでしこ一択かな」

「やまとなでしこ? 何の話?」


「ん〜、何の話だろうねぇ」

「教えてくれてもいいじゃんっ」


「うぇへへ。私を掴まえられたらね」

「言ったなぁ、僕も本気出すからね!」


 踏みしめる青葉がキュッと鳴きスタート合図を奏でる。



「こっちだよ十蔵くん」

「待ってよ四十万さん」




 ――――――

 ――――

 ――




「いい場所だったでしょ?」

「うんいい場所だったね。けど……」


 草原で鬼ごっこをしていた僕達。

 それを見ていた子供たち。


「一緒に遊ぶ?」と彼女が言った。

 喜ぶ子供たち。


 鬼は僕。

 逃げる子供たち。


 追いかける僕。

 混ざりたそうにしている別の子供たち。


「一緒に遊ぶ?」と彼女は笑った。

 喜ぶ子供たち。





「――疲れたよぉ」

「うぇへへっ。いい鬼っぷりだったよ十蔵くん」


 夕暮れに染まる河川敷を歩きながら今日一日を振り返っていた。


「でもその後に寄った展示会場も良かったでしょ?」

「うん。ああいう場所ってなんか落ち着く」


 鬼ごっこの後は偶然通りかかった場所で写真展をやっていたので彼女と入る事にした。高校生以下無料だったのも決め手のひとつ。


「現実から距離をとりたくなったらたまに行くんだ」

「う、ん」


 少しだけ俯く彼女に僕は生返事しか出来なかった。


「で、でも! ほらっあの写真とか良かったよね」


 何か話題を変えたくても「ほらっ」とか「あの」しか言えない僕を許してほしい。


「うぇへっ。そういう所だよ十蔵くん」

「う、ん?」


 彼女は僕の意図を汲んでくれたようにニヤリと笑う。

 写真展で僕が一番美しいと思ったのは……作品を見る彼女の横顔だとは今は言えない。



「……そろそろ帰ろっか」

「……うん」



 ――名残惜しい。

 今日がとても充実していたから。


 ――心残り。

 彼女の中にあるナニカを振りほどいてあげたい。


 ――悔しい。

 考えばかりが先行して重要な言葉が出てこない。


 僕の心を惹きつける彼女はそっと僕の指に触れて「握ってもいいよ」と無言の合図をくれる。その甘い誘惑に乗せられた僕はいつもと違う表情の彼女の手をそっと取る。



「……このまま時が止まればいいのにね」


「……うん」



 僕が大人になったらこの瞬間が初恋なんだと胸を張って言えるだろう。



「四十万さん」

「ん?」



 黄昏時は少し寂しいと言った彼女にこの時間を好きになって貰いたい。


「あ、あの……えっと……その」

「んっ」


 こんな時にビシッと決められる人になりたかったなぁ。


 でもいいや。

 これも含めて僕っていう人間なんだから。


「これっ! 受け取ってくださいっ」


 片方の手で僕は白い小さな袋を彼女に差し出す。それを見た彼女は、


「婚約指輪?」


「なっ!」


 ホップ・ステップ・ロケットジャンプの返しをする。


「うぇへへっ。冗談だよ」

「からかわないでよ!」


 オレンジ色の景色のせいか彼女の頬も暖色に見える。


「開けていい?」

「うん」


「そのまま持ってて?」

「わかった」


 繋いだ手はお互い離したくないので僕が袋を持って彼女が中身を取り出すという傍から見たら奇妙に写る光景。


「……これって」

「その、僕、髪のことよく分からなくて。茶道部の音無おとなし先輩に相談して」


 彼女に隠し事をしたくなくて素直に全部話してしまう僕は小心者かもしれない。

 けど、それでいいと思う。


「そっかぁ、そっかぁ」

「あの、もしかして……」


 続きを聞くのが怖くて僕は言葉を途中で切ってしまう。しかし彼女は手に持ったクリアケースに入っているリボンの付いた小瓶を慈しむように眺めた後、


「私の髪好き?」


「う、うんっ! 大好きっ!」


 僕は貴女という女性が大好きです。

 心の声をいつか風に乗せて届けたい。


「ありがとう十蔵くん。でも誕生日でもないのにどうして?」

「そ、それはその……」


 本当は告白するつもりでしたなんて言えないよ。


「日頃の感謝を込めて」


「うぇへへっ。私はずっと前から十蔵くんに感謝してるけどね」


「えっ? 今なんて……」


「ないしょだよっ」



 僕の手を引く彼女はあの花のように――輝いていた。







【イベリス】

「心を惹きつける」 「甘い誘惑」

「初恋の思い出」



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