第49話 だが、しかし
――なんとなくそんな気はしていた。
時折見せる彼女の儚げな表情と暗く沈んだ瞳が物語っていたから。
――僕はそれでもいいと思えた。
彼女の過去に何があろうと受け入れる覚悟はしていたはずなのに。
――彼女のように飛び込めたら。
待ち合わせの場所に彼女の姿が見える。白いワンピースと同じ色の帽子を被って。
――所詮僕は口だけの人間だ。
ワンピース姿の彼女の隣には僕の知らない人がいた。後ろ姿だけでは分からないけど、恐らく男の人だろう。
――墨汁をぶち撒けた気持ちになる。
白い彼女と对を成すような黒服の人。そのふたりを見ているとあまりにも……あまりにも。
――お似合いに見えた。
その光景を眺めている時間が永遠に思えた。
母さんに「今日もしじましゃんとデート?」と聞かれてハニカミながら答えた早朝に戻りたいとさえ考える程に。
ゴールデンウィーク初日の今日は真っ白な半用紙のような天気だった。それとは裏腹に僕の心はたっぷりの墨で塗りつぶされてしまう。
男の人が
心がどんどん沈んでいくようだ。
離れる際に一瞬だけ相手の横顔がチラッと見えた。
「……あぁ。なんて事だ」
口が勝手に動いてしまう程その人物の顔は整っていた。
茶色のショートヘアの髪は曇り無く艶やかで、涼し気な目元は舞台俳優のよう。鼻筋から口元にかけては非の打ち所がない。
美形……とは彼の為にある言葉だと痛感する。
そしてその人物に負けず劣らぬ魅了を持っている彼女を見ていると益々お似合いのふたりに見えてしまう。
――帰りたい。
――今すぐ帰りたい。
――この場から逃げ出したい。
――でも、待ってほしい。
僕は何から逃げるのだろう?
逃げた先に何があるのだろう?
そもそも僕は何も伝えていないのではないか?
自問自答を繰り返していくうちに心の中に父さんと母さんの姿を思い浮かべる。
『
いつか父さんと一緒に母さんの誕生日を祝った。下手な字で書いた「かたたたき券」
母さんは恥ずかしそうで嬉しそうな笑顔を浮かべて「ありがとね」と一言。それを見た父さんの顔も忘れられない。
「別に、いいじゃないか」
現実に戻る僕の口から自然とそんな言葉が出てくる。
「僕はまだ四十万さんに想いを伝えていない」
何も始まってなどいないのだ。
「僕はまだ四十万さんに好きだと言っていない」
スタートラインにすら立っていない。
「四十万さんに彼氏のひとりやふたり居たっていいじゃないか」
ミステリアスな彼女に惹かれる人は多いだろう。
「婚約者のひとりやふたりが居たっていいじゃないか」
彼女の魅了は僕だけのものじゃない。
「……それでも」
それでもっ!
「最後に僕が隣にいればいいんだっ!」
今まで彼女が僕にしてくれた事が無くなるわけじゃない。
彼女と過ごした日々はまやかしなんかじゃない。
彼女と帰った黄昏の空はいつだって輝いていた。
いつしか彼女の特徴的な笑いが僕を安心させていたから。
「四十万さんっ!」
白いワンピースの彼女に向かって僕は全力で走っていた。
振り向いた彼女の顔はいつものような笑みを堪えて。
「うぇへへっ。十蔵くん遅刻だね」
黒い墨だって筆に乗せれば半用紙に描いていける。
「四十万さん、あのっ!」
僕はこの想いを今言うべきだと感じ、懸命に言葉にしようと口を開こうとして。
「四十万さん。あの……す、すすすっ」
しかし僕の唇は彼女の細い人差し指に阻まれた。
「まだ……まだダメだよ。十蔵くん」
けれどこの昂った気持ちはどうすればいいのだろう。
「四十万さん……ずるいよ」
「知ってる。私はずるいんだよ」
僕の気持ちなんてとっくの昔に知ってるくせに。
彼女は僕の唇に添わせた指を自分の口元へ持っていき。
「十蔵くんの味がする」
そう言った彼女は僕の手を握って指を絡ませる。その仕草がとても……とても扇情的に思えた。
「十蔵くんとの三度目のデートだよ」
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