Article 2. It's NOT My Own Intention ⑧

「思想統制……ですか」


 うたが反芻する。


「ええ、そうよ。あることをしようと思い至った人間にそれをするなと禁じたって、どうしても無理が出るわ。少数なら武力で強制的に押さえつけることもできると思うけど、大規模な集団になればそれも無理。じゃあどうするかって話よね? そのために歴史上の支配者がこぞって取り入れたのが、思想統制よ。国民の内心をコントロールして、自らの支配に対して疑問を持たせないようにする」


 づきは、もっと歴史を勉強すべきだったと痛感していた。法律学以外の角度から支配者側の考え方にアプローチするという視点自体が、葉月の頭からは抜け落ちていた。


「先生、おっしゃることはわかりました。でも、それを具体的に憲法に落とし込むにはどうすればいいでしょうか」


 葉月の質問に、真由まゆはそっけなく答えた。


「それを考えるのは、あなたたちの仕事でしょう?」


「そうですよね……」


 うなだれる葉月を見て、真由が付け足す。


「でも、考え方の方向性くらいは教えてあげるのが教育者の役目かしら? 歴史をひも解いてみると、思想統制のやり方にもいろいろな方法があるわね」


「そうなんですか?」


「ええ。大きな枠組みでいえば、思想そのものを取り締まる方向性と、思想の伝播を取り締まる方向性の二つがあるでしょうね」


「思想そのものと、思想の伝播……」


「この国の歴史を見てみましょうか。二十世紀前半、社会主義思想の伝播を恐れた日本は、強力な言論統制を敷いたわ。そうした言論が流布しないように、特別な機関をおいて取締りを行ったの。例えば、体制批判を書籍に著そうものなら、事前に検閲を受けて出版自体が差し止められたわ。出版に限らず、そういう反体制的な言動をとれば、官憲に連行されて厳しい取り調べが待っていた。こうした統制は、日本が世界大戦に突入したことによってさらに加速していった――」


 百年以上も前の話だが、聞いたことはあった。よくよく考えれば恐ろしいことだなと葉月は思う。世が世なら、ディストピア憲法を起案するという葉月たちの取り組みも、取締りの対象だったりしたのだろうか。


「こうして、民衆の間での社会主義的思想の伝播は妨げられた。もちろん、完璧な言論統制なんて無理だったでしょうけど、少なからず国民の思想形成に影響はあったはずよ。……こうした考え方は普遍的で、いまでも妥当するものだわ」


 単発的に反体制的な思想が生じても、その伝播を封殺できれば、大きな社会のうねりにはつながらない。点がつながり線になり、やがては面になることが体制側としては一番怖い。点を点のままにしておくということは、体制の維持にとっては重要な意味を持っているようだった。なるほど、と思っていると、真由がさらに説明を続けた。


「もう一つは、思想の発生自体を事前に止めることね。ある意味、最も根本的な解決でもあるの。一番効果的なのは、特定の思想を先んじて植え付けることよ」


「特定の思想ですか」と謠子が反芻する。


「ええ、例えば、AIに管理されるあなたたちの国は、素晴らしいんだってことにしてしまう。安全と平等の為なら、個人の自由が制限されても仕方ないんだって、そう思わせるのよ。心の底からそう信じるように仕向けさせれば、そもそもあなたたちのディストピアに疑問を抱くこともないでしょう。一言で言えば、洗脳ね」


 洗脳とはまた穏やかではないが、そうなってくれたら確かに革命も起きそうにないな、と葉月は考える。


「問題は、どうやって特定の思想を植え付けるか。これもまたいろんな方法がとられてきたのだけど。そうね、例えば、信仰とか崇拝なんてどうかしら」


 また不思議な言葉が出てきた。


「信仰って、宗教のですか?」


 そう尋ねる葉月の言葉に、真由が笑顔で返した。


「そうね、その信仰。別に、必ずしも宗教だけに限られないのだけれどね。――ある特定の思想に深く傾倒させるには、さっきも言ったとおり、心の底からそう思わせる必要がある。そんなときに、信仰心を利用するのよ」


「すみません、どういうことでしょうか」


 謠子が腑に落ちない表情をしている。葉月も同感だった。


「信じ込ませたい思想を、信仰心や崇拝の気持ちと抱き合わせるのよ。そうねえ、謠子ちゃん、好きな歌手とかいるかしら?」


「そうですね……『カラーズ』とか好きです」と、一昔前に流行った音楽ユニットの名を謠子が口にする。


「……謠子ちゃん、渋い趣味してるわね。まあいいわ、そのカラーズがおすすめって言った小説があったとしましょう。それ、何となく読みたくなったり、書いてあることに賛成したくなったりしない?」


 何となく真由が言わんとしていることがイメージできた。好意を持っている人が言ったことには、耳を傾けたくなる。何かに対する崇拝や信仰――そういった気持ちを、植え付けたい思想に向けさせるようにすればいいのか。考えながら、葉月は口を開く。


「けど、私たちは宗教家ではないんです。どうやって盛り込めばいいんでしょうか」


「そうねえ。崇拝の背景には、ある種の権威があるわ。あるものをあるものと信じ込ませるだけの権威が。あなたたちに、権威はあるかしら?」


「私たちは単なる学生ですよ? 権威なんて、あるわけないじゃないですか」


 葉月の素朴な回答に、真由は微笑んで答えた。


「ええ、私から見たらあなたたちはただの学生ね。多分この大学の誰が見ても、世間の誰が見てもそうでしょうね。でも、あなたたちの国、うたこくの国民から見た場合も、果たしてそうかしら?」


 何が言いたいのだろう。しばらく考えて、葉月ははっとする。たまらず謠子に話しかけた。


「前にこの国の主権者は誰かって話をしたよね、謠子。いまは、謠葉国の主権者はAIってことになってる。でもそれは、AIが私たちの意思を体現しているからなんだよね。あのとき確認した通り、この国の本当の意味での主権者は私たち。AIは私たちがそう決めたから、主権者としての地位を与えられてるだけ。じゃあなんで私たちが主権者なのかって考えたとき、理由はなんだと思う?」


 葉月の質問に、謠子は考えながら答える。


「それは……それは、私たちが憲法を、ひいてはこの国そのものを作ったからよね? ああ……つまり、謠葉国民から見たら、私たちは創造主なんだわ。……権威って、そういうことですか、先生」


 謠子の言葉に真由は静かにうなずくと、説明を始めた。


「あなたたちの憲法とあなたたちの敷いた体制を、絶対のものとして謠葉国民に信じ込ませたい。じゃあその無謬性の根拠は何か。それってとても簡単で、あなたたちが創造主であること、それだけで理由としては十分じゃない? 謠葉国民は、単に国の生みの親であることだけをもって、あなたたちにそれなりの敬意を抱いているはず。自己を生み出してくれたものを否定できない、ある種の自己防衛反応でもあるかもね。その、本能的な反応、敬意を、体制を擁護する方向に向けさせるのよ。創造主はすごい。だから、創造主が作った憲法もすごいし、守らなければならないし、疑問を抱いてもいけない。……本当は、これは壮大な論点のすり替えだし、勘違いなのだけれどもね」


「なぜこの体制は正しいのか? それは創造主が作ったから。創造主は常に正しいから、疑問を持つ自分の方が間違っている。そう心の底から思わせればいいのね」


 謠子が自分に言い聞かせるように言う。真由が、最後に補足した。


「もちろん、そこまでしたって相手が人間である以上は、完全な統制はできないでしょうね。でも、反乱分子の絶対数を減らすことは、とても重要なことだと私は思うのよ。どうしても抑えきれない反逆者だけ、あらためて個別に対処すればいい」


「何となく方向性が見えてきました。反体制思想を生じさせないこと、万一思想が生じたとしても、その伝達を抑制すること。この二つがカギ」そう謠子がまとめる。


 真由はカップに残ったコーヒーを飲み干すと、二人に向けて言った。


「そのために何をすればいいか、どんな条文を憲法に盛り込んでいけばいいかは、自分たちで考えてみて欲しいわ。困ったら、歴史を振り返ってみなさい。歴史は人類の失敗の積み重ねだから、あなたたちが導きたい方向への回答も、きっと用意されているはずだわ。例えばっていうことで信仰っていう方法を提案したけど、私も別にこれが最高の解決策だとは思ってないの。具体的にどうすればいいかは私もわからないけれど、きっともっといいアプローチもあるはずよ。ぜひそれを見つけてみて」


 葉月は、真由からのアドバイスを自分の中でかみしめていた。反体制思想の発生抑止と、その伝播の封殺。そのために何をすればいいか。葉月は、すでにいくつかの案を思いついていた。ふと謠子の方を見ると、いつもの格好で自分と同じように考えを巡らせているようだった。葉月は真由に向き直って言った。


「今日はどうもありがとうございました。頂いたアドバイスをもとに、あらためて考えてみたいと思います」


「いいえ、こちらこそ、わざわざ訪ねてきてくれてうれしかったわ」


「もういい時間ですので、本日はこれで失礼します」


 謠子の指摘で時計を見ると、夕方の六時を指している。気が付かないうちに、ずいぶんと話し込んでいたようだった。荷物をまとめて退出しようとする二人に、後ろから声がかかった。


「ねえ二人とも、この後空いてるかしら? せっかくだから、どこかでお食事でもどう?」

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