Article 3. A Nomads' Tea Party ⑥
待ち合わせ場所は、
彼女のいるテーブルまで向かっていき、無言で前の席に座る。
「何か飲む?」
謠子が尋ねる。
謠子がウェイトレスを呼んでくれた。
「あ、アールグレイを」
「ダージリンを一つ」
二人の声が重なった。顔を見合わせて、二人とも少しはにかむ。
少しの沈黙。
迷うことなど何もなかった。今日は、伝えたいことを伝えに来たのだから。
意を決して、口を開く。
「あのさ、この前のことなんだけど」
目を見て、はっきりと。もう、あのときみたいな後悔はしたくないから。
「ひどいこと言って、ごめんなさい」
謠子は静かに笑って、葉月の言葉にうん、とうなずいた。それから、謠子も口を開く。
「私も、あの後ずっと考えていたの。謝らなきゃいけないって。葉月、私の方こそ、嘘ついてごめんなさい」
うん、とうなずいて、葉月も笑った。
紅茶が来た。
「葉月も、紅茶飲むようになったんだね」
ダージリンを口にして、謠子が言う。
「謠子のせいだよ」
その言葉に謠子がまた笑った。アールグレイは、すっかり葉月のお気に入りになっていた。
謠子が、少し真面目な顔に戻って言う。
「最近、ちょっといろいろあって、それで、全然周りのことに気が回らなくなってたの。自分でも不思議なくらい余裕がなくなってて」
謠子の言葉を、一つ一つ受け止める。もう、謠子に気兼ねしたくないから、きっと許される仲だと信じていたから、葉月はあえて聞いた。
「それって、
謠子の瞳が小さく揺れたように見えた。それでも、少し間をおいて、ゆっくりと彼女は答えた。
「私はもう、葉月に嘘はつきたくない。だから、正直に答えるわ。確かに、ALISと関係のある話よ。でも――」と謠子は一度言葉を区切る。「……まだ詳しいことは話せないの。いつか必ず、話せるときが来たら言うから、それまで待ってくれるかしら」
謠子がそう言うのなら、返事は一つだった。
「大丈夫だよ。謠子が話したくないっていうんだったら、私もそれ以上は聞かない。謠子が話したいって思うまで、私は待つよ」
葉月のその言葉に、謠子は表情を微かに崩して、ありがとう、と小さく言った。
それからしばらく、二人は静かに紅茶を飲んでいた。
「あ、そうだ」と言って、謠子が唐突に足元から傘を取り出した。よく見ると、葉月の傘だった。
「この間、葉月、忘れて行ったでしょう?」
どうやら、謠子がわざわざ持ってきてくれたらしかった。
「そんなわざわざ……。ありがとう」
謠子から傘を受け取りながら、葉月は礼を言う。
傘を見て、そういえば今日は珍しく雨が降っていないな、とふと思った。気持ちの良い晴れ模様というわけではないが、それでもひと時の落ち着きを感じさせる、素敵な曇り空だった。そんな窓の外の様子を見ながら、葉月は考えていた。
もう一つ、謠子に言わなければいけないことがある。
でも本当は、遅すぎるなんてないはずなんだ――。こうして二人で向かい合って話せる限り、いつだって遅すぎるなんてことはない。
お互いのことをどう思っているかなんて、今日ここに二人が集まったことで、もう十分に証明されているはずだった。それでも、やはり言わなければいけないと思う。伝わっていても、通じていても、言葉にするということは、大切なことだから。
だから、いまからだって葉月は言う。これを伝えるために、今日はここに来た。
「ねえ謠子、前に私にした質問、覚えてる? ほら、
「ええ、覚えているわよ」
謠子が、そっと葉月の目を見つめた。
「いまさらなんて思われるかもしれないけれど、私、謠子のこと、友だちだと思ってるよ」
ふっ、謠子がと口元をほころばせる。そして少しの間。それから、いつものように穏やかな口調で彼女が答えた。
「ありがとう。私も、葉月のことを友だちだと思っているわ」
ようやく言えた。
嫌われるのが怖かったから、これまで他人とは深く関わらないようにしていた。期待して裏切られるのが嫌だったから、他人のことは信じないようにしていた。でも、謠子と出会って、それが間違いだったことに気づいた。
ずっと胸につっかえていたものが取れて、葉月はすっと気が楽になった。謠子が言葉を続けた。
「私、実はあの後少し後悔していたのよ。あんな質問、するべきじゃなかったなって。だって、自分と誰かとの関係性なんて、わざとらしく言葉にするものでもないものね。なのに、それを誘導させるような質問になってしまっていたから。でも、いまこうして葉月と話すことができているから、結果的によかったのかなって、少し救われたわ」
謠子も謠子なりに、ずっと悩んでいたようだった。
「私も、あんまり他人を友だち友だち言ってる人のこと、好きじゃない。でも、今回は一つのけじめだと思って、伝えようと思ったんだ。だから、気にしないで」
率直な気持ちを伝える。謠子が、肩の力を抜いたような表情をした。
「私もね、葉月に話したいことがあるの」
いきなりあらたまって、何だろうと思う。いいよ、と葉月は続きを促した。
「私ね、実は、家族がいなくて」
突然の告白に、完全に固まってしまう。なんとリアクションしていいかわからなかった。
「あ、別にそんな重い話をしたいわけじゃないから楽にしてくれて大丈夫よ。自分の中では整理もついているし」
硬直する葉月の様子を見てか、謠子が言葉を続けた。それでも、つらい話には違いないはずだった。謠子はそれを自分に話そうとしてくれている。きちんと受け止めようと、葉月はそう思った。
「私と妹が一人と、あとは母親と父親がいたんだけどね。いろいろあってそうなっちゃった」
そう口にする彼女の顔は、やはりどこか苦しそうだった。妹がいたなんて初耳だった。当然その子は――。
「あの、気を悪くしたらごめんね。その妹さんは……」
「ううん、大丈夫よ。妹は、
「そうなんだ……」
「とてもかわいらしくて、いい子だった。二人で遊んだのを、昨日のことのように覚えているわ」
黙り込む葉月を見て、慌てた様子で謠子が付け加えた。
「えっと、家族がどうこうっていう話がしたかったんじゃないのよっ。私が言いたかったのは、そんな感じであんまり人と親しくする経験がなかったから、葉月がいてくれて嬉しいってことなの!」
重苦しい雰囲気から一転、そんなことを言われると、照れるしかなかった。
いままでの自分なら、適当にかわしていたかもしれない。でも謠子の前だけは、素直でいられるような気がした。謠子にだけは、素直な自分を見て欲しいと思った。
だから、葉月は言う。
「そっか、ありがとう」
シンプルだけど、心からの一言だった。
喫茶店を出ようとしたとき、雨が降っているのに気づいた。いつの間にやら降り出していたらしい。
「あら私、葉月の傘は持ってきたけど、自分の分を持ってこなかったわ。用心しとくべきだったわね」
謠子が、悔しそうに天を仰ぐ。葉月は傘を広げて、謠子に言った。
「入る?」
謠子が少しびっくりしたような顔をして、それから笑顔で体を寄せてきた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お邪魔します」
「その代わり、謠子が傘もって。ほら、身長的にあれじゃん」
そっぽを向きながら言う葉月に、謠子が柔らかな声で答える。
「はいはい、わかりました」
二人はぴったり並んで、喫茶店の前の通りを歩いて行った。
そのあと、二人はバカみたいに遊んで過ごした。カラオケに行って、流行の曲も昔の曲もいろいろ歌った。意外にも謠子が音痴だったのが、葉月には新鮮だった。割と何でもできるタイプだと思っていたから、こんなところに弱点があるなんて。謠子も自覚があるようで、少し照れながら歌うその姿は、どこかいとおしかった。それから、映画を観に行った。泣かせる恋愛系の映画だった。案の定涙ぐんでいる謠子をみると、相変わらず感情表現が素直だなあと思う。映画館の近くで夕食を楽しみながらたくさん話をした二人は、最後に駅までの帰り道にかる橋の上で、眼下に流れる川を横並びで見つめていた。
「この川って、どこにいくのかしらね」
謠子が、下を向いたまま尋ねる。
「どこって、そりゃあ海でしょ」
葉月も、下を向いたまま答えた。
川沿いの木々が水面に反射して、まだら模様を作っていた。
「私、海って見たことないのよね」
謠子の言葉に、葉月は驚いたように顔を上げて彼女をまじまじと見つめる。
「え⁉ だってここ東京だよ? 東京湾くらい見たことあるでしょ。なんなら、いまから行く?」
「あー、うん。さすがに東京湾は見たことあるわ。私の言い方が悪かった。あれよ、いわゆる大海原ってやつ? 青い海! 白い砂浜! みたいなの」
謠子が、慌てて訂正をした。それでも、いまどきそんな人がいるなんて想像もしなかった。曲がりなりにも日本は島国なのだ。人も歩けばいずれ海にあたる。
「謠子は東京には海がないと言う――的なあれかと思ったよ。まあ、それにしたって珍しいと思うけどね」
「そういうものなのね……」
謠子が寂しげな様子を見せる。そんなに気落ちされるとは思わず、葉月は戸惑ってしまう。元気を出してもらおうと、あたふたと言葉をつないだ。
「じゃ、じゃあ、海いこうよ。全部終わって、夏休みに入ったらさ」
謠子の顔が、パッと輝いた。
「え⁉ 本当! やった、ありがとう。わー! 嬉しいわ!」
そんな謠子の様子を見て、葉月はまた心が温かくなる。謠子は、浮足立った様子で一人楽しそうに呟いていた。
「夏休みって、八月ね。うーん待ち遠しいわ。八月、八月。あ、葉月ね」
いきなり名前を呼ばれて、しかしそうではないことに気づく。どうやら、月の名前を言っているらしかった。
「やめてよそれ、なんかこそばゆい」
「えーいいじゃないの。葉月と葉月に海に行く」
まったく聞く気のなさそうな謠子に、はあ……とため息をつく。だがこんな他愛もないやり取りさえも、かけがえのないもののように、いまの葉月には思えた。
突然、謠子の手が髪に触れた。びっくりして動けずにいると、そのまま優しく頬を撫でられた。
じっと見つめられる。
「葉月、今日はありがとう。とっても楽しかったわ」
夕食のワインのせいだろうか、そう告げた彼女の顔にはほのかに赤みがさしている。なぜだか胸がどきどきした。そのどきどきに従うまま、左頬に触れた謠子の手に、そっと自分の手を重ねる。とても温かかった。そのまま、ぎゅっと握る。
「ううん。私こそ、本当に楽しかったよ。謠子、ありがとう」
しばらく二人で見つめ合っていた。
「海、見に行こうね。約束だよ」
葉月の言葉に、謠子がうん、と小さくうなずいた。
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