廃墟編02

 彼女の名は、神楽坂かぐらざかはかり。裕福な資産家のお嬢様で、二週間前、転校してきたばかりの彼女は、学校ではあまり目立つ存在ではなかった。教室では、常に独りで過ごしているところしか見かけず、昼休みもどこかへと行ってしまう。転校したての頃は休み時間の度に、クラスの女子から質問攻めに合っていたが、あまり社交的な性格ではないのだろうか、盛りあがっている様子はなかった。

 今では、教室で本を読んでいる姿しか見かけない。それでも、実に堂々としていて、何にも動じない神楽坂を、僕はかっこいいと思っていた。孤独である事を、何とも思わないようなその姿勢は、他の同年代の女子よりも大人びていて、一種の憧れに似た感情を僕は持っていた。


 しかし、そんな特異な存在である神楽坂を、周りがすべてそんな風に思ってくれるはずもなく。特に仲間意識の強い女子達からは、相当に疎まれていた。あからさまなイジメはないにせよ、陰口を言われているのは知っていたし、体育の授業では独りでいる事が多かった。

 まあ、性格と言うよりは、神楽坂の美貌が疎まれる原因の気がするが……。


 神楽坂は、転校してからすでに、十人以上の男子から告白されていた。絹のように、きめ細かな長い髪。大きな瞳に、筋の通った高い鼻。白い肌は、シミ一つなく、細く長い手足はモデルのようで、男子が黙っているわけもなく、よく告白されていた。

 しかし、どんな男子に告白されても断るばかりか、辛辣な言葉を浴びせる為、告白した男子はその場で固まってしまう。その様子から、一部では「メデゥーサ」と異名を付けられいた。


 そういう意味では、一部では相当に目立っていると言える神楽坂と、まったくの接点のない僕は、この廃屋に閉じ込められてしまっている。


 「それにしても、何で神楽坂はこんな廃屋に入って行った? 何か用事があったのか?」


 僕達が、ここに閉じ込められた理由は、神楽坂がこの廃屋に入ってしまった事が原因だった。


 それは二時間前の事。

 学校から帰る途中で、前を歩く神楽坂を見かけた僕は不思議に思った。それは、普段と違う通学路を神楽坂が歩いていたからだ。この二週間、僕が普段使っている通学路で、神楽坂を見かける事は一度もなかったので、何か事情があるに違いないと直感する。好奇心を刺激され、僕は神楽坂の後を追いかける事にした。

 それにしても、後ろ姿を見ているだけだが、それだけでも綺麗なのがわかるほど、神楽坂は美しかった。ピーンと伸びた背筋に、長い髪が似合っていて、ただ立っているだけなのに、映画のワンシーンの様に見えてしまう。資産家の令嬢と聞いているので、芸能界に興味はなさそうだが、僕がスカウトの人間だったら間違いなく声をかけているだろう。

 そんな事を考えていると、神楽坂は右へと曲がる。見失わない様に、慌てて右へと曲がると、神楽坂が振り返っていて、こちらを見ていた。


 「あら? 誰かにつけられていると思って、待ち伏せたのだけれど……誰なのかしら?」

 「え? 同じクラスの枢木安吾くるるぎあんごだよ」

 「枢木安吾? 同じクラス? ……まあいいわ。それで、あなたはどちらなのかしら?」

 「どちら――って、何の話だ?」

 「とぼけないで。面識のないあなたが、私に用があるはずもないのだから、答は二択でしょう。私の後をつけている変態ストーカーか、私を呼び出した変態男か」

 「変態は確定なのか?」

 「あら? 違うのかしら。あなたの様な冴えない男子は、大抵は変態と相場は決まっているものよ」


 初めて話をしたが、噂通りの毒舌の様だ。それに、完全に僕に対して警戒しているらしく、鞄を持つ手に力が入っている。

 それにしても気になるのは、さっきの言葉だ。ストーカーと言われれば、確かに僕はストーカーかもしれない。好奇心に負けたとは言え、神楽坂の後をつけてしまった事は、完全にストーカーと思われても仕方のないが、呼び出した――とは、一体何の事だろう。

 神楽坂が、いつもとは違う通学路から、帰っている事と関係しているようだ。何かのトラブルに巻き込まれて困っているのなら、僕は放っておけない性分だ。

 しかし、警戒心の強い神楽坂が、素直に僕の助けを必要とするはずがない。その為、僕が頼れる人間である事を証明する必要がある。


 「それで、今日はどこかに用事があるのか?」

 「何で、そう思うの?」

 「だって、いつもはこの道を使わないだろう? 多分、家とは反対方向じゃないのかな?」

 「随分と詳しいのね。やはり、変態ストーカーの方だったようね。それじゃあ、警察を呼ぶから、後は裁判所で会いましょう」


 僕の観察眼と推理力を見せつけるつもりが、完全に裏目に出たようで、このままでは逮捕されてしまう。この状況を、何とかして好転させないと、僕は犯罪者の汚名を被る事になる。

 焦る僕は、小細工をせず神楽坂の誤解を解くべく説得する。


 「待ってくれ神楽坂。何か誤解をしているみたいだから弁解させてくれ」

 「あら、言い訳なんて男をらしくない。……まあ、同じクラスから犯罪者が出たら、私も夢見が悪いから聞いてあげる。言ってご覧なさい」

 「さっき、呼び出されたと言っていたが、それでこの道を歩いているのだろう? 何かあったか教えてくれないか?」

 「何で、顔も知らない赤の他人に、教えなければいけないのかしら?」

 「それは……」


 同じクラスと名乗った僕は、顔も知らない赤の他人ではない気もするが、今は触れないでおこう。それより、ここは答えを慎重に選ばないと、今度こそ通報されてしまう。

 考えた末、神楽坂の言っていた言葉を使わせてもらった。


 「僕も神楽坂と同じだよ」

 「私と同じ? 何の話かしら?」

 「同じクラスの人間が困っていたら、僕は放ってはおけない。助け合うのが当たり前じゃないか?」


 人として、当然の倫理観を語ったつもりだったが、神楽坂には通用しないようだ。


 「つまり、あなたは偽善者って事かしら?」

 「偽善者って、随分な言われようだな」

 「あら、それとも何か見返りを求めているのかしら? それなら、納得が出来るけれども。何の見返りを求めず、他人を助けるなんて行為を、私は偽善としか思えない。これまで何度も信じても、その度に裏切られてきた私には……」


 それまで無感情に、淡々と喋っていた神楽坂が、表情を変え感情をあらわにする。過去にあった出来事を引きずって、このような捻くれた性格になってしまったようだ。

 そんな過去の問題を払拭する事は出来ないが、直面している問題を解決する事は出来る。

 僕は、神楽坂を助けたいと心から思った。しかし、素直に助けを受け入れるほど、神楽坂は簡単ではない。またしても、神楽坂の言葉を使わせてもらう。


 「そうだよ、僕は偽善者だ。本当は見返りがあって、協力しようと言っている。だから、僕に話してくれないか?」

 「……やっぱりね。一応、好奇心で聞いてあげる。何か目的なの?」

 「それは……。神楽坂、君と友達になりたいからだよ」

 「友達? 私と友達になりたいの? これが、あなたの見返りなの?」

 「ああ、そうだよ。僕は、女子の友達が少ない。だから、神楽坂の様なかわいい友達がいれば、それは大きなステータスになると思うんだ。だから、何か困っているなら、僕に手伝わせてくれないか?」

 「……ふ、あはははは」


 こんなに笑う神楽坂を見るのは初めてだった。大きな口を開けて、お腹を抱えて笑う神楽坂に僕はドキッとした。


 「……それで、どうなんだ? 僕に話してくれるか?」

 「そうね……。いいわ、話してあげる。けれど、勘違いをしないで。それと……後悔しても知らないわよ」


 こうして、僕は神楽坂から話を聞く事になる。信頼されたわけではないが、それなりに警戒心を解く事に成功したが、それは多分神楽坂の気まぐれだったのだと思う。


 それよりもう一度、神楽坂の笑った顔が見たかった。

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