第48話 椿色で見つめて

 ゴールデンウィークまでの日はあっという間に過ぎていった。


 四十万しじまさんとの登下校は続いている。変わった事といえば少しだけ僕の方が早く待っている事ぐらい。

 僕の姿を発見すると彼女は悔しそうな、それでいて嬉しそうな顔をする。初めて彼女に勝った気がするけどトータルして僕の大敗は変わらないだろう。


 昼休みを教室で食べる事も変わらない。変わったのは学食に行く人と教室で食べる人が半々になった事ぐらい。


十蔵じゅうぞうくん、おかず交換しようよ?」

「いいよ。四十万さんは何が欲しい?」


 いつものやり取り。


「十蔵くんをオカズにしたい」

「それはちょっと出来かねます」


 たわいない会話。


「間違えた。十蔵くんは既にオカズにしてるんだった」

「どういう事?」


 てにをは、が少し間違ったのかな。

 と思ったけれど前の席の浅日あさひさんと丸味まるみくんがクネクネと身じろぎをして顔を伏せた。


「ふたりとも深く聞いたらダメな話題?」


 僕の問に「にっきゅんは知らなくていいっ」「二句森にくもり、俺に振るのは止めてくれ」と言われたのでそっとしておく。ちなみに浅日さんは新聞部へ、丸味くんは卓球部へと入部を決めた。


「じゃあお肉交換しよっか」

「十蔵くんのソーセージ?」


「今日の僕のお弁当にソーセージは入ってないよ」

「大丈夫大丈夫。しっかりしたのを持ってるから」


 と少し目線が下の方に向く。


「ソーセージの代わりにサイコロステーキあげるね」

「むぅ。じゃあ私はハンバーグで」


 お弁当を持つ彼女の左手に猫柄の絆創膏がチラリと見えた。調理室であんなに危なっかしい包丁さばきをしていた彼女のここ数日の努力が一瞬で分かってしまう。


「四十万さんいただきます」

「うぇへへ。私を召し上がれ」


 いつも僕をおちょくる彼女だけどその健気な姿勢がたまらなく愛おしくて今すぐ抱きしめたい気持ちが湧き上がる。


「だき……しめ……たい?」


 声に出してハッとする。


「たい? 鯛の方が良かった?」

「う、ううん。なんでもないよ」


 慌てて口の中へハンバーグを放り込む。

 すると、


「んっ! これはもしかしてレンコン?」

「うぇへへ。正解」


 ひき肉にすりおろしたレンコンが入っていた。これは以前僕の母さんが作ってくれたレシピを四十万さんが取り入れたという証だ。


「どう?」

「美味しいよ!」


「私を美味しく食べちゃったんだね」

「四十万さんのハンバーグだよ」


 彼女の努力に報いたい。


「実は味噌汁もあるんだよねぇ」

「味噌汁? どうやって」


 彼女は普段飲みの水筒とは別に大きめの筒を取り出す。そして内蓋を開けると程よい日本の食卓の香りが鼻をぬけて。


「うわぁっ! 頭いいね」

「お母さんが教えてくれたの。昔はお父さんにこうやって持たせたんだって」


 ここにきて初めて四十万さんの家庭環境を垣間見る事ができた。


「熱々だから気を付けてね」

「うん」


「熱々なのはお前らだ」とどこかから聞こえた気がした。


「ちなみにお父さんが唇を火傷した時、お母さんがキスで応急処置したってさ」


 僕より先に丸味くんと浅日さんが撃沈した。




「――ご馳走様でした」

「火傷した?」

「してないよっ」



 楽しい時間は過ぎていきゴールデンウィーク前日の放課後。


「――では皆さんお元気で。私は妻と娘と遊園地で羽を伸ばしてきますので」


 担任の薮坂やぶさか先生の小粋なジョークでクラス内は盛り上がり思い思いの最終日を迎える。



「来週から部活、すぐに林間学校、中間テスト……ん〜行事がいっぱいだね」

「僕はまだ1ヶ月しか経ってないって事の方が驚きだよ」


 彼女と歩く桜並木の道に桜色は無くなっていた。


「それだけ濃ゆい月日だったって事でしょ?」

「だね」


「誰のお陰?」

「四十万さんのお陰かな」


「うぇへへっ。分かってきたね十蔵くん」


 1ヶ月も一緒にいると慣れてくるってね。


「ちなみに私の今日の気分は?」

「むむっ聞いてこないなって思ったけど今聞くんだね。えっと、休み前だから」


 今朝は聞かれないと思っていたけどこの時の為だったのか。四十万さん恐るべし。




椿つばき色?」




 ただの当てずっぽう。

 今朝母さんが「椿の花も見納めねぇ」と言っていたのが頭の片隅に残っていただけ。それだけの理由で選んだ言葉。しかし彼女の目は見開かれていた。


「……見た?」


「え?」


 見た?

 とはどういう事だろう。

 ゴールデンウィーク前の最高の時間はきっとお花畑みたいな気分だろうと思って告げた言葉。


「いつ?」


 あっ!

 もしかして母さんとの事を言ってるのかな。


「今朝かな」


 僕の答えに少し目線を泳がせる彼女。


「どうだった?」


 鉢植えの椿は見応えがあったなぁ。


「綺麗だったよ」

「――っ!」


 黒髪のベールで顔が隠れてしまった。


「朱が差したような赤色でね、花弁の1枚1枚が太陽に向かうさまが素敵で、それでもこっちに向かっておはようって言ってるような愛らしさと、そしてどこか儚さがあって……」


 母さんの言葉を借りながら椿の話を続けるけど唐突に四十万さんに口を塞がれた。


「も、もういいからっ! わかったからっ」


 彼女にしては珍しく慌てた様子。


「……綺麗なのに」


 僕の呟きに彼女の耳が椿色に染まる。






「四十万さん、明日駅前に10時ね!」

「……ん」


 月詠つくよみ駅の改札で僕は彼女と離れてしまう。あれから言葉少なだった彼女が不意に僕の裾をギュッと握る。


「……夜、電話していい?」


 黒髪のベールの隙間の瞳はテールランプに照らされて紅く輝いて見えた。


「寝ないで待ってる」

「んっ!」


 ささやかな幸せの中、彼女は椿色の電車へと乗り込んだ。



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