第43話 三重奏(トリオ)

 両親の話をしようと思う。


 パワーミートレジェンド

 これは僕の実家で肉の卸売りをしているお店。

 父・二句森にくもりふとしと母・真富まとみと一緒に朝から晩まで月詠つくよみ町のお肉を守護する大切なお仕事。


 とはいえ先祖代々肉を売ってきたかと言われればそれは違うらしい。


 父は元々キッチンやお風呂等の住宅設備機器を売る営業マン。母は住宅設備機器のメーカーでショールームの案内をしていたらしい。


 父と母の馴れ初め。

 営業マンになる前は修理がメインの部署にいて人あたりも良くアフターサービスもお手の物。お客さんからの評判が良かった事から当時の所長に気に入られ営業職をしてみないかと誘われたらしい。


 最初はわからないなりに努力をして徐々に新規のお客さんの獲得にも成功していって所長の期待通りの成果を上げていた。

 しかしキャリアで成り上がってきた古株にはそれが良く映らなくて段々と会社での風当たりが強くなる。そんな時、認めてくれた所長が退職して父を嫌っていた人物がその座に着くとより一層会社での嫌がらせが増した。


「あの……顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」

「あぁこれはどうも。少し仕事が立て込んでまして」


 クレームばかりのお客さんの相手を意図的に仕掛けられた父は母がいるショールームに何度も何度も足を運び商品と睨めっこをしていた。下手をすれば日に数回は来てるんじゃないかと疑うほど。


「あのままだと先に心が壊れてしまうわね」


 働きすぎという言葉以上に父は真面目な性格だった。「お客様の為、会社の為」という一念でこれは試練なのだと割り切っていたらしい。

 そんな父の姿をショールームで見かけると率先して商品の説明を行ったり事前に必要な部材や案内を母はやっていた。


「キミ、あの人ばかりに構わないように」

「あら。営業職の人がいて下さるからウチが成り立つんじゃなくて?」


 母の職場の人から見たら母の行いは贔屓ひいきや異常に映ったかもしれない。それでもどこ吹く風で父のサポートをし続けた母は当時から強かったのだと思う。


 そんなある日父の会社からショールーム宛に1本の電話がかかる。父が戻らないからそちらに居るのではないかというもの。電話を受けた受付は店内を見て居ないと告げる。その事を母に告げなかったのは恐らく嫌がらせの類いだ。


 翌日、父と連絡がつかないとショールームにまた一報が入る。それを受けたのは母。母はいつから居ないのかと詳細を聞くと昨日の受付嬢に詰め寄り「なぜ私に言わなかったのか」と激怒したそうだ。それから母は会社の車のキーを握ると一目散に出ていった。


 家、会社、行きつけのラーメン屋、父が行きそうな所を全て回ってもなんの痕跡も見いだせない。朝から探し続けて今は陽が傾き始めていた。

 これはいよいよ警察に捜索願いを出した方がいいと思い始めた時、父とした世間話を思い出す。


「長期で休みが取れたらどこに行きたいですか?」

「休み?」


 その時の父の顔は「休みってなんですか?」と書いてあるような感じだったという。当時は冗談でそんな顔をしたんだと思っていたけど、後に聞いた話ではもう随分父は休んでいなかったのだ。


「そうですねぇ。どこか遠くの海に行きたいです」


 その時の顔を思い出した母はアクセルに足を乗せるとフルスロットルで駆けてゆく。どこの海かなんて当てずっぽうだ。ただそこに居てくれればいいと当時の母は思っていた。


 女の勘は良く当たる。


 オレンジ色の景色の中、見慣れた営業車が停まっていた。


 ――ザザァン、ザザァン


 冬の波打ち際に半袖姿の大きな背中が丸まっているのを発見した時は心臓が飛び出しそうだった。


 母はその背中に持っていたコートを無言でかけると隣に座った。


「……」

「……」


 一瞬だけ母の方を見た父の目は冷凍した魚のようだったと母は語る。


「海、綺麗ですね」

「……」


 幾分か時間が経過した時に母は独り言を呟く。


「キラキラしています」

「……」


 また独り言。


「ほら魚が跳ねましたよ」

「……」


 そんな調子で母は永遠とも思える独り言を波に向かって語っていた。


「……俺、なんの為に仕事やってるんでしょう」


 永遠と思える波の時間に波紋が生まれた。


「昔はこんな事考えるなんてなかったんですけど、最近はもうずっと考えてばかりで」


 大きな背中が頼りなくまた丸まる。


 母は父の背中に手を回し、ゆっくりと語られる言葉をずっと聞いていた。


 ――なんの為に仕事をしているのか。


 再度投げられた言の葉に母は迷う事なくこう告げた。


「私の為に働いてください」


 あの頃の父をあのままにしていたらいずれ取り返しのつかない事になってしまう。その思いから父を繋ぎ止める為に出た言葉だったらしい。


「――え?」


 この瞬間、初めて父と目が合った。


「わたしの為に働いてください」


 もう一度同じ言葉を今度ははっきりと目を見て告げる。


「それってどういう?」


 母はすくっと立ち上がると持っていた靴を脱いで大きく振りかぶる。


「クソッタレな会社なんて辞めましょうっ!」


 それは父の会社の事なのか、それとも自身の会社の事なのか、きっとその両方なのたと母は言った。


「ぷっ。あはははっ」


 勢いで靴を投げてしまった母は慌てて海へ入っていく。その光景が父の心の防波堤を乗り越えて届いた。



「あなたはおかしな人だ二句森にくもりさん」

「そうかしら。まぁそこは認めるけどね」



 後日、母と父はお互いの会社を辞めた。

 僕は詳しくないけれど労働基準監督署なるものや弁護士なるもののお陰で資金調達には困らなかったらしい。


「親戚がお店を畳むらしいんだけど一緒に始めない?」

「お店? それってどんな?」


 退職から数年。

 日本一周旅行を終えた父と母は次のステージへと歩を進めていた。


「ん〜。お肉屋なんだけど」

「それはまたキミの名に相応しいな」


 新たなステージとはつまり。


「何言ってんのよ。もうアナタも一緒でしょ」

「そうだった」


 二句森太と真富。

 父と母は結婚してこの月詠町で第2の人生をスタートさせる。


「ねぇ、子供はどっちがいい?」

「元気に育ってくれたらどっちでもいいさ」



 パワーミートレジェンド



 そこに僕が加わるのはもう少し先のお話。

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