第18話 親切と新雪の花緒道


 2月某日


 月詠つくよみ学園の入試の日、僕はいつもより早く起きて神社に行った。


「神頼みでも何でもやってみる」


 中学の先生からは「安全圏だから心配するな」とお墨付きを貰っていたけど不安なものは不安だった。

 昨夜から降り続けた雪を踏み締めて境内までの石段を登る。


「はぁ〜。うぅっさむさむ……でも徒歩圏内で良かった」


 吐いた息が雪と同じく真っ白に見える早朝。靴の側面が埋まる程度の雪だけどいつ交通機関が止まるかわからない。徒歩で行ける距離にある高校が僕の志望校で良かったとこの時は思った。


「にゃお」


 ん?

 ふと鳥居の脇から声が聞こえた。


「にゃ〜お」


 近付いて見ると可愛らしい守り神が僕の方をじっと見ていた。


「えへへっ御利益あるかな」


 冬毛仕様の三毛ちゃんの頭を軽く撫でると気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 僕の地元にある有名な『猫神社』ここから見える夕日が綺麗で昔から良く来ていた。


「っと、ごめんね三毛ちゃん」


 しばらくお猫様で暖をとった僕は本殿に向かって歩き出す。



 二礼二拍手一礼



「……どうか――」


 喉まで出かかった「合格できますように」との言葉を飲み込んでしまう。何故だかその時、両親の顔が浮かんだから。


十蔵じゅうぞう、学費は気にするな! 店は繁盛してるからな安心しろ! ガハハッ』

『そうよ十ちゃん。好きな所に行って青春してきなさい』


 私立月詠学園。

 受験をするまで知らなかったけど、私立と公立では授業料やその他の学費が全く違う。つまり僕が行こうとしてる学園は両親の血と汗と涙で成り立つという事。


二句森にくもり、自営業の両親を尊敬しろよ?』

『?』


 担任の先生がいつか言っていた言葉は今になって僕の心に響いてくる。毎晩帳簿と睨めっこをする母さん。肉の仕入れに業者と折衝をする父さん……僕の生活はふたりの頑張りで成り立っているのだと今ならわかる。



「どうか父さんと母さんが健康で幸せでありますようにっ!」



 自分の受験は自分でなんとかする。


 猫神社を去る時にもう一度三毛ちゃんが鳴いた気がした。



 ――――――



「よし、行こう」


 今から行っても十分時間はある。そう思った僕はいつも通っていた路地裏の道を選択したのだけど、


「あれ、あの人どうしたんだろう?」


 見ると着物の上にスカーフを羽織ったご婦人が手に紙を持って佇んでいる。


「どうかしましたか?」


 自然に出た言葉。

 これが分岐点だったのかもしれない。


「いえ、ちょっと……」


 知らない人に話しかけられたからかも知れないけど、ご婦人は僕を一瞥しただけでそっぽを向いてしまう。


 この時は少し冷たい印象のご婦人だったけど今なら分かる。中学校の制服を着ていた僕は受験生、そんな姿を見てご婦人は遠慮したのだと。


「どこかお探しですか? 僕、ここの近所なんでだいたいの所はわかりますよ?」


 困っている人がいたら助けなさい、それが自分の幸せに繋がるから。と両親からの教え。


「でも……」

「紙、見せてもらいますね?」


 僕も少し強引になっていたのかもしれない。この日にいい事をすれば何かが報われる気がしたから。


 紙を見て自分の脳内地図と照らし合わせる。綺麗な和紙に書いてあったのはどこかの住所。


「えっと……白百合しらゆり町って隣町ですね」

「あら……じゃあわたくしは降りる駅を間違えて」


 白百合町じゃなく月詠町で降りてしまったらしいご婦人は困った顔をしていた。


「ごめんさいね、もう大丈夫ですから」

「いえ、僕もそっち方面に行くので一緒に行きますよ」


 書いていた番地と見ている番地が違ったので、少しだけご婦人の事が心配になり僕はそう提案していた。


「安心してください。地理は得意なんです」

「そう? じゃあお言葉に甘えようかしら。うふふっ」


 初めて見せた笑い声はとても品があってドキリとしてしまう。


「お手をどうぞ」

「あら、こんな若い子にエスコートしてもらえるなんて嬉しいわね」


 本格的に雪が強くなってきたので僕はご婦人にそう提案していた。田舎のおばあちゃんのような親しみが沸いたのかもしれない。


 肉屋に来てくれるお客さんが好き。

 子供連れのお母さんも、立ち寄ってくれる学生さんも好き。その中でも僕はおじいちゃんとおばあちゃんが大好き。


「僕の家、ここの商店街の肉屋なんですよ。だから近くに来た時は寄ってくださいね」

「うふふっ。そうさせてもらうわね」


 商店街を通り過ぎる時に宣伝をしておく。こうやってお客さんを呼び込む事も大事だと教えてくれたから。


「挨拶が遅れましたね。わたくしは花緒はなおと言います。もしよろしければお名前を教えてもらえるかしら?」

「あ、僕は十蔵です! 二句森十蔵です」


「お肉屋さんの十蔵くんね。憶えたわ。素敵お名前ね」

「あ、ありがとうございます」


 口元を押さえながら仄かに笑う姿にやはりドキリとしてしまう。


「十蔵くんと呼ばせてもらっても?」

「は、はい。僕は……」

「花緒と呼んでくれていいわよ」


 えぇ……それは難易度が高いと言いますか。


「じゃ、じゃあ……は、花緒さんで」

「はい」


 後ろを振り向いた僕は雪の中の絵画を見た気分になる。凛とした佇まいに朗らかな笑顔、首を傾げた時に鳴るかんざしが上品さを底上げして見える。顔に刻まれた皺が花緒さんの人生を表しているようだ。


 それからしばらくは花緒さんからの質問に僕はタジタジになりながら答えていた。なんというか話が上手い大人というのは聞き上手なのだと思う。


「――中学の先生が」

「――昔の両親は」

「――僕は引っ込み思案で」


 気付けば結構プライベートな事まで語っていたと思う。しかし全く嫌な気分はしなくて、逆に悩みや胸中を聞いて貰えたありがたささえ感じていた。


「ありがとね十蔵くん」

「…………」


 もう少しお話がしたい。


 月詠駅に着いた僕はそんな感情を抱いてしまう。


 もっと花緒さんとお話したい。


 不思議と花緒さんにはそう思わせる何かがあった。


「花緒さん」

「なにかしら?」


 だから僕は口にした。


「送って行きますよ!」

「もう大丈夫ですよ」


「こ、この雪ですし、なんと言うか心配で」

「でもあなた、今日は……」


「だ、大丈夫です! 時間には余裕がありますし隣駅なんで」

「でも……」


 なおも渋る花緒さんに僕は少しずるいお願いをした。


「花緒さんといると落ち着くので……その、受験前のリラックスというかですね」

「……」


 チラリと懐中時計を取り出した花緒さんはしばらく黙り込んだ後に、


「十蔵くんがそれで万全になれるなら」


 と折れてくれた。


 パァッと明るくなった僕の顔を見て花緒さんが一歩、雪駄を寄せる。


「食べちゃいたいくらい可愛いわね、十蔵くんは」


 僕はその言葉の意味をよくわかっていなかった。



 ――――――



 花緒さんを白百合町まで送り届けた僕は駅で電車に乗ろうとして……乗れなかった。


『積雪により運行中止』


「えっ!?」



 しんしんと降りしきる雪のように僕の頭は真っ白に染まる。


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