Article 3. A Nomads' Tea Party ⑧

「……さて、そろそろ続きを始めましょうか」


 うたが作業の再開を宣言した。


「とはいっても、これからの課題は?」


 今日のシミュレーターの結果を読み解けるのは謠子だけだ。づきはそう尋ねるしかなかった。もっとも、この質問にはもう一つの含意があった。つまり「そろそろできることもなくないか?」という示唆だった。


「そうね……。だいぶいろんなことをやってきたから、もうそう簡単には課題も思いつかないのだけど」


 謠子も弱り声だ。


「もう、いまの憲法だって相当ディストピアだよね」


「そうなのよねえ……」


 互いに万策尽きたか、沈黙が流れる。


「二番目に効果があったのは?」


 とにかくヒントになるものがないか、葉月は探ってみることにした。


「『集会および結社の制限』ね。人が集まることで革命勢力が出来上がるから、これを止めるのにかなり役立ったみたいよ」


「人が集まるのを止めればいいのか……」


 それから、葉月はまた考えを巡らせた。


「やっぱり、人と人とのつながりがあると、革命勢力の醸成につながっちゃう。人間同士のつながりを切ればいいのかな……。ねえ謠子、人間結合の最小単位は?」


 葉月のいきなりの問いかけに、謠子はうーんと指を唇に当てて考える。


「この世界で最も小さくて最も強固な人のつながり……夫婦かしら?」


 謠子の答えを聞くや否や、葉月は「それだ!」と叫んだ。


「家庭を解体すればいいんだ。うん、これはむしろ人の集まりを解体するというよりは、思想統制に寄与しそうな気もするね」


「革命勢力の形成を止めるんじゃないの?」


 謠子が疑問を投げかける。


「それもあるんだけど、愛情に規制をかけられるっていうのが強いと私は思うんだ。それがどんなものであれ、強い感情を持つことはディストピアにとって望ましくない。その熱がいつ国家に向かうかわからないから。私たちからすれば、国民の精神は常に死んでいてくれた方がいい。何も考えず、何にも心動かされず、与えられた労働をこなすために尽くしてくれれば、これほど安定した秩序はないよね」


「さながら感情の熱的死ってとこね。この上ない調和と秩序だわ」


 葉月は、興奮したように話し続ける。


「私たちは感情に規制をかけたい。じゃあ一番強い感情って言ったら?」


「愛ね」


 謠子の答えに、葉月は黙ってうなずいた。


「家庭の形成を禁ずれば、愛情を育むのは難しくなる」


 そう言うや否や、葉月はさらさらと条文を打ち込んで、謠子のフリーグラスに飛ばす。


(家庭の制限)

第○条 家庭の形成は、これを認めない。


「ついに私たちは、人の愛すらも奪ってしまうのね」


 謠子が感慨深そうに言う。条文を入力して、謠子はシミュレーターを起動した。ところが、なぜかすぐに停止してしまった。


「あれ……おかしいな。どうしたんだろう」


 葉月が心配そうにシミュレーターを覗き込む。謠子が状況を確認して、すぐに笑い出した。


「ああ葉月、私たちったら、基本的なことを見落としてたわ。家庭、結婚ができなかったら、子どもができないじゃない!」


 葉月は「あっ」と思わず声を上げていた。完全に失念していた。謠子が続ける。


「もちろん、結婚しなくたって子どもは産めるでしょうけど、相当いびつな社会になるわよ、これ。大手を振って妊娠、出産できる世の中に比べたら、明らかに出生数は減るわ。ディストピアは人口減で自滅まっしぐらね」


 ううむ……と葉月はうなり声をあげる。方向性は間違っていないと思ったが、どうすればいいかすぐには思いつかなかった。


「とりあえず、避妊を禁止しましょうか?」


「……それはチャウシェスクの二の舞になるよ。二十世紀後半のルーマニアは地獄だったんだからね謠子」


 避妊を禁じた結果、国中が貧しい子どもだらけになった、遠い西洋の国に思いを馳せる。


「うーん。じゃあフリーセックスを推奨、いっそ義務化でもする? 産めよ増やせよ乱れよ交われ」


 葉月が悩んでいると、謠子が素っ頓狂なことを言い出した。


「いやいやいやいや。何てこと言ってんの謠子! それはなんか違うでしょ」


 慌てふためく葉月の様子を見て、謠子が意地悪げな表情を浮かべた。


「あらら? 葉月さんったらウブなのねえ……」


「う、うるさいな! そんなのどうだっていいでしょ!」


 しかし、謠子はじとっとした目つきをやめようとはしない。まとわりつく何かを振り払うように頭を振って、葉月は謠子の提案を却下した。


「とにかく、そんなわけのわかんないルールはなし!」


「ええ……。いいと思ったのになあ。恋愛資本の独占は格差を生むわよ。うたこくが掲げる平等とは相容れないのに……。みんなの体はみんなのもの。フリーでファジーでデカダンスよ」


 最後はよくわからない英語で締めくくられた。確かに、平等さという観点で言えば、謠子の話にも一理はあるような気がしたが、葉月としては断固受け入れがたい内容だった。かたくなに抗議する。


「とにかく嫌なものは嫌! むしろやるなら逆だ逆! 全員ガチガチに管理してやる、これはこれで平等だろう!」


 そう言うと、葉月は一心不乱に条文の作文を始めた。謠子は相変わらずにやついた顔で葉月を見ている。そんな彼女の目線を遮るように、謠子のコンタクトに条文を飛ばした。


(生殖の制限)

第○条 謠葉国民の生殖は、国の管理に服する。交配および生殖の自由は、これを認めない。

 二 執行機関は、自由な交配または生殖が行われないよう、あらかじめ必要な措置を講じなければならない。

 三 子供は、国が管理し、その保育および教育は、国が行う。

 四 家庭の形成は、これを認めない。


「さっきの条文とくっつけたよ。子どもは謠葉国を構成する重要な財産だから、国が責任を持って管理する。勝手に産むのは認めない」


「なるほどね。この第二項の『必要な措置』っていうのは前も似たようなのがあったけど、これまたずいぶん不穏ね」


 謠子の意識が憲法に向いたようで葉月は一安心する。一応、真面目な話をする気はあるようだ。


「人口コントロールは社会秩序維持にとって重要課題だからね。試してみないとわからないけど、おそらく自然妊娠が不可能になるよう、生まれた時点で国が処置を施すことになるんじゃないかな」


「ということは、葉月は人工授精で人口を維持することを想定しているのね」


 謠子が葉月の立法意図を汲んでくれた。


「うん。国が産み、国が育てる。これで、社会はまた一段と安定するでしょ」


「遺伝子操作の技術が進歩すれば、そのうち特定の能力に特化した国民が生まれるかも。いわゆるデザイナーベイビーというやつだわ。必要な能力の人間を必要なだけ作る。ここまで来ると、出生と言うよりはむしろ生産ね。人間の尊厳なんてあったもんじゃないわ」


 謠子の言葉は言いえて妙だった。謠葉国は、いまや巨大な人間工場と言ってよかった。


 と、突然、謠子が首をかしげた。


「あの、葉月さん、質問なんですけど」


 謠子の口調に、葉月は非常に嫌な予感がした。背筋に寒気を覚える。


「自然妊娠の可能性を排除するなら、『交配の自由』を制限する必要って、あるの? 別に好きにさせておいてもよくない?」


 葉月は、うっ、という表情をする。謠子の指摘は正しかった。おそらくこの部分は、憲法には不要だろう。謠子がまたしてもからかいの目を向けた。


「あらあら、葉月さん、ひょっとして、私怨じゃないの……?」


「ち、違うって! 別に深い意味とかなくて、なんとなく書いちゃっただけ!」


「なるほど、無意識の発露というわけね……」


「おのれ……」


 完全にもてあそばれていた。謠子は笑いを抑えるので精いっぱいなようだった。反撃とばかりに、葉月が言葉を返す。


「そういう謠子さんの恋愛事情はどうなんですか」


 へ? という声を上げて、謠子が固まった。顔がみるみる真っ赤になっていく。もしいま謠子が鏡を見たら、自分の顔の間抜けさに驚くだろうと葉月は内心ほくそ笑む。どうやら、クリティカルヒットのようだった。


「わ、私は! ほら、いままで、そういうの……ないから…………」


 謠子の語尾がどんどん小さくなっていき、しまいには聞こえなくなった。しばらく二人で見つめあって固まっていた。葉月が、おもむろに口を開く。


「……やめようか」

「……やめましょう」


 相手をいじると、それがすべてブーメランとして自分に返ってくるという不毛な構造に、二人ともようやく気が付いた。二十歳を過ぎた女子大生同士の会話としては、あまりにも寂しすぎる。


「と、とりあえず、これで回してみようよ」


 葉月が、気を取り直して言う。いらぬ墓穴に身を埋めている場合ではなかった。課題の提出日は近い。


「そ、そうね。やりましょう、ぜひ進めましょう」


 謠子も葉月の提案に同調した。


 シミュレーションの結果は上々だった。人口コントロールにより、ディストピアの存続期間は、またしても大幅に伸長していた。


「これは現実の憲法には存在しない概念だけど、かなり効果的だったっぽいね」


「子どもも作れない、結婚もできない、親の愛情を知らず、教育は国からディストピア万歳の思想を植え付けられるだけ……。随分恐ろしい国になったわね」


 そう謠子が感慨深げに言う。


「この国を表す言葉があるとすれば、まさに『ディストピア』だろうね。私たちの理想は、もうほとんど達成されたと言っていいんじゃないかな」


 実際、思いつくことはあらかたやりつくしたように思われた。存続期間は、もうゆうに一万年を超えている。政治、文化、経済、社会のどこを切りだしても、映画や小説で見たようなディストピアそのものと言ってよかった。


「来週からは、細かい調整に入りましょうか」


 謠子が提案した。


「そうだね。提出は二週間後だから、それまでに調整と、あとは発表用の資料を作らないと」


 課題ももうすぐ終わりだ。そう思うと葉月は少し寂しい気持ちを感じた。なんだかんだで、丸二か月取り組んできた課題だった。ここに来るまでにいろいろなことがあったなと、振り返ってみる。あと少しだ、頑張ろうと葉月は自分に言い聞かせた。

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