Article 1. Down the Loophole ⑪

「そう、AI。人工知能よ」


 まるで意味が分からなかった。憲法とAIがどう結び付くのか。それに、また難しそうな話が出た、というのがづきの正直な感想だった。


 世間的には人工知能自体は一般的なもので、日ごろ使っているフリーグラスやら、交通機関やら、日常のありとあらゆるところに利用されている。だが、その実態がどのようなものなのかきちんと理解している人間などほとんどいないはずだ。葉月も、その恩恵にあずかりながら、AIにまったく意識を向けたことのない一人だった。


「人工知能が、なんなのさ」


「葉月、全然わかってないでしょ? いいわ、このうた様が説明してあげましょう」


 バカにしやがって……と内心悔しがる葉月だったが、実際わからないのでどうしようもない。それに、どのみち謠子の話に乗る以外、現状の課題を打開できそうな道はなかった。仕方なく、ここは素直に教えを乞うことにする。


「問題はこうだったわね。うたこくには主権者がいないから、統治機関の暴走を抑止できない。結果として、民衆の革命を招いてしまう」


「だけど一方で、私たちは謠葉国には入れないから、主権者になれる者がいない」


 謠子にばかり主導権を取られたくなくて、無理やり後の言葉を継いだ。謠子はそのまま説明を続ける。


「そうね。そこで、AIの出番」


「そこで……って、AIに何ができるのさ」


「AIに主権者になってもらうわ」


 いよいよ理解ができなくなった。もはや謠子が何を考えているのか欠片もわからない。


「もっと正確には、AIを通じて私たちが主権者になる。要は、AIに私たちの意思を代弁してもらうのよ」


「AIに代弁……? そんなことできるの?」


「できるわ。事前に私たちの考え方をまとめておけば、それをインプットするだけでいい」


 つまり、こういうことだった――ディストピアの世界に入れない葉月たちの代わりに、葉月たちの意思を組み込んだAIを送り込んで、主権者の座に据える。


 だが、この話にはいくつかの前提が欠けていると、すぐに葉月は気がついた。


「私たちの考えなんて、どこにもまとまってないじゃん」


 そう、まずそんなものを作った覚えは葉月にはない。率直な疑問を述べる葉月に、謠子は得意げに言葉を続ける。


「ふふふ。何を言ってるんだね葉月君。それならそこにあるじゃないか」


 ふざけた言い回しをしながら、謠子は葉月を指差した。正確には、葉月がかけているフリーグラスを。意味不明な謠子の行動にぽかんと口を開けていた葉月だったが、やがてピンと来て、ぽつりと言った。


「憲法……?」


 フリーグラスには、葉月が推敲してきた謠葉国憲法が保存されている。


「そう、謠葉国憲法。それって、要するに私たちの意思そのものでしょう?」

 盲点だった。


「……確かに。この憲法って私たちが理想とする国の在り方が言語化されているのか」


「そう。だから、その憲法をそのままAIに読み込ませるだけでいいのよ」


 謠子の言っていることはわかる。AIが葉月たちの思想の体現である憲法に従うのであれば、それは葉月たちに従っていることと同義だ。そして、謠葉国をそのAIが統治するということは、すなわち葉月たちがAIを通じて国を統治していることを意味する。


 だが、まだ課題はある。


「……謠子のアイデアはわかったよ。でも、そんなAIどこにあるのさ。AIがなければ、全部机上の空論だよ」


 そう、肝心のAIが使えなければ意味がない。少なくとも葉月には、そんな都合のいいAIに心当たりはなかった。


「ここにあるわよ」


 しかし、謠子はあっさりととんでもないことを言ってのけた。シミュレーターに備え付けのPCの画面を指差すと、そこには謠子があらかじめクラウドにアップしておいたらしいファイルがダウンロードされていた。葉月は混乱して何が何やらという状況であったが、どうにか質問を返す。


「ここにって……。どうやって」


「作ったわ」


「作った……」前回の打ち合わせから、まだ一週間しかたっていない。「謠子、そんなことできんの」


「言ったでしょう? 私この分野では優秀なのよ」


 開いた口がふさがらなかった。なんなのだこの女は。ふざけているかと思えば、突然とんでもないことをあっさりとやってのける。謠子の思考も、謠子の存在そのものも、葉月の常識を完全に超越していた。ここにきて、葉月は謠子の言うことにおとなしく従うことにした。謠子のことを認めてというよりは、もはや逆らう気力もわかなかったからだったが。


「オッケー。わかったよ。わかった。謠子の案を採用する。とりあえず、シミュレーターを回してみよう。うまくいけば、問題も解決するわけだし」


「よし。ただ、その前に憲法をAI主権に合わせて書き換えないと。葉月、文章お願いしていい?」


 葉月はそのことをすっかり忘れていた。国家の枠組みがAI主権になったのだから、当然それに従って憲法を書き換える必要がある。そして、それは葉月の仕事だった。いつのまにか、シミュレーター担当の謠子と作文担当の葉月で、自然と役割分担が成立していた。


「わかった。考えながらまとめるから、少し時間頂戴」


 それから葉月は教科書をひっくり返し、時折謠子と議論しながら、国の枠組みを決めていった。


「ねえ謠子、一つ聞きたいんだけど、AIに欲ってあるの? 自分だけがいい思いをしたい、とか」


「そうねえ。AIのレベルによるかしら。例えば、私が作ってきたこのAIには、欲望なんていう高度な機能は実装されていないわ。膨大なシミュレーションデータをもとに学習を繰り返して、文字通り機械的に謠葉国をコントロールすることしかできないもの。でも、人間と同様な自意識を獲得したもっと高度なAIなら、自分の欲に従って行動することもあるでしょうね」


 そうしてしばらく手を動かして、ようやく草案が出来上がった。


「大体こんな感じかな」


 そう言って、葉月は人差し指を弾いた。指先の動きと連動した葉月のフリーグラスが反応し、謠子のコンタクトと画面を共有する。そこには、いくつかの条文が書かれていた。


第○条 謠葉国は、公正不偏な管理者たる人工知能がこれを管理し統制する。

 二 管理統制者たる人工知能は、謠葉国の主権者にして国権の最高機関であり、立法権、行政権および司法権のすべてを総攬そうらんする。

 三 管理統制者たる人工知能は、この憲法に絶対的に服する。


 おお、と感嘆の声を上げて、謠子は葉月の書いた条文をしばらく眺めていた。それから、畳みかけるように質問をしてきた。


「立法権、行政権および司法権を総攬するって、人工知能一個だけでいいの? 議会とか裁判所とかは? これって、三権分立の形にはしないってことだよね?」


「うん。さっき、AIに欲はあるかって質問をしたでしょ? そしたらこのAIにそんなものはないって謠子が言うから、分立は必要ないかなって。私欲を満たしたいっていう発想自体がないなら、そもそも統治者が暴走することはないと思ったんだよね。だから、三権全部をAIに持たせてもいいかなって」


「なるほど。独裁者が完璧なAIなら、独裁政治でも困らないってことね」


「AI独裁政権かあ。こんな政治形態ができるなんて知ったら、アクトン卿も驚いただろうね」


「アクトン卿? 誰それ」謠子が首をかしげる。


「世界史でやらなかった? 『絶対的権力は絶対的に腐敗する』って」


「なんか聞いたことはあるわ。……よく覚えていないけれど。それはともかく、葉月が書いてくれた憲法を、AIにインプットするわね」


 それから謠子は「AIはナマモノじゃないから、腐るわけないもの……」などとぶつぶつ言いながら手を動かしていたが、作業自体はすぐに終わった。


「あとは、このAIを謠葉国に呼び出せばいいわ」


「これでもうシミュレーションできる?」


 この新憲法のもとの謠葉国の行く末が気になって、葉月は気がせいていた。だがそんな葉月に、謠子は冷静な声で告げた。


「ううん。最後にもう一つ作業があるわ。AIの基本は学習よ。大量のデータを読み込ませて、初めて本領を発揮するの。蓄積された膨大なデータと、今目の前で起きている事象とを比較して、どのように対応するのがベストか決定するっていうのが、AIのもっとも基本的な動きね」


 謠子からの思わぬ発言を受けて、葉月は困惑する。


「えっ、だってそんなデータなんて……まさか、あるの?」


「ないわ」


 葉月の疑問に、謠子は即答した。


「ないって! じゃあ結局AIは使えないってこと?」葉月は憤る。


「そうは言ってないわ。ないなら作ればいいのよ」


 そう言うと、謠子は画面に別のファイルを表示した。


「これは世界各国の憲法のデータよ。いまからこれを、課題で使ってるのと同じシミュレーターにかけるわ。どのような憲法のもとで人間がどのようにふるまうのか、膨大なデータが手に入る。そのデータを食べさせて、AIに人類社会というものを知ってもらうわ。AIは、そうして学んだ人類社会の傾向と自分が支配している謠葉国の状況、それに謠葉国憲法の理念とを比較することで、どうやって国を導いていけばいいか判断できる。データの収集にかかる時間は……そうね、データ自体を人間が読み取れるようにする必要がないから、その分シミュレート速度も飛躍的に上がるし、大体一時間くらいあれば十分じゃないかしら」


 葉月は素直に感心した。ないなら作ればいい、という発想はなかった。


「ということで、まずはAIに食べさせるデータのシミュレーションよ。さっき言ったように一時間くらいはマシンを回しっぱなしにするから、私たちはその間好きなことしてて大丈夫よ」


 言うや否や、謠子はシミュレーションを開始してしまった。備え付けのPCの画面上によくわからないものが現れては消えている。謠子の意識はもうすでにそちらにはないようで、手元のタブレットをいじくり回していた。


 フリーグラスの普及によって化石デバイス扱いとなったスマートフォンとは対照的に、登場から半世紀以上たったいまでも、タブレットはしぶとく生き残っていた。コンタクト型のフリーグラスは眼鏡型と違ってどうしても目に負担がかかるので、じっくりとものを読むときなどには、タブレットを併用している人間も多い。謠子もどうやらそのタイプのようだった。確か、謠子は講義録もタブレットで取っていたな、などと葉月は思い出す。


 立ち尽くして謠子のことを観察していても仕方ないなと思い直し、葉月も適当な方法で時間をつぶすことに決めた。だが、その前にトイレに行きたかった。

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