第21話 ポケットの中の四十万さん

「わぁ、見て四十万しじまさんお花が浮いてる!」


 僕達は猫神社の鳥居を潜り手を洗う場所に来ていた。数刻前に見た神秘の宇宙は頭の片隅に置いて隣の彼女に話しかける。


「綺麗な紫陽花あじさいだね」

「うん! そういえばこの場所ってなんて言う名前なの?」


 漠然と手を洗う場所としか認識していなかったので博識な彼女に聞いてみる。


手水舎てみずやって私は呼んでる。他にも呼び方は色々あるらしいけどね」

「ほぇ〜」


 彼女は何でも知っている。

 授業で頭を悩ませている時には助言をくれるのでとても有難い。時折よく分からないネタを挟んでくるけど気にしない。前の席の丸味まるみくんと浅日あさひさんが盛大にコケていたけど気にしない。


「紫陽花って本当はもう少し後に咲くんだけどここは違うみたいだね」

「そうなの?」


「うん、梅雨の時期に咲くんだよ」

「ほぇ〜」


 彼女は何でも知っている。

 お花の話題になると若干いたたまれない気持ちになるけど気にしたらダメだよね。わからない知識を身につけて僕は大人になっていくんだ。


「ちなみに私の下着にも花柄が多いんだよ」

「ぐふぅっ!」


 彼女は何でも知っている。

 僕の心を読んでいるじゃないかと言うほど何でも知っている。「うぇへへ」と笑う彼女にしてやられながら柄杓ひしゃくで清めの花水を掬う。


「……んくっ、冷たい」


 手・口・持ち手……彼女が掬う仕草に見蕩れてしまう。


 神聖な場所で神秘的な彼女の秘め事を見ているようでだんだん顔が熱くなる。


「あっ! ねぇ十蔵じゅうぞうくん」

「ひゃい!」


 何かを思い出したように僕の名前を呼ぶ。


「ハンカチポケットに入ったままなんだよね。取ってくれない?」

「えっ?」


 手から花水が滴る彼女の言葉に鼻水が出そうになる。間抜けな声で返事をした僕は自分のハンカチを出そうとするけど、今日に限って持ってきてない事に気付く。


「私のポッケからだよ」

「あうっ」


 プランとさせた彼女の手が妙に色っぽい。月詠つくよみの銀河のような制服のポケットに目が行ってしまう。


「ど、どっちに入ってるの?」

「当ててみて」


 えぇぇぇ……僕は女の子のポケットに手を入れなければいけないの?

 父さん母さん、僕はどうすればいいんですか?


「早くしないと風邪引いちゃう……へくちっ」


 わざとらしくくしゃみをする彼女に僕はたじたじになってしまう。


「ちなみに当てられなかったら罰ゲームね」

「そんなぁ!」


 いつも彼女は突然だ。

 早く早くと促されてしまうのでとうとう僕も覚悟を決める事に。


 おとこ十蔵行きます!


「し、失礼します」


 僕から見て右側のポケットに手を持っていく。


「あっん……」

「っ!!!」


 まだ何もしてないのに彼女は艶めかしい声を出す。


「ごめん、くしゃみが出ちゃった♪」

「絶対違うでしょ!」


 なんとも蠱惑的な表情の彼女はすこぶる楽しそうだ。


「い、いくよ?」

「うん、きて」


 なんで四十万さんは言葉ひとつ取っても色っぽく聞こえるんだろう。


 煩悩を地中深くに埋めて僕は修行僧の心で望む。


 ――スルリ


「……あっ、入ってきた」

「〜っ!!」


 彼女のペースに飲まれたらいけない。僕は入口に入れた手をゆっくり奥へ進める。


「んっ、十蔵くんって……暖かくて……思ってたより大きい……あっ」

「――っ!」


 煩悩を断て!

 いつもいいように遊ばれてる僕だけど、今日は男らしい所を見せるんだ!


「ひんっ……深くまできた……そんなに激しく動かしたら……私、わたしっ」


「…………こっちじゃないよね」


「てへっ♪」


 という事は反対か。


「僕の負けかぁ」

「まだ分からないよ?」


 なんですと?


「ほらほら〜反対もまさぐってみ?」

「ま、まさぐるって言い方っ!」


 まったく、四十万さんはまったくだよまったく。


「し、失礼します」

「2発目だね」


「え? 2回目だよね?」

「そうとも言う」


 そうしか言わないよね?


「先っちょが入ってきた」

「な、慣れたからもう平気……アレ?」


 反対側のポケットに手を入れるけど、触り心地がいい裏地にタッチするだけでお目当てのハンカチの感触が無い。


「アレ……ホントにない」


 ――ゴソゴソ


「あんっ、十蔵くんそこは敏感な所なの」

「ごごごごごごご、ごめん!」


 僕は今どこを触ったんだ?

 夢中で探していたら我を忘れてしまっていた。


「うぇへへっ。十蔵くんって意外と激しいね」

「そ、そんなこと……」


 とはいえハンカチが無いと彼女が風邪を引いてしまう。早く見つけてあげないと。


「ねぇ十蔵くん」

「なに?」


「この制服、もうひとつポケットがあるんだよ」

「…………」


 知っている。

 僕もその事は知っている。


「もうひとつも調べてみて」

「そ、それはいくらなんでも」

「へくちっ」


 わざとらしくくしゃみをして僕の退路を断ってくる。


 煩悩を断つのでは無く、煩悩を盾にすればいい。


 よく分からない思考に陥った僕は彼女に言われるがまま最後のポケットへと挑む。


 ――ふよんっ


「あっ」

「ご、ごめっ」


「……続けて」

「は、はい」


 ――さわさわ


「んっ」

「ほんとにごめっ」


「十蔵くんにならいいよ」

「〜っ!!」



 僕が触った絹のような手触りの代物はハンカチだったのか、はたまた――




「みゃおぉぉぉぉん」




 夕暮れの神社を後にする僕達に、ミケちゃんのお見送りの声が聞こえた。



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