第23話 これは何のお祭りなの?

 四十万しじまさんの事を意識し始めた日、僕の気持ちは雲のようにフワフワしていた。


「――十蔵じゅうぞうくん、次現国だよ?」

「……えっ? あっ、ホントだ」


 隣の席のあの子から間違いを指摘される程フワフワしていた。もしかしたら僕の無意識下で彼女に構ってもらいたい欲がそうさせていたのかも。


「し、しじましゃ……」

「ん? どうしたの、リンゴみたいな顔して」

「……いや、その」


 今までは普通に顔を見て会話できていたのに何故かまともに顔が見れない。


「ん〜どうしたのかな〜」


 椅子をこちらに向けて迫ってくる彼女はイジワルだ。


「人と話してる時は相手の瞳孔を見るものだよ」

「えぇ! 初めて聞いたよ」


「今考えた私オリジナル。今から適用するから」

「そんな〜」


 いつものようなたわいない時間。

 その時間が少しずつ色付き始めた気がした。



 現国の時間。

「――人間万事塞翁が馬。さてこの意味はわかりますか……では、二句森にくもりくん」


 教科書を見ている風で意識は別のところに旅立っていた。それはもっぱら隣のあの子の事。


 四十万さんはどういう男性が好みなのだろう。

 四十万さんは付き合ったりしてたのかな。

 四十万さんの誕生日っていつだろう。

 四十万さんの読書の趣味は。

 四十万さんの……。


 先生の声なんて聞こえない。

 僕の頭は四十万さんの文字で埋め尽くされてるから。だから周りが僕に視線を向ける意味がわからなかった。


「二句森……当てられてるぞ?」

「二句森くん、ほらほら」


 前のふたりがコソコソと何か言ってる。

 当てられてる? 何を?



「……コホン。にんげんばんじさいおうがうま……この言葉の意味はわかりますか?」



 先生を見ると何か呪文のような言葉が聞こえた。

 はて、意味ってなんだろう?

 僕は何を聞かれたのだろう?


 隣の席をチラリと見ると涼しげな目が僕を射すくめる。前髪を耳の後にかける仕草も、薄ら赤い涙袋も、通りが良い鼻筋も、そのどれもが僕の心臓を打ち鳴らす。


『十蔵くんの事、見てるから』


 そんな心の声が聞こえた。


「……二句森くん?」


 現国の先生から再度名前を呼ばれる。

 僕は何を聞かれたか分からないけど、彼女の前ではカッコ良く在りたい。そんな想いが肺から口に、口から言葉に宿っていく。


 いけっ! 二句森十蔵!



「は、はい! えっと……人間がバンジージャンプをすると、最後は馬になりますっ!」



 馬になりますっ!

 なりますっ!

 ますっ!

 っ!



 ――瞬間


「ギャッハハハハハッ」「馬、馬って!」「やべぇ、流石二句森だ!」「バンジージャンプって何処から来た?」「これだよ、こうでなくちゃ!」


「うっふふふふ、現国の授業で初めて笑ったかも」「天才だよ、二句森くん天才だよ!」「私もう絶対忘れない!」「わかる〜」「きゃははははっ面白いね〜」「ね〜」


 アレ?

 僕は間違えたのだろうか。


 前の席のふたりを見るとお互いの顔を見ながら「アンタの顔笑えるんだけどっ」「お前こそっ」と言って悶絶。そしてチラリと気になるあの子の席を見ると、


「ふっ、ふふふっ……あはははっ! 最後は馬になるんだっ! くっくくくっ」


 彼女が「うぇへへっ」以外で笑う姿を初めて見た。机に前のめりになりながらハンカチで目元を拭っている。


 彼女の笑顔が拝めるなら笑い者になるのも悪くない。


 クラス中がひとしきり笑い終えた頃、咳払いで色々誤魔化してた現国の先生がゆっくりと口を開く。


「……そうですねぇ」


「……先生もバンジージャンプをした事はありますが、最後は人間で戻ってこれました。だけど二句森くんのそういった発想は素晴らしいと思います。是非いつか試してくださいね」


 もうひと波クラスに笑いが巻き起こる。



 英語の時間。

「――単語の復習になるけれど"自動販売機"は何て言うかしら? はい、ミスター二句森」


 上下左右のクラスメイトからさっきの現国の事を散々弄られた僕は小さなリスのように丸まっていた。


「二句森、また当てられたぞ!」

「二句森くん頼むわよ!」


 頭の中が羞恥心でいっぱいの僕は今がなんの教科なのか、何を聞かれたのかもわからない。


「ミスター二句森、自動販売機は?」


 それでも何か言わなくちゃ。



「はい、便利なマシーンですっ!」


 マシーンですっ!

 ですっ!

 っ!



 ――瞬間


「もうやめてくれ〜」「笑い死ぬっ」「便利なマシーンって」「確かにそうだけど」「と、トイレ行かせてくれっ」


「あっひゃひゃ」「わ、私も無理」「誰か〜二句森くん止めて〜」「桃子ももこ〜返事して〜」


 また僕は間違えたのだろうか。


「そうねぇ〜自動販売機は便利なマシーンね。便利なvending machineと覚える事も出来るわね。ミスター二句森、なかなかセンスが良いわ」


 巻き髪が似合うクリスティーナ先生の一言はフォローになったのかならないのか。

 隣のあの子のハンカチは半分ほど色を変えていた。


 今日一日ずっとこんな感じで過ぎてゆく。



 放課後


「うぅ〜今日は散々だったよ」

「私は笑いっぱなしの一日だったよ」


 部活動見学に行く生徒が出て行った後の教室に僕と四十万さんと浅日あさひさんと丸味まるみくんが残っている。


「いやぁ二句森の本懐っつーか真骨頂っつーか」

「アンタ鼻水出しながら笑ってたもんね」

「うっせぇ」


 何かと最近よく一緒にいる面子メンツ。段々と暖かさが増す季節と同じように僕の周りも暖かい。


「なぁ今日はどうする? 部活動見学の続きするか?」

「どうしよっか」


 丸味くんの意見に悩みながら返事をする。あの告白現場事件以来、行っていなかった部活に行くのもいいかもしれない。けれどそこは他の皆が同意を示したら。あの件は女の子ふたりの方が精神的に参ってしまったと思うから。


 チラリとふたりの方を見ると、なんとも言えないような顔をしていた。けれど、


「……あ〜っとね。さる情報筋から聞いた話なんだけど」


 浅日さんは何か訳アリな様子で髪をクルクル指にかけていた。

 さる情報筋ってなんだろう?


「もうすぐしたら、なんかお祭りやるみたいなんだよね」


「祭り?」

「お祭り?」


 丸味くんと顔を見合わせる。


「うん、まぁなんというか……結構楽しそうなお祭りなんだよね。それ見ていかない?」


 抽象的な言葉が続く浅日さん。隣の四十万さんはクスクスとニヤケているだけ。


「まぁ俺は構わねぇぞ。どんな祭りか楽しみだな」

「二句森くんはどう?」

「えっと、僕も大丈夫だよ」


 女の子ふたりが行きたいと言うのなら僕はそれに従おう。そして最後に浅日さんが一言、「ちょっとトラウマになるかもね」の言葉は聞かなかった事にした。




 ――――――



 1階渡り廊下前


「なんか法被はっぴ着てる人多いね!」

「うぇへへっ本格的」


 そこには上級生と思しき生徒が法被姿で交通整理していた。


「は〜い、ここのラインは危ないから下がってね」


 赤と青の印象的な法被の後ろに何か文字が見える。


「おこ……ことぶ……こい?」


 なんて読むんだろ?

 その答えばウキウキした様子の浅日さんが教えてくれた。


「あれは怒寿恋ドスコイっていう組織よ」


「「……ドスコイ?」」


 なんとも不思議な名前に僕と丸味くんは息を飲む。


「乙女の敵に天誅を下すべく組織された部隊。取り仕切ってるのはあのウマ会長らしいわ!」


「ほぇ〜」


 会長さん凄い!

 こんな部隊までいるなんて!

 なんか影の軍団みたいでカッコイイ!


「でも乙女の敵ってどういう奴らなんだ?」

「まぁ見てなさい。もうすぐ始まるから」


 見渡すと殆どの生徒が列をなしていた。渡り廊下前から各教室に向かってマラソンの応援みたいな雰囲気がある。


「四十万さんも知ってたの?」

「うん。浅日ちゃんに聞いてたから」

「……そうなんだ」


 知らされて無かったのが少しショックで落ち込んだ声を出してしまう。そんなわかりやすいリアクションに彼女は眉を八の字にしながらギュッと手を握ってきた。


「――っ!?」

「十蔵くんにはまだ早いかなぁって思ってたんだけど」

「は、早いって?」


 人混みに紛れて僕達の手元を見ている人は居ない。なんだかイケない事をしているみたいな背徳感が僕の心臓を早音のように奏でる。


「人にはね、色々な性癖があるの」

「せ、せせせ……せいっ」


 直接的な言葉に握っていた手を離しそうになる。しかし彼女は離さない。


「十蔵くんは初心っぽいからあんまりアブノーマルは見せたくなかったんだけど」

「な、なにを……」


 何を言っているのだろう。

 まるで彼女がその道に精通してるような口ぶり。


「初心な十蔵くんを食べたいなって思う心と、色々経験して熟れた十蔵くんを食べるの……どっちも興味あるから」

「えぇ……益々わかんないよ〜」



 結局彼女の真意がわからないまま、校内放送の音が聞こえた。



 ピンポンパンポンピーンッ


『さぁやって参りました、本日のメインイベント。馬VS悪魔……合体のその先に。実況はわたくし七色歌恋ななしきかれんがお送りするッス!』


 軽快な声の主に浅日さんが悲鳴を上げる。


「キャー! カレン様〜」


 どうやら浅日さんはこの人のファンらしい。隣の丸味くんはヤレヤレと言った様子で彼女が危なくないようにさりげなくフォローしていた。


『解説にはチアリーディング部部長・城峰しろみねくれはさんをお迎えしてるッス。さて城峰さんどうッスかこの戦い?』


 解説付きとは本格的なお祭りなんだね。

 でも馬と悪魔ってなんだろう?


「十蔵くん」

「な、なに四十万さん」


 ホカホカする僕の手をまさぐる彼女に名前を呼ばれる。


「意識を強く持ってね」

「うん? わかんないけどわかった」


 四十万さんは一体何を。


『魔改造された人類の極地を見たって感じよね。まさか彼があんな事になるなんて……オロオロ』


 チア部の部長さんの言葉もよくわからない。


 しばらくして遠くの校舎から歓声にも似た悲鳴が聞こえてきた。


「始まったわね」

「何があるんだよ?」

「いいから見てなさい」


 浅日さん達と一緒に僕も最前列へと顔を出す。そして遠くの校舎から聞こえていた歓声が段々こちら側に近付いていく。


「来たぞ!」「どこだどこだ」

「うわぁ……」「やべぇ……」


 進行方向からそんな言葉が聞こえてきた刹那。



「じょうまぎゅぅぅぅぅん!! アチキがわるがっだわぁぁぁぁぁん!! だから仲直りしてぇぇぇぇぇん」

「うわぁぁぁぁぁ! く、来るなぁぁ化け物ぉぉぉぉぉぉ」



「もっと罵ってぇぇ、いっそのこと抱いてぇぇぇぇ」

「ぎやぁぁぁぁぁぁぁ」



 ――――――――えっ?



「「「「…………」」」」



 ――――――――えっ!?



「なぁ……詩書しかく。今通り過ぎて行ったのはなんだ?」

「……あ〜うん……えっと……あれ?」


「し、しじましゃん? 今のは?」

「…………うぇへっ♪」


 内容を知っていたであろうふたりも戦慄している。四十万さんに至っては笑顔がどこかぎこちない。



『怒寿恋の魔改造は凄いのよ』

『わたしも若干引くッスね。いったい怒寿恋の皆さんは彼に何をしたんスかね?』


 先頭を走っていたのは僕の憧れた会長さん。しかしその後ろから猛追していたモノはなんだろう。記憶を辿るけどフィルターがかかったみたいに思い出せない。


「えっとね、二句森くん。あの後ろの人物はね」

「うん」


 それに答えてくれたのは少しだけ正気を取り戻した浅日さん。


「私達が見た告白現場の嫌味な男なのよ」


 ――――――――えっ?


 あの自分勝手な言い訳をしてた男の人?

 あの人があんな……風に?


 鮮明になる記憶にその姿を思い出す。


「…………」

「十蔵くん。気を強く持ってね」


 四十万さんが言ってくれた意味がやっとわかった。そして何故あぁなったかを解説の人が教えてくれた。


『女子の”いろは”から乙女のAtoZまで様々な事を叩き込んだわよ』

『なるほど〜それであんな化け物が出来上がったらヤバいっスね』


 交通整理をしている法被の人達がニヤリと笑う。


『まぁそのAtoZのtoがTo Be Continuedだったのは笑えるけどね!』

『城峰さん上手いッス!』


「まぁ乙女の敵にら天誅っていうくらいだからね。あぁなるのも必然かも」

「いやいやいややべぇだろ! 会長が仕切ってるって言ってたけど、顔が必死だったぞ?」

「……迫真の演技じゃないかしら」


 僕はそうは思いませんけど。


「ねっ? 十蔵くんにはまだ早かったでしょ?」

「……ちょっと衝撃すぎて。でもでも似たような格好をしたお店が近所にあるから」


「そうなの?」


 月詠つくよみ町のあの店の店長さんも同じような服着てたからなんとか大丈夫だった。


「うん、凄く優しい人なんだ」

「へぇ、興味あるかも」


「だったら今度一緒に行こう」

「…………」


 歓声は校舎内を巡り実況中継にも熱が入っている。けれどどうしてか僕と彼女の空間だけ切り取られたような空気になり。



「誘ってる?」

「……うん、誘ってる」


 このお祭りの雰囲気なら少しだけ大胆になってもいいよね?


「うぇへへっ♪ 約束だからね」

「うん、約束だよ」



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