Article 3. A Nomads' Tea Party ⑨

 次の水曜日。何の連絡もなく、うたは立法学を欠席した。


 急な体調不良だろうかと思い、メッセージアプリで連絡を取る。だが返事はなかった。講義が終わった後、一人では何もできないので、仕方なくづきは真っ直ぐ帰宅した。その後も謠子からの連絡を待っていたが、結局その日メッセージが届くことはなかった。


 こんなことは初めてだった。いつも、連絡をすればすぐに返事がくる。謠子はそういうタイプの人間だ。何かあったのではないかと葉月は徐々に心配になってきた。


 どうすればいいか悩んだ葉月は、ふと、弓美のことを思い出した。彼女なら何か知っているかも知れない。


 弓美ゆみからは、連絡先を交換したあと時々メッセージが来ていた。他愛もない話ばかりだったが、葉月としても無視するわけにもいかず、しぶしぶ応じていた。そんなこんなでやり取りを続けるうちに、弓美が決して悪い人ではないのだろうということは葉月にも伝わってきた。前に謠子が言っていた通り、元来が粗野な性格なだけなのだろう。向こうから要求されてのことだったが、「弓美さん」と名前で呼ぶ程度には距離は縮んでいた。


 だが、葉月の方から連絡を取るのには、正直言って少しためらいはあった。やはりどうしても初めて会ったときの印象がぬぐいきれない。いざこっちから連絡をして、また変に扱われたらどうしよう、とそんなことも思った。だが結局、謠子のことを心配する気持ちが勝った。


 葉月は意を決して弓美にメッセージを飛ばした。内容は、謠子と連絡がつかないが何か知っているかというものだった。


 すぐに返信が来た。


“そっちから連絡してくるの、珍しいな。”


“まあ……。それで、謠子のことなんですけど。”


“アイツ時たまこういうことあるからなあ。そのうちひょっこり顔だすよ。”


 それで終わりだった。弓美はまったく気にしていない風だった。


 返事は期待していた内容とは違った。だが、旧知の弓美がそう言うのだから、そういうものなのかもしれない。謠子にだって、一人になりたいときはあるだろう。


 何となく気持ちが落ち着かなくて、ともにも連絡をしてしまった。


“心配になるのもわかるけど、お互いいい大人でしょ?”


 葉月は何も言い返せなかった。


“それなりの付き合いもあるんだから、信じて待ってあげればいいんじゃないの?”


 確かに彼女たちの言う通りで、たかが一日連絡が付かないくらい、普通なら別にどうということはない。だが、いまは普通ではないのだ。――なにせ彼女たちは、ALISアリスでのことを知らない。 


 葉月は考える。今日のことは、やはりALISにまつわる何かなのだろうか。


 ――いつか必ず、話せるときが来たら言うから、それまで待ってくれるかしら。


 謠子の言葉が脳裏によみがえる。あのとき、謠子はまだ自分には話せないと正直に言ってくれた。


 さんざん考えて、弓美と友世からの意見もあり、結局葉月は信じて待つことを選んだ。


 気晴らしもかねて、ALISにログインした。主要な観光もすでに済ませていたので、いつもの中央エリアに行く。相変わらずの盛況ぶりだったが、喧騒の中で葉月は不穏な噂を耳にした。どうも、チェシャ猫が運営に捕捉されたらしい。いまでは目撃情報も途絶えているとのことだった。


 葉月は、猛烈な不安に襲われた。胸のざわつきが抑えられない。


 ――もし謠子がチェシャ猫だとしたら? 謠子は本当に大丈夫なのだろうか。


 念のため、運営のアカウントにも話を聞いてみた。これまでの葉月であれば自分から誰かに話しかけるなどあり得ないことだったが、謠子を心配する気持ちの方が優先された。だが、運営にとってもセンシティブな話題に直接答えてもらえるはずもなく、それとなくはぐらかされた。ただ、その口ぶりからすると、どうやら噂は本当のようだった。


 両者が同一の存在であるかはともかく、謠子の欠席とチェシャ猫の失踪は、やはり何らかの関係があるように思えてならなかった。


 丸一日悩んで、葉月は腹を決めた。


 一週間待ってみよう――。来週の水曜日、もし謠子がまたしても立法学に来ないようであれば、もう一度弓美に相談する。


 だが頭ではそう決めても、心まで簡単に従ってくれるとは限らない。不安で叫び出したくなるような衝動をどうにか抑えながら、葉月は悶々とした気持ちで数日を過ごしていた。


   *


 六月三十日。六月最後の立法学の講義日。そして、ALISサービス終了の日でもある。世間もちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。今日が終わる深夜零時きっかりをもって、ALISは終了する。一部ではALIS内で盛大にカウントダウンを行おうという動きもあった。どういうカラクリかメディアの中継も入るらしい。


 葉月もALIS終了はそれなりに気になっていたが、やはり別のことで頭がいっぱいだった。


 今日、謠子は来るだろうか――。


 教室には、少し早目についた。いつも座っている席でフリーグラスを起動し、何となくニュース記事などを読んでいたが、ほとんど頭に入ってはこなかった。教室の扉が開くたびにそちらに目をやっては、謠子ではないことを確認して一人肩を落とす。そんなことを、葉月は十分ほど繰り返していた。


 間もなく授業が始まる時間だ。ひょっとして今日も来ないのだろうか、と不安に飲まれそうになったとき、また扉が開いた。今度こそ、と思いながら顔を上げる。


 謠子だった。


 思わず目が合った。「おはよう」と謠子が葉月に声をかける。その様子は、まるで何事もなかったかのように平静そのものだった。そんな彼女の様子に戸惑い、葉月も「おはよう」と返事をすることしかできなかった。


 直後、横山よこやま教授が入ってきた。講義が始まろうとする中、葉月は小声で謠子に聞いた。


「先週はどうしたの? 連絡したのに全然返してくれないし」


「ごめんね、葉月。ちょっといろいろあって。でももう大丈夫よ。心配かけてごめん」


 謠子は淡々と説明をした。とにかく、謠子が無事で現れたことにまず葉月は安堵したが、同時に、何か引っかかるものも覚えていた。彼女の声のトーンには、なんとなくいつものハリがない。


 授業は滞りなく進んでいった。謠子の様子も一見すると普段と変わりない。いつものように真面目に講義録を作り、真剣に話を聞いているように見えた。だが、葉月は自分の中に生じた違和感をぬぐいきれなかった。言葉にして説明はできない。それが何なのかはわからない。ただ、今日の謠子の雰囲気は、いつもと確かに何かが違うような気がしていた。

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