Article 3. A Nomads' Tea Party ⑦

 もう何度目かの打ち合わせだった。ディストピア憲法を作ると決めてから、実に二か月がたっていた。いつもの自習室も蒸し暑さを増してきている。課題の提出期限まではもう三週間を切っていた。


「そろそろ追い込み始めないとかしら」


 うたが険しい顔をする。


「とりあえず、前回は表現の自由の制限だけをやったんだったね。そのあとに、あんな感じになっちゃって……」


 づきはばつが悪かった。


「その話はもうなしよ、葉月。私だって悪かったんだし。それより、今日から追い込み、かけるわよ」


 発破をかける謠子に勢いづけられ、葉月は用意してきた大量のひっくり返し条文を謠子のフリーグラスに飛ばした。前に作ったものはすでに送っていたが、追加分をさらに謠子に渡す。


「手元の憲法で使えそうなのは片っ端から否定形にして条文化してきた。もう、『制限する』とか、『認めない』とか、書き飽きて死にそうだよ」


 葉月から送られてきたテキストデータを確認しながら、謠子が労をねぎらう。


「お疲れ様。すでに葉月が送ってくれていた分は、シミュレーター用に調整が済んでるわ。早速初めましょうか」


 謠子もやる気十分なようだった。それから二人は条文を読み込ませてはシミュレーションし、をしばらく繰り返していた。いまの憲法の逆を行く作戦は大成功で、一つ一つの条文を実装していくたびに、ディストピアの存続期間は大きく伸びていった。


「よし、これで事前準備分は終わりかな」


 シミュレーターが停止したのを確認して、葉月はやれやれといった調子で告げた。


「少し休みましょうか」


 謠子も同意して、小休止を提案する。椅子の背もたれに寄りかかりながら、葉月はけだるい声で尋ねた。


「ちょっと甘いもの買ってくる。謠子、何かいる?」


「あら、ありがとう。じゃあ、アイスをお願いしていいかしら」


 謠子の要望を聞いて、葉月は教室を出て行った。


 葉月が買い物から戻ってくると、謠子は実験データの整理をしているようだった。コンビニの袋からプリンを取り出しながら、葉月はなんとなく尋ねてみた。


「いろいろ試したけど、結局どれが効果的だったのかな」


 謠子がフリーグラスに記録したシミュレーション結果のまとめを確認する。左手と目線で記録のチェックをしながら、右手で葉月から受け取ったアイスを開封していた。器用だなあと思わず感心してしまう。


「そうねえ、ちょっと待ってね。……それにしても、一個ずつ試すっていうのは、思ったよりも骨が折れたわね。課題のためとはいえ、過酷な労働だわ」


 謠子の言葉通り、葉月たちはあえて一つずつ条文を実装してはシミュレーションするという煩雑な作業を繰り返していた。憲法を完成させるというだけであれば、考えてきた条文をまとめて一回でシミュレーションすることもできた。もしそうしていればこんなに時間を食われることもなかっただろう。だが、葉月たちはそうしなかった。


「課題なんて作り終わったらはい終わりでいいのに。なんでその上発表なんてさせられなきゃいけないのか……」


 立法学では、課題を提出した後、各班で取り組みの概要と工夫したポイントを発表することになっていた。つまり、法を作ったら終わりではなく、そのあとの発表のために今度は資料をまとめなければならない。小分けにして作業を進めていたのは、端的に言えば報告のネタ集めのためだった。


「研究というのはそういうものよ、葉月。やったらやりっぱなしじゃ、新たな知見も生まれないわ」


「謠子はホントに真面目だなあ……」


「とにかく、一つずつ試したおかげで、データとしては十分なものが集まったわ。どの条文がディストピアの存続に大きく寄与したか、どの条文がまったく役に立たないものだったか、実装の順番もいろんな組み合わせを試したし、相互に関連する条文の相乗効果についてもたくさんのデータが取れてる。ふふ、きっと興味深い論文が書けるわよ」


 げんなりする葉月とは対照的に、謠子は実に楽しそうだった。きっと、生来の知的好奇心というか、物事に対する興味の熱量が根本的に違うのだろう。視界いっぱいに広がっているであろう実験結果は、謠子にとってちょうどいいおもちゃに違いない。すくったアイスが溶け出していた。


「で、質問の答え! 今日試した中では、結局どれが一番だったの?」


 自分だって知的好奇心くらいあるし、というささやかな抵抗のつもりで、葉月は質問を繰り返した。今日は毎回の結果をいちいち謠子に確認せず、流れ作業で大量に条文をさばいていった。シミュレーション速度も謠子が適宜調整していたし、しまいには並行して何本もの憲法パターンをシミュレーターに走らせていたようなので、葉月は最終的な結果をまったく知らなかった。


「ふふ、葉月はどれだったと思う?」


 謠子が試すような目線で葉月を見る。くそ、焦らしやがってそういう趣味か――などと思いながら、葉月はしぶしぶ考えを述べた。


「そうだなあ……。裁判を受ける権利の制限とか? 『国民は、裁判を受ける権利を有しない』ってやつ。裁判なんかしてたら、粛清するのに手間かかってしょうがないし、これで一気に秩序維持がしやすくなったと見た」


 あながち間違ってはいないのではないかと密かに期待する葉月に、謠子が楽しくてたまらないと言った表情をする。


「ぶっぶー! 葉月の大外れ! 残念ながら、裁判を受ける権利の制限は、むしろディストピア体制を弱体化させる方向に働いてるわね。これを入れた回は軒並み存続期間が縮んでいるもの」


「えー! なんでよ!」


 衝撃の回答に、葉月は納得がいかなかった。


「分析結果を見る限り、裁くっていう行為自体が、ある種の正義を世の中に知らしめるのに一役買ってるのよね。裁判をすると、被告人がディストピアへの反逆者だってことが明々白々になるわけよ。反逆者が厳粛な法廷で公権力に糾弾される、ってイベントを目の当たりにすると、みんな国の権威への帰依が増すみたいだわ。裁判て、国家権力を見せつける一種のセレモニーでもあるのね」


「うーん……。なるほど」


 言われてみれば、納得できる話でもあった。よくよく考えれば、フランス革命時代のギロチンと大差ない。あれは民衆の娯楽としても機能していたが、革命政府の権威権力を見せつけるのにも、きっと一役買っていたことだろう。歴史を学べと言う真由の言葉が頭をよぎる。


「とにかく、葉月ちゃんは大外れよ。残念でした」


 からかう謠子に、葉月は三たび詰問した。


「で、結局正解はなんなのさ!」


「正解はね、『国家教育』でした! これは、葉月がちょっとひねって作った条文で、教育を受ける権利を義務っていう形にひっくり返したのよね。うん、『教育を受ける権利を有しない』ってしなかった葉月の妙案だと思うわ」


 いきなり褒められて、葉月は照れてしまう。「ありがとう」と小さく言って、それから続きを促した。


「これは、国が思想を子どもに植え付けるのに大きく寄与したの。小さいときからディストピア万歳! って育てられるから、うたこく民はみんなディストピアに疑問を持たなくなったわ」


「思想統制をするなら、確かに教育って大事だよね。もっと早く気付くべきだった」


 急速に悔しさが湧き上がってきた。


「まあ、言われてみれば簡単なことでも、意外と思いつかないってよくあるわよ」


 謠子がそう返した。そういうもんかあ、と葉月はうなるしかなかった。

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