第22話 三分咲きのこの気持ちに名前を

 四十万しじまさんと猫神社に行って数日。僕は毎日のように四十万さんの事を考えていた。


「うぅぅぅ……頭の中が四十万さんでいっぱい」


 寝ても覚めても四十万さん。

 あの「うぇへへっ」と笑う顔は出逢った当初は怖かったけれど、最近じゃ見ないと一日が始まらない気がしてくる。


「うぅぅぅ……四十万さんの呪いだぁ」


 きっとこれは何かの呪い……そう、呪いなのだ。


「でも、悪い気はしないんだよね。なんでだろ」


 本当は分かってる。分かってるけど言葉にすると恥ずかしいので口ではとぼける事にした。すると、


「私がどうしたの?」

「わぁっ!! し、しじましゃん?」


「うぇへへっ、おはよう十蔵じゅうぞうくん」

「お、おはよう四十万さん」


 いつもの通学路のいつもの曲がり角。

 そこはいつしか僕と彼女のランデブーポイントになっていた。


「私のこと妄想してたの?」

「も、妄想だなんてそんな……」


 はい、してました。


「いやらしい妄想?」

「ち、違うよっ! 健全な妄想だよっ」


「うぇへへ、否定しても私にはわかるんだよ」

「うぅぅ……四十万さんのいじわる」


 今日一日の始まりに彼女の笑う顔をみた。

 それだけで心が暖かくなり今日も一日頑張れそうだ。


「あ、あのね四十万さん」

「ん?」


 並んで歩く彼女は鼻歌を唄って上機嫌。なので今なら色々答えてくれそうな気がしたので聞いてみる。


「四十万さんの好きなものって何?」

「十蔵くんの瞳」


「ふぇっ!」


 音速より早く答えが返ってきた。


「真面目に答えてよ〜」

「真面目に答えてるのに……だってほら」


 彼女は僕の前へ躍り出るとズイッと瞳を覗き込む。


「し、しじましゃん」


 改めて彼女の瞳をマジマジと見てしまう。陽の光に反射した彼女の虹彩こうさいは薄らと桜色をしていた。


「ほらほら〜もっと良く見せてよ〜」

「うぅぅぅぅ」


 あまりにも美し過ぎて目を逸らしてしまう。そんな僕をからかうように目線を追いかけて彼女は視界に入り続ける。


「ぼ、僕……人の目を見るのが苦手で」


 少しだけ嘘をついた。

 それで彼女が引いてくれると思った僕が甘かった。彼女は引くどころ心の扉を押し開けてくる女性なのだ。


「じゃあ苦手を克服できるように協力してあげる。うぇへっ」

「えっ、あっ……」


 彼女は僕の両の頬に手を添えるとガッチリと離さない。


「ほら……見て」

「し、しじましゃん」


 胸の高鳴りが最高潮に迫ろうとする。

 さっきよりも近い位置に彼女の瞳がある。

 鼻先が当たってしまいそうなほどの距離。


「な、なんでそんな事を」


 彼女はいつも積極的だ。

 僕が憧れた父さんや会長に匹敵するくらい。


「十蔵くんに私を見て欲しいからだよ」


 彼女の迷いの無い瞳に写る僕が口を開いたようだった。



『素直になれよ僕。お前は彼女が――』


「……す、すっ」

「ん? 何かな十蔵くん」


 言え!

 言うんだ漢十蔵!

 このチャンスを逃したらダメだぞ!


「す、すすすすっ……」


 しかし、


「よぉ! 二句森にくもり四十万しじまおは……」

「ちょっバカっ! 今大事な所でしょ!」

「あっ……やべっ」


 突然の声に僕の意識は逸れてしまう。


「……丸味まるみくん、浅日あさひさん?」


 僕はヘナヘナとしながらふたりの名前を呼ぶ。


「あ〜……すまん二句森」

「ごめん八重やえちゃん、このバカが邪魔して」


「うぇへへ、おはよふたりとも」


 四十万さんは何事も無かったかのように僕の顔から手を離す。離す瞬間の彼女の温もりが忘れられずじっとその手を見つめてしまう。


「あ〜でもアレだ……ここでするのは色々マズイと思うぞ?」

「へっ?」


 丸味くんに言われるまで気付かなかった。僕は周りを見渡すと「なっ!?」と素っ頓狂な声が出てしまった。


「おい、アレって3組の四十万さんだよな?」「今、キスしてなかった?」「ちょっ、マ?」「俺、密かに憧れてたんだよぉ」


「私この前ふたりが手繋いでるの見たよ」「私も私も!」「あの男の子ってカワイイ系だよね」「私、密かに狙ってたんだけどなぁ」


 月詠つくよみ学園の校門の近くに僕達は居たのだ。


「まぁ唾をつけとくって意味なら正解だよね八重ちゃん」

「うぇへっ」


 浅日さんと四十万さんは何やら意味深な話をしていた。


「邪魔して悪かった。二句森がそこまで本気だったとは」

「え、いや、うん……気にしないで」


 こんな往来で僕は何を言おうとしたのだろう。シュチュエーションが大事だと父さんに教わったけど、この気持ちを抑えられなかった。ふたりが来てくれなかったらきっと心が口から溢れていたに違いない。だから良かった……良かったと思おう。


 少しだけ残念な気持ちになった僕は俯いてしまう。彼女と隣に並んで歩きたいと思うけど「カワイイ系」だと言われた事が重しのようにのしかかる。

 四十万さんに憧れてる男子が多い事も相まって言わなくて済んで……良かった……よね?


 深みにハマっていく感覚が鮮明になる中、雑音を吹き飛ばす風が吹いた。

 その風はいつだって突然だ。



「ねぇ、教室まで競走しようみんな!」


「「「えっ?」」」


 その声に顔を上げると薄桜色の瞳が僕の目を射る。


「競走だよ! よーいどんっ!」


「あっちょっ!」

「や、八重ちゃん急にどうしたの?」


 彼女のローファーがアスファルトを踏む音がスタートの合図を奏でる。


 僕は呆気に取られながら彼女の後ろ姿を眺めるだけ。長い黒髪が惜しげも無く雑音を蹴散らし陽だまりの光を拡散させる。



「十蔵くんも早くっ! 追いついてきてっ!」



 置いていくのではなく、追いついてきて。



 僕のローファーがアスファルトを踏む瞬間、地面に舞う花びらを僕は避けながら駆けてゆく。



 三分咲きのこの気持ちが八重咲きになったらちゃんと伝えよう。



「待ってよっ四十万さん!」



 ――四十万八重さんに『大好き』だと。



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