第二幕 箸を持つ右
「椿や、あんたもう十五だろう。」
母が眉間にシワを寄せる時は、俺へのお説教の始まる合図なのだと、俺はちかごろになって気がついた。
母のお説教の内容はたいてい、俺にはむずかしく、良く分からぬ。しかしそれが始まると、ご飯が不味くなることだけは確かである。
「母が眉間に皺を寄せると、ご飯が美味しくなくなることに、ちかごろ俺は気が付きました。ですので、少し試し事をさせて頂きます。」
俺は試しに、母の眉間のしわを左手で伸ばしながら、ご飯を食べてみる事にした。左手でやったのは、右手は箸を持つ方の手だからである。
「……どうしてか、ご飯は不味いままです。」
「やめとくれ!あんたは力が強いんだから!」
俺の手を払いのけた母の眉間には、さっきよりも深いシワが刻まれていた。反動と言うやつであろう。矢を放つゆづるのように、引っ張られる事でより強いシワが生まれるのだ。きっと。
「あんたが男なら、立派なお侍になれたろうにねぇ……。」
そう言うと母はご飯を食うのをやめて立ち上がり、仏壇の方へと手を合わせた。
俺の父は、俺が小さい頃に病で死んだ。それからなぜか、母の顔には、シワが沢山できるようになった。
「……男も女も、俺には大して変わらないと思うな。」
少なくとも、俺には男と女の区別があまり着かぬ。髪が長く、声の高い者が女だと言うが、本当なのかは、うたがわしい。
「本当に、馬鹿だねぇあんたは。……男だったら腕っ節だけで成り上がれただろうに。女のくせに毎日毎日腕立て伏せばっかりして、家事も出来なきゃ旦那も作らず。毎日毎日腕立て伏せ……。ほんっとに、馬鹿だねぇあんたは……。」
「……どうも、すみません。」
「俺っていうのもさ、いい歳の女なんだから止めなさいな。」
「……女の言い方は、こんがらがります。」
「ワタシって言うだけでこんがらがるんじゃないよっ!……ほんとに。」
「どうも、すみません……。」
「……もう良いよ。あんたが悲しそうにすると、あたしだって飯が不味いよ。」
この時もぐもぐと不味そうに飯を食っていた母が、朝になっても布団から出れなくなったのは、この何日か後のことである。
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