Article 4. Who Stole the Heart? ④

 車を止めて降りたのは、古い小屋の前だった。相当年季が入っていて、心霊スポットだのなんだのと言われても、あっさり信じてしまえそうな見た目をしている。弓美ゆみはと言うと、車の後部座席からやたらと大きなカバンを引っ張り出そうとしていた。づきはその後ろから声をかけた。


「弓美さん、こんなところに来てどうするんですか。ALISアリスにログインするんですよね?」


「まあ見てなって」


 葉月の質問に、弓美は黙ってついて来いと言わんばかりの返事をした。先ほどのカバンを重そうに肩にかけている。一体何に使うんだろうと思いながら、葉月はおとなしく後をついていくことにした。


 小屋の入口の前まで行くと、弓美が胸のポケットから鍵を取り出して差し込んだ。そのまま回すと、ガチャリと音がして、ロックが外れる。


「ここ、弓美さんのものなんですか」


 鍵を持っているということは、そういうことなのだろう。まさか、合鍵を渡された彼氏の家ではあるまい。


「まあね。いろいろといわくつきのな」


 弓美の返事に、葉月は顔が引きつった。小屋の外見からすると、割とシャレになっていない。そんな葉月にはお構いなしに扉を開けた弓美は、ずかずかと小屋に入り込んでいった。葉月も後に続く。


 小屋の中は、埃っぽかった。当然のように電気はついておらず、中の様子はよく見えない。入口と窓から差し込む光だけが頼りだったが、ガシャンと音がして扉が閉まると、中はいよいよ薄暗かった。弓美は勝手知りたるという風で、暗がりも意に介さず玄関から土足で中に上がると、そのまま突き進んでいく。置いて行かれてはたまらないと、葉月は小走りで弓美に駆け寄り、思わず右手で彼女の服の裾を小さくつかんだ。


「なんだそのムーブは。お前、意外とかわいい奴だな」


 弓美がからかうように言う。だが、葉月としては冗談じゃなかった。こういうところはかなり苦手だった。


 そうこうしているうちに、ようやく目が慣れてきた。よく見ると、小屋の中が結構広いことに気づく。玄関から繋がっている部屋は、それだけで小学校の教室ひとつ分はありそうだった。向かいの壁には扉がついていて、さらにその先にも部屋があるようだった。


 部屋の中には、古ぼけた家具がいくつか置いてあった。どれもしばらく使われた形跡がない。部屋の床と同じように、うっすらと埃が積もっていた。


「隣の部屋だ」


 弓美が、壁に取り付けられた扉を指差す。こちらの部屋には特に用はないようだ。葉月はふと、床の埃の上に足跡が残っていることに気づいた。それも何往復分も。


 誰か、先客がいるようだった。葉月は思わず身震いした。


 弓美が扉を開けた。蝶番のきしむ音が不気味だった。それを抜けて、二人とも隣の部屋に入る。


 こちらの部屋も、玄関側の部屋と同じような様子だった。古びた家具、積もった埃、残された足跡。弓美は部屋の反対側の隅へ行くと、そこで足を止めた。足元を見やれば、続いていた足跡もここで途切れている。


「何もありませんけど……」


 不安になって思わず問いかけた。だが、弓美は葉月を無視して床にかがみこむと、おもむろに例のカバンから何かを取り出した。


「ドライバー……?」


 弓美が手にしていたのは、どこにでもあるマイナスドライバーだった。何を思ったか、彼女は突然それを床につきたてる。何事かと思って見ていると、今度は全身でグッと体重をかけた。


 すると驚いたことに、床の一部が持ち上がった。弓美がそれをうまくつかんで、少しずらす。床に、大きな穴が開いていた。その先には、地下につながる階段らしきものが続いている。


「上の、この建物の部分はダミーだよ。本命はこの下だ」


 弓美があっさりと言ってのけた。葉月は驚きに固まっていたが、やがてぽつりと言った。


「弓美さん、からくり屋敷なんか所有して、何の趣味ですか」


「私とかうたみたいな手合いには、こういう悪いことできる場所が必要なんよ。さ、行くぞ」


 葉月の皮肉を軽く受け流して、弓美は例のカバンから今度は懐中電灯を取り出して点けると、階段を下りて行った。慌てて葉月もついていく。葉月はもちろんそんなものは持っていないので、弓美だけが頼りだった。


 しばらくいくと、明かりが見えてきた。地下には電気が通っているらしい。階段を下り切ったところにまた扉があった。弓美がそれを開けて、二人で中に入る。


 中の様子を見た葉月は目を疑った。


 そこには膨大な量の機械が山と置かれていて、目まぐるしく点滅を繰り返していた。


「弓美さん、これって……」


「おそらく、ALISに強制接続するための機械だ」


 呆然とする葉月に、弓美が説明した。


「ALISに強制接続って……。ていうか、『おそらく』って、これは弓美さんのものじゃないんですか?」


「ああ……。多分奥の方だな、ほら、こっち来てみろ」


 弓美は葉月の質問には答えずに、奥に来るよう促した。弓美についていってみると、機械類の死角になっていて見えなかったところに敷物が敷いてあった。


 そこに、謠子が横たわっていた。


 謠子の頭には、周囲の機械からケーブルの伸びたデバイスが取り付けられている。まるで理解不能な状況だったが、彼女につながるデバイスが、ALIS接続用のヘッドセットに類するものであること、謠子の意識がいまALISの中にいるであろうことは、葉月にも想像がついた。


「ははん。なるほど、そういうことか……。うーん、思ったよりもよろしくない状況だな」


 辺りの機械類を確認していた弓美が、一人でぶつぶつとつぶやいている。ALIS開発に声がかかるだけのことはあって、機材を見ただけで何が起きているか彼女は理解したようだった。


「弓美さん、早く私をALISに繋いでください。謠子に会いに行かないと」


 葉月が焦るように言う。一刻も早く謠子に会いたかった。のんびりと現状分析をしている暇などない。


 だが反面、弓美は急ぐようなそぶりを見せなかった。いらだつ葉月を諭すように説明する。


「おいおい、いいか。いまのALISは完全にEASイーエーエス社の手の内だ。ALISに接続する人間は完全に監視されている。セキュリティをかいくぐる必要があるからちょっと待て」


 弓美の説明はもっともなものに聞こえたが、葉月はもどかしかった。横たわる謠子の顔はどこか苦しんでいるように見える。ALISの中でも、謠子は一人で同じ表情を浮かべているのだろうか。そんな謠子の寝顔を見ているうちに、葉月は一つの妙案を思いついた。


「そうだ、別にALISに行く必要はないじゃないですか! 寝てる謠子を現実に戻せばそれでいいはず!」


 そう言って謠子を叩き起こそうとすると、弓美が大慌てで止めに入ってきた。


「あ、おい! 待て、馬鹿!」


「なんで止めるんですか、離してください!」


 抵抗する葉月だったが、弓美はそれ以上の力で必死に押さえつけようとしてくる。もみ合いながら、弓美が絞り出すように言った。


「謠子の脳は、ALISと密接にリンクしてるんだ! 謠子もEASのセキュリティをかいくぐって秘密裏に接続してる。非公式接続だから、無理に引きはがすと謠子の脳に何が起こるかわからん! 頼むから馬鹿な真似はやめてくれ!」


 その言葉を聞いて、葉月はふっと全身の力を抜いた。弓美が肩で息をしながら、説明を続ける。


「一般公開の実証実験のときは、そりゃ安全確保が最優先だからな。一般ユーザーに何かあったらALIS自体一瞬でおとりつぶしだ。それで、ユーザーがどんな状況下に置かれても生身の体に影響が出ないよう、赤の女王が最優先で必要なコントロールをしてたはずだ。もちろん、現実の側からたたき起こした場合でもだ。だけど、いまの謠子はそのバックアップを受けられない。だから変に触ると後が怖いんだよ。焦るのもわかるが、少し待ってくれ。謠子は秘匿回線でALISに接続してる。ここの設備を調べれば、その接続方法がわかるはずだ。私たちも同じやり方でアクセスできる」


 葉月は、自分がとんでもなく恐ろしいことをしようとしていたことに気づかされて、寒気がした。一旦冷静にならなければならない。気を落として座り込む葉月に、弓美が声をかけた。


「大体仕組みはわかったから、十五分もあればいけるはずだ。……秘匿回線で接続する方法があるってのは、前々から謠子に匂わされてたんだよ。それで、私の方でも自分なりに調べて準備はしてきたんだ」


 弓美の声色になんとなく苦いものが混じっていることに、葉月は気づいた。例のカバンから「準備」と思しき道具をいろいろと取り出しながら、弓美が話を続ける。


「あんたと最初に学食で会った日、私と謠子はチェシャ猫の話をしてた。あんたが謠子に教えたあれだよ」


 葉月は、真由まゆとの飲み会でチェシャ猫について話して聞かせたことを思い出す。そのあと学食で弓美と出会って、それから謠子とケンカしたことも。まだほんの数週間前の出来事なのに、もう遠い昔の出来事のようだった。


「謠子が休学をやめて復学してからも、ちょくちょく会ってはいたんだ。ALISのことなんかなかったみたいに、他愛もない話ばかりしてた。でも急にあらたまって、相談事があるって……」


「ちょっと待ってください。謠子が休学⁉」


 葉月は思わず弓美の話に割って入った。弓美が諭すように言う。


「さっきも言っただろ。アイツの父親が死んだのは、ほんの一年ちょっと前だ。それまで謠子はずっと表の社会とは関わることなく生きていた。父親の指示で大学に籍だけは置いてたみたいだけど。それが、親父が死んで自由になって、大学側に才能を買われて、四年生までの必要単位は全部取得扱いの特例で復学だ。そんなこんなで、謠子は知る人ぞ知る有名人だよ」


 真由に相談に行ったとき、彼女が謠子の名前を聞いて「有名人」と言っていたことを葉月は思い出した。准教授であれば教授会などにも出席するだろうから、そのあたりで謠子のことも話題に上がったに違いない。それで謠子のことを知っていたのかと、いまさらながら腑に落ちる。


「謠子の父親が死んだ後、家に残された設備やら何やらを足が付かないように処分する必要があって、私はそれにも手を貸してたんだ。それも終わって、謠子は完全に自由の身になったのさ」


 さっき言っていた謠子との「いろいろ」とは、彼女の身辺整理のことだったのだと葉月は思い至る。そういう意味では、謠子にとって弓美は恩人でもあるということか。


 やや話がそれてしまったことに気づき、葉月は本筋に戻ることにした。


「謠子は、いったい何を相談していたんですか」


「力を貸してほしいと言われた。チェシャ猫の正体を追ってると」


 そんな弓美の説明を聞いて、葉月はハッとする。


「謠子が正体を追ってたって……。それはつまり、チェシャ猫は謠子じゃなかったって、そういうことでいいんですよね?」


 葉月は、謠子こそがチェシャ猫だったのではないかという疑念を、ずっと抱いていた。だが弓美の口ぶりからすれば、二人は明らかに別人ということになる。


「なんだ、そんな風に考えてたのか。謠子はどうもチェシャ猫に思うところがあったみたいだったよ。私もまさかアイツ自身の口からALISの話が出るとは思わなくて、驚いたけど……」


 葉月はその話を聞いて、なぜだか安堵していた。

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