Article 1. Down the Loophole ⑫

 づきがトイレから戻ってくると、うたはタブレットで電子雑誌を読みふけっていた。小さくてよくは見えないが、どこにでもある普通の女性誌に見える。そんな雑誌読むんだな、と葉月は意外に思った。謠子は何というか、もっとわけのわからない専門書とかを読んでいそうなイメージだった。葉月は扉を閉めて、さっきまで座っていた椅子まで戻ろうとする。


 そこで、謠子の様子がよく見ると読みふけっているというようなレベルではないことに、葉月は気が付いた。どちらかというと、食い入るように見つめている感じだった。どんな記事を読んでいるんだろう、と椅子に戻るふりをして、さりげなく後ろから覗き込む。そこには「表参道で女子高生人気ナンバーワンのカフェから、春の新作登場! ジャンボ桜餅パフェ!」という言葉ともに、理解不能な造形の、パフェとおぼしきものが写った写真が掲載されていた。


 ジャンボ桜餅パフェ。なんじゃそりゃ。


 葉月は頭が痛くなってきた。謠子は葉月に後ろから覗かれていることに気づいたのか、電子雑誌を葉月から見えない角度に隠す。そもそも雑誌の年齢層が若干違くないか? などと思いながらも、葉月は「何も知りませんよ」というようなそぶりで席に戻った。


 フリーグラスでネットサーフィンをしながら、そっと謠子を盗み見る。謠子は相変わらずじっと雑誌を見つめていた。おそらく、さっきの記事をまた読んでいるのだろう。葉月は再びフリーグラスに投影された画面に視線を戻したが、謠子のことが気になって集中できない。それで、ついに聞いてしまった。


「ねえ、それ、食べたいの?」


「え⁉ いや、あ、うん。食べたいけど⁉」


 そう答える謠子の声は裏返っていた。


「そんなじっと見てないで、今度食べに行けばいいじゃん」


「いや、そうなんだけど、そうなんだけれども、私、こういうお店に行ったことなくて……」


 なぜか恥ずかしがる謠子。あんた、そんな恥を覚えるようなキャラだったか? と葉月は内心呆れていた。


「別に行ったことなくたって、行けばいいじゃん。食べたいんでしょ?」


「でも、なんか、ハードル高くって……。誰かと一緒だったら大丈夫かなって思う

んだけど、一緒に行ってくれそうな人、いないし……」


 そう言ったきり、謠子は黙り込んだ。少々の沈黙が流れる。謠子の方を見ると、なぜか上目づかいで葉月をじっと見つめていた。すごく熱い視線を感じる。


 お? なんだこの流れは。突然の展開に、葉月は動揺していた。


 この流れはまずい。私か? 私なのか? 


 冗談じゃない――と葉月は戦慄する。何が悲しくて、こんなわけのわからない女とわけのわからないパフェを食べに行かなければならないのか。聞かなかったことにして、このまま無視を決め込もう。そう思ったとき、ふと、葉月の頭をよぎる言葉があった。


“せっかくだし、もっと距離詰めてみればいいのに。”


“葉月、あなた実はその人に悪い印象ないでしょ?”


 ともの言葉だった。


 嫌なタイミングで思い出したな……と葉月は思う。


 確かに、謠子のことをどこか嫌いになれない自分がいることに、葉月はうすうす気づいていた。人の目を気にせず我が道を行く謠子になんだかんだと振り回されながらも、葉月はそうした彼女の生き方にむしろ好感を覚えている。ずっと人付き合いを避けてきたのにいまさらどうして、という複雑な気持ちも抱えながら、葉月は考えていた。


 相変わらず謠子からの目線を感じるが、葉月は顔を上げられないでいる。


 ――もっと、踏み込んでみてもいいのだろうか。


 人付き合いは、これまでできる限り避けてきた。人間関係が煩わしいというのは、半分建前で、本当のところは、もし自分の思い上がりだったらどうしようという気持ちと、幻滅されたくないという思いから来る防衛反応。仲良くしようとしてみて、拒絶されたら。好ましく思っていたのは、自分だけだったとしたら。相手から声をかけてくれたのに、つまらない奴だったと思われたら。


“葉月のそういうところ、私的にはどうかと思うんだけどなあ……。”


 友世の言わんとしていたことを、葉月はようやく理解する。


 ――踏み込んでも、いいのだろうか。ちょっとだけ、付き合ってみても罰は当た

らないのではないか。葉月の気持ちが揺れた。


 そっと謠子の方を見る。電子雑誌越しに、彼女と目が合った。


 ああもう、わかったよ! と覚悟を決めて、葉月は言った。


「あーもう、じゃあ、一緒に行く?」


「いいの⁉」


「いいよ、行こう。ゴールデンウィークが近いから、そのどこかでいい?」


「わーい! やったー! 私本当にこういうお店行ったことなくて、ちょっと怖かったの。葉月、ありがとう!」


 こっちだって行ったことないし怖いんだよ、という言葉は、すんでのところで飲み込んだ。


 謠子は、まるで子どもみたいにはしゃいでいた。そんなに喜ぶのか、と思う葉月だったが、一方で受け入れられたことに対する安堵もあった。それに、自分が行くことでこんなに喜んでくれるとなると、葉月も少しだけ嬉しかった。


 日取りを決め終わるころには、ちょうど一時間が経過していた。謠子が様子を確認する。どうやら、データの収集はうまくいったようだった。そのままセッティングを終えて、謠子がシミュレーションスタートの準備ができた旨を告げる。


 葉月は、またドキドキしていた。謠子の妙案が吉と出るだろうか。自分の憲法がきちんと思い通りにうたこくを導けるのだろうか。そんな思いが頭をよぎる。


 謠子がシミュレーターを起動させた。例によって、デジタルボードに意味不明の数字が躍り出す。


 だが、それはあっという間に停止した。


「え? 何? 止まっちゃったけど、故障?」


 葉月が思わず声をかける。


 謠子も慌てて様子を確認する。ぱちぱちとモニターを操作していたが、一瞬驚いた顔をすると、彼女はそのまま頭を抱えこんだ。


「ねえ、謠子ってば、何があったの?」


 葉月のいらだち混じりの声を聞いて、謠子は顔を上げるとおもむろに話し出した。


「葉月……。私たちのAIは、最悪の選択をしたわ。賢くなりすぎて人類の思考を超えてしまったのね。うん、出来上がった社会は、確かにある意味では安全で、平等で、幸福……少なくとも、不幸は存在しない世界だわ」


 要領を得ない回答が返ってくる。


「なにそれ。もったいぶってないで、どうなったのか教えてよ」


「存在しない人間は、苦痛を感じようがない。この子はその状態を人類最上の幸福だと判断したのね。……だからAIは、人類を滅ぼしてしまったのよ」

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