第11話 半分このハート

 入学式から今日までで僕の人生は大きく変わっているのを実感する。


『――――――』


 画面の向こう側で繰り広げられるバトルとラブロマンス。その世界は妄想の先にしかないと思っていた。



「ひゃっ……わぁ」



 その世界は妄想なんかじゃないと可愛らしい空気の振動が教えてくれる。



「んっ……んふっ」



 数センチ隣から聞こえる空気の振動はすりーでぃーさうんどよりも現実味を帯びる。


「ねぇ、ジュース無くなっちゃった。ちょっとちょうだい?」

「……はい、どうぞ」


 このシートにして良かったと思う。

 この空間には僕と彼女しか居ないけれど、何故か小声で話してしまう。


「ちゅるちゅる……んくっ」


 アレ? ちょっと待って。

 言われるがまま僕の飲み物を渡してしまったけれど、コレってもしかして。


「ありがと、これ美味しいね。キャラメルポップコーンも食べてね?」

「あ、はい」


 今は映画に集中しよう。


 僕は彼女からメロンクリームソーダを受け取るとホルダーにストンと戻す。その時、ストローの先端から一滴の雫が手の甲に落ちる。


「――っ」


 集中できません四十万しじまさん!


『――――――』

『――――――』


 画面の向こう側で主人公とヒロインが言葉を交わす。


「……いいなぁ」


 心の風が漏れた音。


 僕はまだ彼女の事を何も知らない。

 どんな風に過ごしているのか。

 何を考えているのか。

 好きな食べ物や嫌いな食べ物。

 よく聴く音楽や読んでいる本。

 部活は入るのか。

 習い事をしてるのか。


 それに……彼氏はいるのか……とか。


 考えても始まらないけど、考え出したら止まらない。

 僕はいつしか1日のほとんどを彼女中心で考えるようになっていた。


『――――――』


 画面の向こう側でバトルが始まる。恐らくこれが最後の山場だ。彼女の方を横目で見ると姿勢を正して目を見開く。


「おぉ」


 このシートにして良かった。

 ふたりだけの空間で彼女のありのままの姿を見る事ができるから。


『――――――』


 画面の中では敵の攻撃が当たって主人公がピンチに陥るけど、それを庇うようにヒロインの子が盾となる。


 あぁ、この光景は既視感だ。

 つい数時間前の僕の姿。


 いつしか僕も主人公に感情移入してしまっていた。少し頼りなくてクヨクヨして塞ぎ込んでいたあの頃のように。

 たけど決定的に違うのは主人公が前を向いている事。


『――――――』


 ヒロインと隣り合わせでそっと優しく抱きしめて愛を囁く。


 僕も自分を貫き通す主人公になりたい。

 仄かな意志が胸に宿り拳に力が入る。


 キュッ


 不意に握っていた左の拳に温もりが伝わる。僕は一瞬固まってゆっくりと横目で覗き見ると。


「…………」


 真っ直ぐ画面を見つめたままの彼女は無意識の内に僕の手を握っていたのだ。


 あの時僕を守ってくれた女の子は、こんなにも柔らかく細い指をしていたのか。


『――――――行こう』

『――――――うん』


 最高潮の盛り上がりを見せる場面に僕も感化されてしまった。


 左手に込めた力を抜いて下を向けていた手のひらを反対にする。上から触れていた彼女の手のひらと重なり合わせるように。


 このシートで本当に良かった。

 だってこんなに可愛い彼女の姿を見る事ができたのだから。そしてそれを――独り占めできるのだから。


 ちょっとくらい大胆になってもいいよね?


 彼女との境界線のキャラメルポップコーンを空にして、黒髪からちょこんと出てる耳に向かって空気を震わせ。



 ――――――守ってくれてありがとう。



 主人公と同じ言の葉を僕は彼女に囁いた。




 ――――――――



十蔵じゅうぞうくん、やっぱり映画はえっちなヤツだね!」

「四十万さん台無し〜!」



 僕は知っている。

 それがお互い照れ隠しだという事を。


 緊張したり心臓が高鳴ると毛細血管が集中してる所が重点的に赤くなると聞いた事がある。僕はそっと彼女の耳を見て嬉しくなった。


「あははっ」

「私の事見つめて笑うなんて、十蔵くんえっちだね」


「そうかもね」

「ふぇ?」


 ちょっとくらいいつものお返しをしてもいいよね?


 キャラメルポップコーンとメロンクリームソーダのカロリーは既に僕から消えていた。気になるあの子と映画を見ると体力を使うんだね。新たな発見をしてしまったよ。


「お腹空いたね」

「うん」


「十蔵くんを食べていい?」

「それはちょっと」


「うぇへへ、本気だよ」

「冗談じゃなくてっ!?」


 冗談だよって続くと思ったのにまさかの本気。まぁそれも照れ隠しだと思って突っ込むのも楽しいよね。


「四十万さんは何食べたい?」

「にく」

「僕じゃ無くて!」


 全くホントに彼女はいつもこうだ。しかし僕は早とちりをしていた事に気付いていない。

 彼女はニヤッとした顔になって僕の目を覗き込む。


「お・に・く! だよ二句森くん」

「ふぇ?」


 あっ、これはもしかして僕の勘違い?


「ハンバーグとかステーキとかのお肉ですか四十万さん?」

「そだよ。デザートに十蔵くんのおにくを加えてくれたら満点だけどね」

「それは無しでっ!」



 違うフロアに降りて彼女の要望通り手ごねハンバーグ屋さんで向かい合わせる僕達。


「うぇへへ」

「どうしたの四十万さん?」


 オススメランチを2セット頼んで水をチビチビ飲んでいると彼女からいつもの笑いが聞こえてきた。


「今日初めて十蔵くんを正面に見た気がする」

「いやいやそんな事ないよ。映画前のカフェでも見てたし」


 どこかうっとりした表情の彼女は「ん〜」と考え込んでから口を開く。


「私って物語に影響されやすいんだよね」

「そうなの?」


「映画を観る前と観た後では感じる世界が違うっていうかさ」

「あ〜それわかるかも」


 僕も良く登場人物の真似をするから。


「映画の前の十蔵くんと今の十蔵くんでは、美味しさの質が違うってわかるんだよね」

「……」


 ペロりと舌なめずりをする彼女の目が怪しく光る。僕には全く分かりません四十万さん。


 もう一度水をチビチビ飲んでいると注文した料理がやってきた。


「お待たせしました。こちら本日のオススメ『純愛ハンバーグ』です。お互い大変お熱くなっておりますので『ふぅふぅ』して食べて下さいね♪」


「うぇへへ」

「ア、ハイ」


 考えちゃダメだ考えちゃダメだ考えちゃダメだ考えちゃダメだ。


 店員さんはきっとマニュアルに沿って言ったに違いない。それを僕が拡大解釈してるだけだ。


「食べよっか」

「うん」


 彼女は目の前に来たハンバーグをうっとりした様子で見ると備え付けのナプキンを丁寧に折り畳んで広げていた。


「ん? どうしたのナプキンになりたいの?」

「ち、違うよっ」


 僕はナプキンになりたい。確かにちょっと思ったけどそうじゃなくて。


「前から思ってたんだけど」

「うん?」


「四十万さんの食べ方って綺麗だなって」

「私が綺麗?」


 あぁ……うん、それもあるんだけど。一緒にお昼を食べるようになってずっと思っていた事。


 食べる時は髪の毛が邪魔にならないように後ろで結ぶ所も、背筋を伸ばして料理に向かう所も、箸の持ち方や口への運び方、そのどれを取っても見蕩れてしまう。


「うぇへへ。こればっかりは両親に感謝だね」

「そうなんだ」


 初めて彼女のプライベートに少しだけ触れた気がした。


「十蔵くん」

「ん?」


 今度は彼女が僕を呼ぶ。


「熱いからふぅふぅしたげよっか?」


 ハンバーグを切り分けた時の湯気が彼女に重なる。霞の向こう側に手を伸ばすように僕は無意識の内にコクリと頷いた。


「あっ、今のなし」

「ダメ〜……ふぅふぅ」


 問答無用で攻める彼女は天真爛漫にカラカラと笑う。そんな時間が嬉しくて愛おしくて……さっきの映画じゃないけれど、僕もいつか純粋な愛で応えてみたい。


「……四十万さんは本当にずるい」


「先手必勝だからね」と彼女はまた笑うのだ。



 ――――――



「美味しかったね」

「うん。量もあったし安かったし大満足!」


 お腹を軽く抑える彼女のお皿はハンバーグソース一滴も残っていない。一体どうやったらそんな綺麗に食べられるのかな。


「ねぇ、答えたくないならいいんだどさ。十蔵くんってお小遣い制?」


 お金の話を持ち出す時にそんな聞かれ方をされたのは初めてだ。それだけの事なのに彼女の好感度がぐんっと上がる。


「十蔵くん? 聞いちゃダメだった?」

「あっいや、そんな事ないよ。僕はお小遣い制だよ」

「そっか。ならここは割り勘にしよ?」


 胸の内を見られたような感覚にドキリとする。古い考えかもしれないけれど彼女のお食事代は僕が払いたいと思っていたから。

「先手必勝だよ」と言った彼女の言葉が深みを増した気がした。


「私はさ……半分こがいいんだよね」

「半分こ?」


 レシートを眺めながら少しだけ遠い目をした彼女はつらつらと語る。


「お食事代も半分こ、嬉しい気持ちも半分こ、怒った気持ちも半分こ、哀しい気持ちも半分こ、楽しい気持ちも半分こ」


 彼女と喜怒哀楽を分かち合える関係になれたら僕は何もいらないかもしれない。


「十蔵くんは、嫌?」


 そんなの答えは決まってる。


「嫌じゃない。嫌じゃないよ」

「そっか」


 大事な事なので何度も口にする。

 心の中ではその倍の数唱えた。


「じゃあえっちな気持ちも半分こだね……うぇへへ」

「なっ!」


 まだ彼女の事を理解するのは難しい気がする。真剣な顔もふざけた顔も好きだけど、やっぱりこんなふうに怪しく笑う姿がしっくりくる。



「「ご馳走様でした」」



 半分こにできないこの胸の気持ちをいつか彼女に届けよう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る