Article 2. It's NOT My Own Intention ②
課題の話をして、少し気分的に喋りやすくなった。前に
「ねえ、
「趣味? そうねえ……」
言葉に詰まられた。沈黙が気まずくて、何とかせねばと慌てる。ふとテーブルに視線を落とすと、謠子が頼んだ紅茶が目に入った。謠子は今日も紅茶だったことに葉月は気づく。
「そういえば、前の打ち合わせのときも紅茶を飲んでた気がするけど、紅茶好きなの? それは趣味とは違う?」
葉月の言葉を受けて、謠子が考えるように言った。
「ええ、紅茶は好きよ。休日は、紅茶を飲みながらシミュレーションの本を読んだり、あとは、よさそうな紅茶がないかお店を回ったりしてるわね。でも、趣味って言えるかというと、ちょっと違うかも。別にそこまで深入りはしてないもの」
「そっかあ」
そう答えられると、それ以上葉月としても返す言葉がなかった。普通の会話を続けるというのは難しい。だが、謠子の方で話を続けてくれた。
「葉月に言われて思ったけれど、実は私、趣味って持ったことがないかも。逆に、葉月は何が趣味なの?」
同じ質問を返された。葉月も、人に胸を張って言えるような趣味らしい趣味などない。ただ、ここで黙れば会話が途切れる。葉月は絞るように言葉を紡いだ。
「趣味っていうほどではないけれど、謠子、
気のせいだろうか。葉月の言葉を聞いた瞬間、謠子の表情が曇ったように見えた。だが、すぐにいつもの様子に戻って答えた。
「ええ、知ってるわ。最近よく聞くわよね。現実と区別がつかないくらいだって」
「ひょっとして、謠子もやってるの?」
「ううん。私はやってないわ。ほら、ヘッドセットみたいなのをかぶると、意識が落ちてALISにつながるんでしょう? 実は私ちょっと、そういうの苦手で。意識の切り替えが怖いっていうか……」
確かに、そういった意見は葉月もよく聞く。どうしても、感覚的に会う人、合わない人がでてくるものなのだろう。そういえば前に友世も同じようなことを言っていたなと思い出す。彼女もALISはやっていない。
「ああ、でも、別に嫌いとかそういうのじゃないのよ。前に、ALISの世界を抽出した写真を見せてもらったことがあるけれど、どう見ても本物にしか見えなかったわ。とてもすごい技術だと思う。ねえ、ALISの中ってどんなふうになっているの?」
気を遣ってか、謠子が質問をしてくれた。
それから、葉月はALISの世界について説明をしてあげた。葉月の好きな風景や、お気に入りの食べ物。そんなものを語って聞かせると、謠子はいちいち真面目に反応を返してくれた。それで、ついつい話が弾んだ。
「それでね、ALISの世界は赤の女王っていうAIが管理しているんだけど、これって『不思議の国のアリス』に由来してるんだって。ALISだからアリスなんだと」
葉月がうんちくを語ると、謠子がにやりと笑った。
「あら、その話をした人は、きっとアリスをちゃんと読んだことないのね」
思わぬコメントを返されて、葉月は驚いた。
「え、そうなの」
「ええ。『不思議の国のアリス』に出てくるのはハートの女王よ。赤の女王は、その続編の『鏡の国のアリス』よ」
葉月は素直に感心していた。『アリス』に続編があるなんて初めて知った。
「謠子、よくそんなの知ってるね。本とか結構読むの?」
「うーん……そこそこかしらね? 葉月もよかったら『アリス』を読んでみたらどうかしら。感想、聞いてみたいわ」
そのあとは、二人で本の話をした。趣味なんかじゃないと言っていたが、葉月からすれば十分趣味の範疇じゃないかと思うくらい、謠子はたくさんの本を読んでいた。知らない分野の話もしてくれて、葉月にとってはとても新鮮だった。SFもかなり好きなジャンルだということで、だからディストピアなんて思いついたんだな、と葉月はようやく腑に落ちる。とにかく、不思議なくらい会話が盛り上がった。
ひとしきり話し終えて、パフェも平らげた後、葉月たちは分かれた。気が付けばもう午後の一時だった。帰り道、電車に乗った葉月は、早速フリーグラスで『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を購入した。ゴールデンウィークのいい暇つぶしが見つかったと、葉月は上機嫌だった。
目線を窓の外に向けて、葉月はふと考える。人から勧められた本を買うという状況が、自分でも不思議だった。そんな風に動かされるくらい、今日の会話を楽しんでいた自分がいたことに、あらためて驚く。だが、悪い気持ちはしなかった。昼下がりの電車に揺られながら、人と話すのも案外悪くないのかもな、と葉月は静かに余韻に浸っていた。
破天荒な相方の顔が、葉月の脳裏をよぎる。彼女の楽しそうな表情。
――あれ。
その瞬間、葉月はまたあの胸の痛みを覚えていた。ちくりとした違和感。そして今度こそ、葉月はその正体に思い至る。
ああ、自分はうらやましいのだ。謠子がいつもこんな気持ちで生きていることが。自分の気持ちに正直に、素直に、楽しく生きていることが。
自分も素直に生きられたら良いのだろうか、と葉月は考える。だがすぐに、葉月はその気持ちに蓋をした。頭ではわかっていても、自分はきっとあんな風にはなれない――と。
ただ、それでもその気持ちは、葉月の中に小さくくすぶり続けて消えることはなかった。
*
ゴールデンウィークが明けて、再び大学が始まった。新学期にはあれだけ人で溢れていたキャンパスも、この時期には落ち着きを取り戻す。手の抜き方を覚えてきた新入生と、無駄にやる気を出して履修登録したものの、結局行かなくなった学生たちが消えたからだろう。
しかし、立法学の講義は出席をとるため、葉月たちに欠席という選択肢は許されていなかった。
葉月と謠子は、隣同士で講義を聞いていた。横山教授の退屈な講義が流れている。課題に役立ちそうな箇所があればメモしよう、といった態度で聞き流している葉月とは対照的に、謠子は熱心にタブレットに講義録を打ち込んでいる。よく真面目に聞く気になるなあ、と葉月はただただ感心していた。
講義を終えた二人は、コンビニで昼食を買い込んでから、いつもの自習室に向かった。
席に着くや否や、葉月は詰問した。
「それで、何を思いついたの?」
もちろん、課題の解決策のことだった。表参道のカフェではぐらかされて以来、ずっと気になっていたのだ。
「結論から言うと、やっぱり三権分立は必要だったのよ」と謠子が話しだす。
「それってつまり、AIを三機にして、それぞれに三権を担当させればいいってこと?」
「いいえ、そういう方向性じゃないわ。あくまで実際の政治を行うのは、人間にすべきだったのよ。葉月が最初に作ってくれたみたいに、議会と政府と裁判所を復活させるわ」
話の方向性が読めなかった。困惑している葉月を見て、謠子が続ける。
「そもそも、AIを導入しようっていうきっかけはなんだったかしら?」
「統治機関の暴走を止めるために、主権者を実装する必要があった」
記憶を掘り起こしながら、葉月は答える。
「そうね。なのに、私たちは方向性を間違えた。私たちは、AIをそのまま統治者にしたのよ。AIなら私欲に走らないだろうからって。結果、AIは直接国家を意のままにできるようになって、自分が見つけた結論の通り、人類を滅亡に導いた。でもね、本当は原点に立ち返るべきだったんだわ」
葉月は、何となく謠子が言わんとしていることがわかってきた。自分たちは、そもそも統治機関の監督者としてAIを生み出したのではなかったか。なのにAIを監督者ではなく、直接の統治者とした。謠子はこのことを指摘していた。
「じゃあ謠子は、AIを直接統治者の地位につかせるんじゃなくて、あくまで監督者として運用したらいいって、そう言いたいの?」
「そういうこと。実際の国家運営は、AIが選任した統治機関である議会と政府と裁判所が行う。AIは、それを監督して、憲法の理念に反することがあれば、彼らを交代させる。逆に言えば、AIはあくまで統治機関の選任と解任にしか介入できなくて、直接社会を構成する民衆には実力を行使できないって形にするのよ」
なるほど、と葉月は思った。うまくいく保証はないが、試してみる価値はありそうだった。
「統治機関は、地位を失うのが嫌だから、憲法の理念に従った国の運営を行わざるを得ない。AIは私欲に走らないから、監督者としてはうってつけ。でもって、肝心の国全体には直接手が出せないから、総じて国家の秩序は守られるってことか」
謠子が説明を続ける。
「それで、このためにAIの能力を多少いじくってきたのよ。統治機関の選任と解任の最低限の基準は、私たちの方で決めることにしたわ。じゃないと、人類滅亡に共感する破滅主義者ばっかりが選ばれちゃうものね。もちろん、基本的にはAIの方が人選は優れているでしょうから、基準さえ守ってくれればあとはお任せする形になるけど」
葉月がいままさに聞こうと思っていた点だったが、謠子の方ですでに手は打ってあったようだ。統治機関の選解任を完全にAI任せにしていては、結局本質的な解決にならない可能性があった。だが、それも問題なさそうだ。
謠子の話を一通り聞いたところで、葉月は素朴な疑問に思い至る。
「そういえば、あのとき喫茶店で、私のおかげって謠子言ってたけど、あれは結局どういう意味だったの?」
「大した話じゃないわよ? パフェを食べながら底のフレークをうまく取れない葉月を見て、間にワンクッション置けばいいんじゃないかって思っただけ」
聞いてみればなんということはなかった。
「そんなことかよ……。民衆がフレークで、私はそれを食べつくそうとするAIってこと?」
「そうね。それに、あのときの葉月、子どもみたいでなかなか可愛かったわよ?」
唐突にからかわれた。「なっ」とうめくが言葉が続かない。顔が赤くなっていくのがわかる。
「とにかく、その方向性で憲法を作文すればいいんだね?」
ごまかすように、葉月は話を元に戻した。謠子はそんな葉月に向けて、ただにこやかに笑みを向けていた。
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