Article 3. A Nomads' Tea Party

Article 3. A Nomads' Tea Party ①

 翌日、世間はALISアリス終了の話題で持ちきりだった。朝のワイドショーでも特集が組まれていた。づきのフリーグラスに飛び込んでくる電子ニュースでも、デイリーランキングの上位をさらっている。


 葉月は、生活リズムは崩さないタイプだった。変なところで真面目だと自分でも思うが、とにかく、毎朝七時には起きるようにしている。木曜日は二限から四限まで授業が入っていた。水曜日と同じく十時半までに大学に着けばいいので、朝は比較的ゆっくりできる。


 のんびり朝食を食べながら、ワイドショーを眺める。画面の中では神経質そうなおじさんがしきりに持論をまくし立てていた。いわく、ALISのこんなに唐突な終了は、某国からの圧力があったに違いない、ということだった。


 何でこんなやつゲストに呼んだんだよ……などと思いながら、葉月はトーストの最後のひとかけらを口に放り込んだ。


 ただ、陰謀論おじさんの指摘もあながち的外れなものでもないようだった。公的メディアの報道であるかインターネット上の雑多な書き込みであるかを問わず、今回のALIS終了に関しては、総じて「突然すぎる」という意見が大勢を占めていた。葉月としても同感だった。


 一般的なサービスなら、終了まで半年から一年の猶予期間は取ってもおかしくない。ましてやALISはちょっとしたブームになっているくらいだから、ユーザー数も相当なものだ。一応は実証実験だったとはいえ、終了まで一か月もないというのは、素人目に見ても異常としか言いようがなかった。


 テレビを消して時計を見る。図書館で少し調べ物をしようと思って、今日は早目に家を出る予定だった。いま向かえば一時間くらいは図書館で過ごせるだろう。


 電車内のディスプレイに流れるニュースでも、やはりALISについて触れられていた。乗り合わせたサラリーマン風の男たちが、思い思いに意見を交わしている。


 普段はあまり意識していなかったが、最新鋭の仮想現実は、単なるブームのレベルを超えてそれなりに世間に浸透していたようだ。ALISが終了するというこのタイミングにあって、あらためてそのことを思い知らされる。


 朝の図書館は空いていた。


 法律書の棚でめぼしい本を何冊か見つけ、適当な席に着く。机に積んだ本から一冊を手に取って気になる部分を見つけると、葉月はフリーグラスを起動して、ページを一枚一枚めくっていった。


 図書館の書籍はすべてデータ化されているが、一方で紙の本も依然として置かれていた。紙のページをデバイスに認識させると、大学側のサーバーから該当ページをデータで取り寄せられるようになっている。この方法であれば、紙で見つけて、すぐにデータで持ち運ぶことができる。図書館内は昔ながらの十進分類法で整理されていて、分野別に関連書籍を探したい場合には、紙の本にあたる方が都合がよかった。それに教授陣は二十一世紀初頭の生まれが大半で、彼らにとってはなんだかんだ紙の方がなじみがあるらしい。そうしたいくつかの事情を踏まえて、紙とデータとのいいとこ取りをしたこの仕組みに落ち着いたのだろうと、葉月は勝手に分析している。


 何となくある分野に関連する記事を探したいときは、紙の方が調べやすいと葉月は常々思っている。いまの図書館の在り方は葉月の好みにぴったり合ったスタイルで、とても気に入っていた。


 文献に目を通しながら、しかし、葉月の意識はALISのことに向いていた。


 最近こそ課題で忙しくてご無沙汰だったが、昨年十月にサービス開始して以来、ALISはもはや葉月の生活の一部といってよかった。あとひと月もしないうちにそれが消えるかと思うと、何か胸に大きな穴が開いたような錯覚を覚える。最近はほとんどログインしていなかったにもかかわらずだ。どうやら、「あるけどもやらない」ということと、「ない」ということには大きな違いがあるようだった。


 そんなことばかり考えていて、せっかく早く大学に来たにもかかわらず、結局作業はあまりはかどらなかった。あっという間に十時半になり、葉月は講義へと向かう。


 二限の講義は、必修の民法だった。出席をとるわけでもなく、別に出る必要もないものだった。なのに、葉月は出席していた。少しでも課題の役に立つかもしれないと、そんな思いからだった。


 そこでふと、葉月は自問する。課題のためなどと言うが、そもそも真面目に課題に取り組む必要など果たして本当にあるのだろうか。


 確かに、横山よこやま教授に一泡吹かせてやろうという思惑があったのは事実だし、その思いはいまも消えていない。ただそれにしても、ほどほどのところで済ませてあれば十分で、根を詰めて真面目に取り組む必要など、本当はどこにもないはずだった。


 だが不思議なことに、手を抜こうという気は起きなかった。この気持ちはどこから来るのだろうと葉月は思う。法律が好きになったわけでは、もちろんない。課題を通して多少は理解が深まってきたし、まあ面白いと感じるときもあるにはあったが、法学を積極的に好むようになったかといえば、決してそんなことはなかった。


 なら、自分をこんなに駆り立てているものは何なのだろう――。


 それなりに真面目に聞いていると、時間は案外早く過ぎていく。以前はあれだけ長いと感じていた講義も、あっという間に終わりの時刻だった。


 お昼は、いつも行っている大学近くの定食屋にしようと思った。ところが、店につくと臨時休業の張り紙が張られていた。ぴしゃりと閉じられたシャッターを恨めしげに見つめながら、ツイてないな、と葉月は思う。


 悩んで、結局学食に行くことにした。いつも混雑していて、人混み嫌いの葉月は普段なら絶対に行こうとは思わない。ただ今日はもういい時間で、新しく店を探すのも面倒くさかった。


 適当にうどんを注文して席に着いた。案の定人であふれかえっていて、席を探すのも一苦労だった。もっとも、一人でいるおかげで比較的楽に空いている席を確保できたのは、不幸中の幸いというところか。


 食べ終わって出ようとしたとき、少し離れたところに見慣れた人影がいることに気づいた。うただった。


 なぜだか、ドキリとする。


 よく見ると、謠子は誰かと話していた。二人とも真剣な様子に見える。相手は女性のようだった。何事だろう、と目を凝らしてよく見ようとした瞬間、ふと横を向いた謠子と目が合った。彼女の口が動いたのが見えた。


 あ、葉月。と、いつもの調子で声が聞こえたような気がした。


 謠子がこちらに向かってくる。話していた相手も、その後ろをついてきた。Tシャツにジーンズというラフな格好が目に付いた。


「こんにちは、葉月」


 近くまで来て、謠子が挨拶をする。葉月も挨拶を返した。


「葉月……って、これが例の子か!」


 Tシャツの女性が謠子の後ろから顔をのぞかせて、彼女の言葉を聞くなり言った。かなり芯のある声で、その上ボリュームも大きい。ずかずかと前に出てきた姿を見て、葉月は反射的に身構えた。謠子ほどではないが、女性にしては大きい方だろう。それだけでも警戒するには十分だったが、さらに彼女には、言いしれない威圧感があった。声の大きさや話し方といった諸々も含め、見た目以上の存在感を覚えてしまう。あまり得意なタイプではなさそうだと、本能が告げていた。


「謠子、この人は……?」


 とりあえず出てきた言葉は、質問だった。警戒感を漂わせる葉月の様子に気づいてか、謠子は少し砕けた口調で言った。


「駄目じゃない、。そんなに大きな声出しちゃ。葉月、そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私の知り合いなの。ほら弓美、自己紹介しなよ」


 謠子に弓美と呼ばれた人物は、謠子にたしなめられて、少し声のトーンを落として言った。


「ども、なべ弓美って言います。謠子と同じ情報科学部の四年っす。野田のだづきさんだよね?謠子から話、聞いてるよ」


 どうやら謠子は、葉月についていろいろと彼女に話しているようだった。それで「例のあの子」か……と葉月は一人合点が行く。謠子の同級生であること、自分のことを知っていた理由がわかったことで、葉月の緊張は多少和らいでいた。だが、完全には警戒を解いていない。知人の知人だからと言って、あっさり気を許していい道理はなかった。


「法学部三年の野田葉月です。謠子とは、授業が同じで知り合いました」


 とりあえず自己紹介をしておいた。余計な感情を抱かれないよう、するべきことはしておいた方がいいだろうとの判断からだった。葉月の言葉に、弓美は「知ってる知ってる」とふざけた調子で答える


「謠子……私のこと、なんて話してるの」


 それとなく咎めるように謠子に言う。だが、謠子が返事をするよりも早く、弓美に割り込まれた。


「いやいや、いつもいつも君のことを、それはもう意味ありげに話してるよ。なあ、謠子? それにしてもこの子かあ。最近謠子が随分楽しそうだから、どんなのかなあって思ったら。なるほどねえ」


 弓美に値踏みをされるような視線をぶつけられる。その上、勝手に人のことを「この子」だの「どんなの」だの、好き勝手な言われようだった。どうして自分がそんな扱いを受けねばならないのかと困惑する葉月だったが、完全に弓美の勢いに気圧されていた。葉月は結局、何も言えないまま黙っていることしかできなかった。

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