Article 2. It's NOT My Own Intention ⑪
「……ねえ
「何かしら? ものは試しよ
謠子が力のこもった目で葉月を見る。その言葉に背中を押されて、葉月は新たなファイルを謠子に共有した。
(国家意志の尊重)
第○条
二 謠葉国民は、創造主が与える安全、平等および幸福の存続を擁護し、これらが将来永久に実現され続けるよう努めなければならない。
「謠葉国民は国家的利益のために存在するってことを明確化してみたんだ。国民は全体の奉仕者なんだって。私たちはこれから個別に国民の権利を制限していくことになるよね?」
ゆっくりと口を開いた葉月の言葉が、次第に熱を帯びていく。
「そのために、何で執行機関がそんなことができるのかっていうのを、示しておいたらいいんじゃないかなって思ったんだ。どうすればいいかなって、自分なりに本とか読んで考えてみたのがこれなんだけど……。執行機関が国民の権利を制限するのに、これ以上の理由はないんじゃないかなって思う」
葉月は、この一週間ずっと考えていた。謠子の質問に答えてあげなかったこと。かといって、いまさら返事をしたところできっと変だと思われる。どうすればいいか悩んで、とにかく課題に打ち込むことが、いまの二人にとって大切なことなのではないかと思った。だから、いろいろと資料を探して、歴史も勉強して、ひたすら課題について考えた。これまで出てこなかった視点を見つけて、自分なりに形にしてみた。それをいま、謠子にぶつけている。
葉月が見せた条文を読みながら、謠子が考えを述べる。
「これは妙案だと思うわ、葉月。個人個人が嫌だと思っても、それが社会のために必要なことなんだって言われてしまえば、そうそう逆らえない。いまの謠葉国民は、創造主がそう命じたから、という信仰に基づいて自分の不自由を受け入れているはずよ。でも、この条文はもっと直接的に、感覚に訴えるものがあるような気がするわ。『神様のため』と『社会のため』だったら、やっぱり現実に存在している後者の方が、理由として重みがあるもの」
「うん。この条文がある限り、国民は自分の権利が制限されることを、受け入れざるを得ない」
「社会のため、全体のため、みんなのため。……うん、これはきっと、謠葉国の根本原理になるんじゃないかしら」
謠子の意見を聞いたところで、葉月は強い力をこめて、あらためて告げる。
「これで一回、試してみたい」
葉月の真剣な思いを受け止めたように、謠子は黙ってうなずいた。彼女がシミュレーターに葉月の条文を入力して、起動する。
だが、三分が経過し、五分が経過しても、シミュレーターは止まらなかった。調整後のシミュレーション速度を考慮すると、せいぜい一分もしないくらいで終わるだろうと思っていたので、葉月は面食らっていた。デジタルボードから目を外し、シミュレーターと向かい合う謠子の背中に問いかける。
「ねえ謠子、これ、ちゃんと速度設定できてるんだよね?」
葉月はシミュレーション速度が変わっていないのではないかと不安になった。これまでの水準からしても、明らかにおかしい。ところが、謠子は勢いよく振り返ると、興奮した様子で葉月にまくしたてた。
「何言ってるのよ、葉月! あなたすごいわ! 設定はもちろん正常よ。純粋にこれだけの期間、ディストピア体制が存続してるってことよ!」
結局、六分と三十秒ほどしてようやくシミュレーターは停止した。
謠子が、興奮冷めやらぬ様子で言う。
「……二千六百年よ、葉月。あの条文は、謠葉国にとって革命的だわ!」
葉月は、冷静に謠子の言葉を噛みしめていた。
二千六百年。実に、これまでの十倍近い長さだった。葉月が付け加えたわずか数行の条文は、ディストピア体制に飛躍的な安定性をもたらした。
一週間、ひたすら資料を読み漁り、考えに考え抜いた甲斐があった――と、葉月の中にふつふつと達成感が沸き起こる。
しばらく成功の余韻に浸っていた二人だが、今度は謠子の方から提案された。
「ねえ葉月、せっかくだから、私からも一ついいかしら。この憲法は国民の平等をうたっているけど、それに関する条文がないじゃない? だから、追加しておこうかなと思って」
「確かに、そういえばすっかり入れるのを忘れてたね」
葉月の返事を聞くと、謠子は自作の条文を見せた。
(法の下の平等)
第○条 全て国民は、法の下に平等であって、いかなる関係においても差別されない。
提示された条文は、もう相当こなれたものだった。
「いい感じだと思うよ。前々から思ってたけど、謠子ってほんと呑み込み早いよね」
「あら、ありがとう」
葉月にしては珍しく素直な称賛だった。口にしてからそのことに思い至り、少し気恥ずかしさを覚える。だが、こそばゆさこそあれ、自分の中に嫌な気持ちがないことに葉月は気づく。いままで感じたことのない感覚に、葉月は不思議なものを覚えていた。
「なんだか、ドキドキするわね。葉月も条文を書いてくれたあと、いつもこんな気持ちなのかしら?」
自分で書いた条文をシミュレーターに設定をし終えたところで、謠子がふと言葉を漏らした。
「まあ、何となく緊張するよね」
シミュレーションが始まる前はいつもそうだ。うまくいかなかったらどうしよう――とか、そんなことばかり考えている。
「そうなんだ。ふふ、葉月の気持ちに共感できたみたいで、何となく嬉しいわ」
妙なことを言われてしまった。その意図を考えあぐねているうちに、再びシミュレーションがスタートする。
今回も、ディストピアの存続期間はやや伸びた。
「私の意見、いい方に転がってよかったわ」
謠子の安堵に、葉月は言葉をかける。
「そうだね。うまくいってよかった」
その後、細かい文言の調整や、次回に向けた課題の洗い出しなどを行って、その日は解散した。
*
帰り道、葉月は考えていた。
用意してきた条文がうまくいったことにはひとまずほっとしたが、心の引っ掛かりは消えないままでいる。
今日の謠子はどう見ても普通だった。この前の飲み会のときのことなんて、すっかり忘れてしまったみたいに。
あのときの質問は、謠子にとってはなんてことはない思い付きで、特に何か深い意味があったわけではなかったのだろうか。あるいは、酔っ払って出てきた、単なるからかいの一言に過ぎなかったのだろうか。自分だけがばかみたいに気にしているのだろうか。そんなことを葉月は思う。
何にもやもやしているのか、謠子にどうしてほしかったのか、自分の中で結論が見えないまま葉月は家に着いた。
コップに牛乳を入れてから、ベッドに腰掛けて一息つこうとしたまさにその時、一通のメールが入った。なんだろうと思いながらフリーグラスを起動する。差出人は
メールの書き出しは、こうだった。
「日頃より弊社サービスをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。
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