Article 4. Who Stole the Heart? ⑥

 づきはあらためて自分の解釈を弓美ゆみに説明した。半信半疑で話を聞いていた彼女だったが、すべての説明を聞くと、納得したように言った。


「なるほど。鏡の国のアリスうんぬんについては何とも言えないが、ALISアリスの書き換えについてはおそらくその通りだ。一体、アイツは何考えてるんだ……」


 動機は葉月にも分からない。だが、うたはALISの生みの親の一人だ。ましてや、自分の人生を壊した元凶でもある。きっと何かしらの理由があるのだろう。


「謠子に会いに行きます。会って、話をしたいです」


 そう告げる葉月に、弓美が忠告する。


「一応言っとくが、これからやることは明確な違法行為だ。それからさっき話した通り、EASイーエーエス側の許可のない非公式接続で、何が起こるかわからない。私もこっち側で全力を尽くすが、身の安全は保証できない。それでも、行くんだな?」


「はい」


 葉月は強くうなずいた。ためらいなど、少しもなかった。


 葉月のその様子を見て、弓美は黙って接続用のデバイスを差し出した。自宅で使っていたおしゃれなヘッドセット型のものとは違って、ケーブルむき出しの物々しい姿をしたそれは、ずっしりと重たい。だが葉月は迷うことなくそれを頭に取り付けると、謠子の隣に横たわった。 


 左手をそっと彼女の右手に重ねる。優しい温かさが葉月の全身に流れ込んできた。そのぬくもりに、不安が溶けるように消えていく。大丈夫だ、と葉月は思う。謠子はちゃんとここにいる。


 弓美も葉月の横に座り、最後の作業とこれからの説明を始めた。ALISに入ったあとについての説明を一通り終えた弓美は、機械を操作する手を止めて、葉月の目をじっと見る。それから、ぽつりと言った。


「アンタをアイツの友人と見込んで、頼みがある。……謠子を止めてくれ。アイツを止められるとすれば、それはきっとアンタだけなんだ」


「弓美さんだって、謠子の友だちじゃないですか」


 少しだけ笑いながら、葉月はそう返す。


「友だちじゃないよ、残念ながら」そこで一度言葉を切って、寂寥せきりょう感をにじませながら弓美は続けた。「さっき話した通り、私は謠子が地獄の日々を過ごしていたときからの付き合いだ。私といる限り謠子は過去を切り離せない。私はアイツの近くにいるべきじゃないんだよ」


 予想だにしなかった返答に、葉月は冷や水を浴びせられたように口をつぐむしかなかった。


「だってそう思わないか? 私の顔なんて見たらさ、謠子はきっと辛かった日々を思い出さずにはいられない。……だから、アイツとの付き合いは続いてたけど、できるだけ深入りしないようにしてた」


 彼女の瞳が寂しく揺れる。


「それでも、謠子の方で私を必要とするのなら、その間だけはそばにいてやろうと思ったんだ。だから今回は首を突っ込んだ」


「弓美さん……」


「だけど、やっぱり私は、謠子の本当の意味での友人にはなれないんだよ。……でもアンタは違う。アンタは、謠子が自由になってから出会った人間だ。そこには何のしがらみもない。過去なんて関係ない、ゼロからの人間関係だ。だから、アンタなら謠子の過去を振り切れる。私はそう思ってる」


 葉月は、弓美という人間を誤解していた。本当は、ここまで友だち思いな人なのだ。痛ましいほどに。


「弓美さん」


「何だ?」


「今度、三人でカラオケ行きましょう。謠子も、きっと喜びますよ」


 デバイスから、準備が完了したことを知らせるものであろう音が鳴る。弓美は無言でもう一度モニターに向き直った。それから、必要な操作を完了させて、弓美がその旨を告げる。


「準備完了だ。覚悟はいいな? 夢の世界にトリップだ」


 機械が動き出すくぐもった音がした。眠くなるような感覚が急速に葉月を襲う。その時、弓美が振り返ってちらりと葉月の方を見ると、つぶやくように言った。


「アイツの歌、確かに聞いてみたいもんだな……」


 そう言う弓美の顔は切なげで、けれど少し楽しそうで。


 なんだ、やっぱり一緒にいたいんじゃないか、謠子はきっと気にしないのに――と思った直後、葉月の意識が落ちた。


                  *


 目が覚めたとき、葉月は一瞬ものすごく混乱した。いつもの森のものとは違う、妙にこもった空気が全身を包んでいる。直後に、弓美の説明を思い出して、落ち着きを取り戻した。


 弓美曰く、中央広場からほど近い街中の家で、葉月は目を覚ますとのことだった。すぐに地図を呼び出して、位置関係を確認しようとする。だが、呼び出した地図はぼやけてよく見えなかった。


 またしてもパニックになりかける葉月だったが、落ち着いてもう一つ重要なことを思い出す。葉月はベッドの横の袖机に手を伸ばすと、無心で辺りをまさぐった。あった。目的のものを手に取り、急いで顔にかける。度入りのレンズを通して、ようやく世界が正常さを取り戻した。窓の外に広がる夜空と街並みが、くっきりと目に映る。それからゆっくりと立ち上がって、自分の姿を確認した。


 まぎれもない葉月自身の姿だった。現実の自分と寸分たがわない。


 秘匿回線は非公式の接続なので、余分な機能は極力そぎ落とさざるを得ないと弓美は言っていた。もっと言ってしまえば、どうにか葉月の意識をALISに送り込むだけで精いっぱいだと。だから、アバターの姿を取るなど、とてもではないが無理とのことだった。かろうじて葉月のユーザーデータと――ALIS側にはそうと悟られないように――紐付けをすることはできたようで、最初に採寸した本来の体でもって、葉月はALISの世界に存在していた。


 葉月の体は正確に再現されている。だから、視力も現実のままだ。先ほど手に取った眼鏡は、葉月の懸念を受けて弓美が用意してくれたものだった。急ごしらえで対応をしてくれた弓美に、葉月は心の中で感謝する。それにしてもALISの世界で眼鏡の世話になるとは、と葉月は心の中で嘆息した。


 取り戻した視力で、あらためて地図を確認する。城から北東にある家。知らされていた通りの場所だった。


 考えている暇はない。とにかく中央広場の城に向かわなければ。


 窓から見える景色が夜のものだったので、まともに歩けるか心配だったが、これは杞憂だった。いざ家の外に出てみると、街灯はすべてついていた。城までは街が続いているから、道中は問題なさそうだと葉月は安堵する。


 もっとも、その明るさとは裏腹に、通りにはまるきり人気がなかった。一般向けの開放が終了している以上当たり前のことではあったが、それでも違和感はぬぐえない。ヴィクトリア朝の街並みが夜の帳の中に静かに横たわっている。ゴーストタウンそのものの様相に、葉月は少し身震いした。しかし、こんなところで止まっている場合ではない。葉月は己を奮い立たせると、城の方まで駆けていった。


 ほどなくして、城のふもとに着いた。


 葉月が一般ユーザーとしてALISにログインしていたときには、決して立ち入ることのできなかった城。赤の女王が鎮座する、この仮想世界の中心部。


 葉月はふと、赤の女王はいまどうしているのだろうと疑問に思った。彼女のお膝下であるあの城に入って、本当に大丈夫なのかと。だが、いまさら考えてもしょうがない。なるようになるだろうと、気持ちを固める。


 弓美からの情報によれば、城の東側の扉から中に入れるとのことだった。謠子の残したプログラムで、葉月にその権限を与えているそうだ。


 それらしき扉を見つけ、そろりと近づく。もし開かなかったらどうしよう、と不安に駆られる中、扉にそっと手を伸ばす。指が触れた瞬間、かちりと音がしてカギが開いた。そのまま扉を開けて中へと進む。


 城のふもとには広大な中庭が広がっていた。やはりここにも誰もいない。


 芝生の上を走り抜けながら、葉月は考えていた。


 弓美にはああ頼まれたが、一方で葉月の心は揺れている。謠子の話を聞かないことには究極のところは分からないものの、葉月には何となくこれからの展開が予想できてしまっていた。


 もし、自分の思ったとおりになったら。そのとき、自分は何を選ぶだろう――。


 中庭の最奥に城の建物部分へとつながる扉があった。ここも葉月が手を近づけると、先ほどのようにカギが開いた。


 城の内部は、松明の明かりに照らされていた。そんなことに気を取られている場合ではないにもかかわらず、足元に敷き詰められた絨毯のふかふかさに思わず驚く。すぐ目の前にある扉を開けると、その先には広間が続いていた。


 葉月がいる広間には、入ってきた扉から見て左右と正面の壁にそれぞれ一つずつ、計三つの扉が設けられている。さて――と葉月は考えた。謠子が城の中のどこにいるのか、それが最後の問題だった。もうヒントになりそうなものはない。謠子が行きそうなところを、直感で当てるしかなかった。葉月は城の全体像を思い出しながら、自分なりに思う場所に向けて足を進めていった。


 葉月の思考は、謠子と過ごした時間へと遡っていた。謠葉国憲法を作りながら時折意味深な言葉をつぶやいていた謠子の姿が脳裏に浮かぶ。彼女は平等というものに強い思い入れがあるようだった。いまになって思えば、そもそも最初にディストピアの憲法などというものを提案してきたのも、内なる願望の発露だったのかもしれない。


 それを彼女が自覚していたのかどうかは、葉月にはわからない。だがいずれにせよ、そうした謠子の内面こそが、平等の体現である謠葉国の実現という暴挙に謠子自身を駆り立てているように思われた。


 そこまで考えて、謠子はこんな風に自分の内面を分析されるのをどう思うだろうか、とふと葉月は想像する。きっと少し怒りながら、それでいてどこか楽しそうに、やめてくれと言うのではないだろうか。むすっとしながら頬を膨らませる謠子の姿が目に浮かんで、思わず笑みがこぼれる。――うん、きっと嫌がるだろうから、心理学者ごっこはここまでにしよう。いや、嫌がる姿もまた愛くるしいのだけれど。


 また扉を開けた。これでおそらく、目的の場所の真下に着いたはずだった。その証拠に、目の前にはひたすらに続く上りの螺旋階段がある。あとは、ここを駆けあがるだけだった。一歩一歩を踏みしめるように、葉月は上っていく。


 それにしても――と葉月は再び考えていた。これだけ一緒にいながら、謠子の一番大事な部分を知らなかったのか、と葉月は悔しさを覚える。謠子のことを、結局自分はまだ理解できていなかったのだと。だが一方で、小さな高揚感も感じていた。謠子には、まだ自分の知らない部分がある。それを知っていくのは、とても楽しみなことのように思えた。彼女との付き合いは、まだまだこれからなのだ。


 確かに、弓美が言うことにも一理はあるだろう。葉月は、謠子が自由になってから仲良くなった人間だ。それゆえに、過去のことを気にしないで付き合える。そういう心地よさを謠子は感じていたのかもしれない。だけど――。


 階段を上り切って、正面を見据えた。装飾の施された大きな扉が目に入る。葉月は少しだけ息を整えて、取手に手をかけた。


 だけど、やっぱりそんなのは嫌だった。謠子の過去も何もかも、受け入れた上で理解したい。そう葉月は思う。中途半端は好きじゃない性分だった。


 これから、すべての真相を問い詰めなければならない。きっと受け入れがたい真実もあるだろう。だが受け止めてみせる。


 だから謠子。


「ちょっとそこで待ってなさい」と小さくつぶやいて、葉月は扉を押し開けた。

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