Article 2. It's NOT My Own Intention ③

 づきは、またしても資料をひっくり返しながら、うたの意に添うように作文を進めていった。一方の謠子は、ゴールデンウィークの間に監督者としてのAIの調整を終えていたようで、シミュレーターへの実装に取り掛かっている。


 統治機関の選解任の基準は、AI自体の能力として直接AIを改造しているので、特に憲法に書く必要はないとの謠子の弁だった。それを聞いて、葉月は少しほっとする。実際、謠葉国の在り方を大きく変える修正だから、全面的に憲法を書き直す必要がありそうだった。仕事量はできるだけ少ない方がありがたい。二人は買ってきた昼食を食べつつ、各々の課題に取り組んでいった。


 一時間ほどして、作業が終わった。


「よし、完成した! 今回は長いぞ! 心して見ろ、謠子!」


 頭をフル回転させて若干ハイになっていた葉月は高らかに叫んだ。勢いよく指先を弾いて、謠子のフリーグラスに憲法の改定案を共有する。渾身の力作だった。


(管理統制者の地位および権能)

第一条 うたこくは、公正不偏な管理者たる人工知能がこれを管理し統制する。

 二 管理統制者たる人工知能は、謠葉国の主権者にして国権の最高機関である。

 三 管理統制者たる人工知能は、この憲法に絶対的に服する。


(国権の行使)

第二条 国権は、執行機関を通じてこれを行使する。この憲法に特別の定めがある場合を除き、管理統制者たる人工知能は、直接国権を行使することはできない。


(執行機関の選任)

第三条 管理統制者たる人工知能は、謠葉国の執行機関を選任する。


(執行機関)

第四条 国権の執行機関として、議会、政府および裁判所を置く。

 二 執行機関は、管理統制者たる人工知能の意志に服し、分掌された国権の執行について、管理統制者たる人工知能に対して責任を負う。

 三 議会は、立法権を執行する。

 四 政府は、行政権を執行する。

 五 裁判所は、司法権を執行する。


(管理統制者による粛清)

第五条 管理統制者たる人工知能により、執行機関による国権の執行が総体としてこの憲法に反する状態にあると判定されたときは、管理統制者たる人工知能は、執行機関を審判して粛清する。


「おお! すごいわ葉月! すごいけど、私にはまったくわからないわ!」


 謠子が潔くギブアップの意を告げる。確かに、パッと見ただけでは何を言っているのかさっぱり分からないだろう。謠子の反応も無理はなかった。


 ひとつずつ、解説していくことにした。


「便宜的に条番を振っておいたから、それに沿って見ていくよ。最後に完成したときに、あらためて振り直すことになるから」


 謠子がわかった、というように首を縦に振る。


「まず、第一条。これは前に見た通りの内容で、特に変わったところはないかな。管理統制者っていうのは、AIのことだね。AIはこの国の主権者であると当時に、国家権力の最高権限者でもある。そしてAIは私たちの意思を代弁するものとして、この憲法に従わなきゃならない。これはAIにとっては本能のようなものだから、絶対に逆らえないようになってる。謠子が修正してくれたAIの設定も、そうなってるよね?」


 謠子は無言でうなずく。


「次は第二条。ここからが今回の変更点。AIは国家権力の最高機関だけど、直接自分で何かをすることは許されてない。人類を滅ぼそうなんて思っても、この憲法がある限り、AIは国民に手を出せないことになる。これは今日謠子が話してくれた枠組みだね。そして、実際の国の運営は、AIが選任した執行機関が行う。執行機関ていうのは、いままでは統治機関と呼んでたもの。つまり、議会と政府と裁判所のこと。そして、彼らがAIによって選任されるってことを第三条に書いた。ここまでオーケー?」


 謠子に確認する。


「今日の議論の通りね」


 謠子の返事を聞いて、葉月は説明を続けた。


「第四条は、執行機関についての条文。ここも前に書いた通りだけど、議会と政府と裁判所が三権の執行を担うことと、それぞれの機関がどの国家権力を担当するかを決めてる。今回追加したのはここの『二』って書いてある部分、法律用語的に呼べば『第二項』のところ」


「これ、第二項って読むのね」


 謠子が口をはさんだ。


「うん。とにかくこの部分は、彼ら執行機関の地位が、AIによる選任に由来することを書いてる。特に、『管理統制者たる人工知能に対して責任を負う』っていう部分は、仮に国家の運営に失敗することがあれば、AIによって執行機関がその地位を追われることを明確化する趣旨だね」


「AIが主権者だからこそね」


「そうだね。最後に、第五条。これは、さっき言った第四条の『管理統制者たる人工知能に対して責任を負う』の中身、つまり、どんな風に執行機関が責任を取らされるのかってことを書いてる。国家の運営に失敗したり、憲法の意思に反して私欲を満たすようなことをすれば、AIが彼らの行いを判断して、必要なら粛清する」


「粛清って、ずいぶんきな臭い言葉が出てきたわね」


「ちょっとディストピアっぽくしてみようかなって思って、勝手に足しちゃった。単に地位を負われるだけじゃなくて、間違いがあれば執行機関は殺される。それは明確な意図をもって国に反逆した場合はもちろん、単に国家運営に失敗した場合も同じ。執行機関は人間の中では支配者の地位にあるけど、反面いつ殺されるかわからない恐怖におびえながら、仕事をすることになる」


「ある意味、AIによる恐怖政治ね。これなら、執行機関の皆さんは間違っても私欲に走ろうとは思わないでしょう。民主革命が起きそうになっても彼らは消されるわけだから、緊張感と責任感を持って、統治に励むでしょうね。いい感じにディストピアっぽくなってきたわ」


 謠子が同意してくれた。


「もし粛清によって執行機関に欠員が出れば、第三条に書いてあるとおり、AIは自分のデータベースからはじき出した適任者を再び選任して、国の体制は続いていくっていう形だね」


 葉月は少し補足を入れた。我ながら良い案ではないかと葉月は思う。


「仮に民衆が革命を起こしそうになれば、権力者が入れ替えられて、再びディストピアが続くよう、国の舵が切り替わるわけね」


 謠子が確認するように言う。それから彼女は唇の下に指をあてながら、しばらく憲法の草案を眺めていた。考えているときの、いつものポーズだった。


 しばらくして、謠子が小さな声でつぶやいた。


「なんだか、ひどい社会になってきたわね。支配者側の人間すら、完全にAIに生殺与奪を握られているなんて。およそこの社会には、人間の尊厳なんてないんだわ……」


「まあ、ディストピアを作ろうとしてるんだから、そうなるでしょ」


 葉月は、謠子に言葉を返す。自分たちの目指している方向がそうである以上、当然のことだった。むしろ、課題としては順調に望ましい方向に進んでいる。


「まあ、そうね」と答えて、謠子が改めて切り出した。「よし、やりましょうか。葉月、準備はいい?」


 葉月が「うん」と答えたのに合わせて、謠子がシミュレーションを開始した。さっき返事をしたときの謠子の目が、どこか憂いを帯びていたように見えた気がして、葉月は目まぐるしく動くデジタルボードをぼーっと眺めながら、その意味を考えていた。


 三分ほどして、シミュレーターが停止した。


「謠子……いまの、どうなったの?」


 意識を現実に戻した葉月の質問に、謠子が答えた。AIの管理のもとで、三権を預かる執行機関によるディストピア体制が敷かれたこと。最初はうまくいっていたが、徐々に民衆の不満がたまってきたこと。民衆の不満を抑えながらディストピア体制を適切に維持できない執行機関が、順次粛清されていったこと。度重なる執行機関の交代によっても民衆の不満は抑えきれず、ついには民主革命が起きてディストピアが崩壊したこと。ただし、革命によって崩壊するその最後の時まで、一度たりともディストピア国家としての枠組みが損なわれることはなかったこと。そんな流れを、謠子は丁寧に説明してくれた。


「じゃあついに、体制側、つまりAIと執行機関は、最後まで私たちを裏切ることなく、その任を全うしたんだ……!」


 葉月が感嘆の声を上げた。謠子が静かに同意する。


「そうね。彼らには、お疲れ様と言いたいところだわ。私たちは国家権力のコントロールに成功したのよ。あとは、どうやって民衆の反乱を抑えるかだけを考えればいい。国の枠組みは、これで決まりということになるわね」


 長い戦いだった、と葉月はしみじみ思う。国民同士で殺し合いを始めたり、AIに人類を滅ぼされたりといろいろあったが、ようやく葉月たちの意に沿う国家権力を誕生させることができた。


 そのあと葉月たちは、民衆に革命を起こさせないためにはどうすればいいかを、シミュレーションしながら議論していった。「民衆の革命を禁止する」「国民は武器をもってはならない」といったような条文も入れてみたが、うまくいかなかった。


「やっぱり、民衆の反乱を封じるような抜本的な対策が必要なんじゃないかしら」


 謠子が、疲れた表情をして言った。さすがの謠子も、一日中シミュレーターの設定をして、限界が来ているらしい。


「そうだね。……だいぶ疲れたし、いまはもう何も思いつきそうにないけど」


 一方の葉月も、やはり一日中条文を考えて、脳みそが疲弊しきっていた。


「今日はもう、お開きにしましょうか」


 謠子の提案に、葉月も同意する。もういい時間だった。正直このまま続けていても、時間を浪費するだけだろう。


「次から次へ、課題は押し寄せてくるものね」


 謠子がそうつぶやいた。


 葉月たちの一か月にわたる取り組みは実を結んだが、理想のディストピアへの葉月たちのあくなき探求は、まだまだ終わりそうになかった。


 二人は黙々と荷物をまとめていた。黙ったままだと疲労が一層感じられてきたので、葉月はなんとなく口を開く。


「また、来週までにお互い打開策を考えてこようか」


 謠子は一度うんとうなずいたが、やがてふと思い出したように、首を横に振った。


「あ、だめだわ、葉月。そういえば、来週の水曜日って私午後空いてないのよね」


「え、そうなの」


 いつの間にか、毎週水曜日の立法学の講義の後は、自然と課題に取り組む流れになっていた。だから、謠子の言葉は葉月にとっては寝耳に水だった。


「来週も打ち合わせだと思って、予定、空けちゃってたよ。だったら、バイトのシフト入れとけばよかったな」


 思わず愚痴が出た。


「予定を狂わせちゃったみたいで、ごめんなさいね」と謠子が申し訳なさそうに言った。


 余計なひと言のせいで気を使わせたことに気づき、葉月は申し訳なく思う。黙っている葉月を見て、謠子が言葉を続ける。


「今度の打ち合わせなんだけど、再来週の水曜日まで待ってたらいろいろと感覚を忘れてしまいそうだから、途中どこかで一回やった方がいいと思うのよ。どうかしら?」


 謠子の助け舟に、これ幸いと葉月は賛成した。


 来週の土曜日がお互い都合がよかったので、そこで打ち合わせをすることを約束して、二人は解散した。

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