Article 4. Who Stole the Heart? ③

 弓美ゆみの説明の中で、づきは一つ気になったところがあった。


「弓美さん。さっき、陽奈子ひなこちゃん……うたの妹さんもALISアリスの開発に携わってたって言いましたよね。陽奈子ちゃんの死とその件は関係があるんですか?」


「陽奈子ちゃんは、過酷な日々の中で体調を崩して、亡くなったって聞いてる。そのことについては、謠子もあまり話したがらない。もちろんこっちから突っ込んでは聞けないし。……私も陽奈子ちゃんとは一度だけ話したことがあったけど、かわいらしい子だったよ」


 弓美が無念そうに言う。葉月も胸の奥が痛んだ。


「そんなこんなで、謠子はALISを作っていた。もちろん、大部分は蔡原さいはら博士が作業していたんで、全部が全部じゃないけどな。なにせALISはEASイーエーエス社の最重要機密だ。社員の娘ごときが知っていていいことじゃない。謠子と陽奈子ちゃんの関与は、EAS社には完全な秘密だった。もちろん私の関与も。ただ、あの公私混同クソ親父は、それを会社側に悟らせないような方策を軽々と実施できるくらいには、天才だった。ほんと、馬鹿に頭脳は与えるもんじゃないよ。神様はつくづく何がしたいのかわかんないね」


 ハンドルを握る弓美の手は、力がこもって白くなっている。


 葉月は弓美の言葉を聞いて、さっきから気になっていたことを質問した。


「弓美さんは、この件にどう関わっていたんですか?」


「ああ」と声を上げて、弓美が思い出したように答えた。


「最初の話に戻るんだけど、とにかく謠子は協力者を探していた。ALISの実現には、人工知能とシミュレーションに関する知見が不可欠だったから、その分野に強い人間を見つけて、声をかけていたんだ。そのうちの一人が、私」


 またびっくりするような話だった。その理屈で言えば、弓美もALISを作った人間の一人ということになる。そのことを指摘すると、弓美は笑って言った。


「ああ? 私も謠子ほどじゃないけど天才だからな。……というのは冗談で、まあ広い意味で言えば私も関わってたことになるのかもしれないけど、ほとんどおまけみたいなもんだよ。それに、開発の方に関しては私は早々に戦力外通告を受けたから」


 弓美の言葉は、どことなく自嘲気味なものだった。それから、「そのあとまた別の形で謠子とはいろいろあったんだけど……」と言って、そのまま弓美は口をつぐんだ。


 弓美の言う「いろいろ」も気になるところだったが、積極的に話さないということは今回の件とは直接関係ないのだろうと、葉月はそれ以上追求しなかった。代わりに、彼女の話を聞いて新たに浮かんだ疑問について尋ねることにした。


「あの……。人工知能って、AIのことですよね? ALISと人工知能って、何か関係があるんですか?」


 葉月の問いに、弓美が「いまさら何を」と言わんばかりの顔をした。


「赤の女王が人工知能だろ?」


「あ、そうか、赤の女王か。……あの、弓美さん。前々から気になってたんですけど、赤の女王が人工知能ってことは、彼女は意思を持ってるということですか? 私たちが認識できていないだけで、彼女は何かを考えている?」


 機会があれば謠子に聞きたいと思っていたことだった。ただ、謠子はALISの話があまり好きではなさそうだったので、葉月はずっと遠慮していた。――謠子がALISを忌避していた理由は、いまになってようやく分かったが。


 そんな葉月のかねてからの問いに、弓美は心底呆れたように言った。


「あんた、謠子と一緒にAIとずっと戯れてたんじゃないのか……。根本的なところで間違ってるよ。人工知能だからといって、別に意思があるわけじゃない。連中は単に与えられた条件に従って、機械的に反応を返しているだけだ。あんたの国の統治者も赤の女王も同じ。そういう意味では、別に赤の女王も、所詮ALISの街中にいるボットたちと変わんないよ。ただスケールと能力が桁違いなだけで」


 葉月はなるほど、と思った。言われてみればという感じはするが、課題をこなしていたときはまったく理解できていなかった。人工知能というものは難しい。


「じゃあもう一つ、ALISとシミュレーションっていうのも関係があるんですか?」


 葉月の質問に、弓美はいよいよ勘弁してくれよ、といった表情を浮かべた。ため息をつきながら葉月に答える。


「おいおい……。あんた少しは本とか読まないのかよ。あのな、ALIS自体がある主の巨大なシミュレーターなんだぞ? ああもう、仕方ないな……イチから説明してやるよ」


 いらだちを交えつつも、弓美は一つ一つかみ砕いて説明をしてくれた。


「いいか? ALISは一定の条件、これはすなわち事前にプログラミングされた、ALIS世界のルール――現実で言うなら物理法則そのものだな――に基づいて、シミュレーションをする。ある一定の値を入力されれば、それを処理して一定の値を返す。きわめて単純、シンプルな構造だ。じゃあALISに入力される条件は何かっていうと、あんたの脳みそと体の状況。あんたがいつも被ってたヘッドセットは、脳の状況をスキャンしてALISにデータを入力してる。体の方は、初回ログイン時に採寸されたろ?」


 そういえば、最初にALISにアカウントを作るときに、EAS社から送られてきたスーツを着た。異様なまでにぴちぴちで、誰もいない自分の家なのに妙に恥ずかしかった記憶がある。その話を聞いて、葉月はふと、同梱されていた注意書きの内容を思い出していた。


「体格が大きく変わったときは採寸し直せってのは、体の状況が大きくずれちゃうとまずいからってことだったんですね」


「ああ、その通りだ。怪我したとか太ったとか、そういうのは物理的に再測定するしかないからな」


 何となく、ALISの仕組みが分かってきた。


「入力については、わかりました。そうやって取得した情報をALISにあらかじめ設定されたプログラムに基づいて処理しているだけだっていうのも。じゃあ、出力っていうのはなんですか?」


 葉月は、弓美の説明を整理しながら問いかけた。


「出力は、ALIS内の自分がそれだよ。現実世界の脳の動きを数値化して、自分と鏡写しの人形を仮想空間内に出力、再現しているのさ。そしてALISのすごいところはここからなんだ」


 弓美の声に熱がこもる。謠子と同様、情報科学に対しては相当な熱意があるらしいことが葉月にも伝わってくる。二人のそりが合うのも納得だった。


「ALISはな、仮想空間での人形の状態、体の動きとか脳の働きを取得して、今度はそれを現実世界のあんたの脳みそに再出力している。つまり、ALISは自分がシミュレートした結果を入力元に再送して、それ自体に影響を及ぼしてるんだ。あんたが手を振ろうと思えばALISの中であんたの人形は手を振り、手を振ったという感覚が、あんたの脳にフィードバックされる。脳は、現実に手を振ったと『騙される』わけだ。だからALISの中で経験したことは、脳からすれば全部本物。これは本当に区別がつかない」


 ALISの中での体験は、現実のようにしか思えない。そのことは葉月もその身をもって知っていた。


「それでも私たちがALISの中の出来事を現実じゃないと認識できるのは、『ALISは仮想空間で、そこにログインしている』っていう記憶があるからさ。逆に言えばそんな記憶だけが、ALISの中で起きたことは全部フィクションだって言える唯一の根拠だ。どうだ、なかなか不安になってくるだろ?」


 難しい話だったが、何となくは理解できた。記憶という曖昧なものによって現実と仮想空間とを区別するしかないというのも、そう指摘されると確かに不安になる。


「とにかく、現実と仮想空間とで相互に情報をキャッチボールして、現実の私とALISのアバターが完全にリンクする仕組みになってる、ってことなんですね。大体こんな理解であってますか?」


 葉月の要約に、弓美は黙ってうなずいた。


 ALISは、人間の脳の解析結果をもとに、ALIS自身の中に何百万と言う人間を再現している一個の巨大な機関だった。それはまるで、人間が夢の中で家族や友人や同級生やらを再現しているのと同じみたいに――。その時、葉月はふと引っかかるものを覚えた。


 ALISの夢。――どこかで聞いたようなフレーズ。


「そろそろ着くぞ」


 だが、到着を告げる弓美の声にかき消されて、それもうやむやになってしまった。

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