Article 1. Down the Loophole ⑩
「で、
「何が?」
「何がって、話聞いてる?」
「聞いてない。私いま麻婆豆腐食べるので忙しいから」
と、よく通る声で少女が即答する。
「そんなひどい……。とにかく、最近電車で乗り合わせるおばさんたちの会話がうるさくて」
「知らないわよ、そんなの。私にはいまの葉月の方がよっぽどやかましい」
「相変わらず友世ちゃんは厳しいなあ……」
目の前で麻婆豆腐をかきこんでいる少女――友世は、葉月の幼いころからの、そして唯一といっていい友人だった。もともと地元でご近所さんだったのだが、葉月が大学に入って上京したタイミングで一度離れ離れになっていた。昨年の春に友世も晴れて大学生になって上京してきて以来、こうして時たま一緒に食事をしている。
店内に残された客は、葉月と友世の二人だけだった。バイトが押して、葉月の到着が思ったよりも遅くなったせいだった。友世からの注文を受けて「チャーハンひとーつ」という店員の声が店いっぱいに響き渡る。
「友世ちゃんは新学期どう?」
春らしい話題へと、葉月は切り替えた。
「そうね、ぼちぼちかしら。……でもまあ、環境も変わればややこしごとの一つや二つは出てくるもんよね」
万事順調――とはいかないみたいだったが、友世の表情はあくまで涼しげだ。
「そうなんだ。友世ちゃんも大変だね」
「いろいろ突っかかってくるやつがいるのよ。人のことをクロムモリブデンだなんて、誰が鉄面皮よ、まったく……」――友世の苗字は黒森という。「でもいいの、向こうが子どもなだけなんだから」
言いながら、友世は八宝菜を取り皿によそっていく。
相変わらず容赦ない性格だなあ、と葉月は苦笑する。お人形みたいな外見とは裏腹に、友世は良くも悪くもスッパリとものを言う性格だった。きっと、そりが合わないと思われることも多いだろう。
だが、葉月はそんな友世の飾らないところが好きだった。友世は人からどう思われるかということにあまり頓着していないように見える。ある意味では誰に対しても平等で、年上の葉月に対しても臆せず接してくるし、逆に年下に対しても、偉ぶったりはしない子だった。幼いころからの付き合い――という点は間違いなく大きいが、人付き合いが苦手な自分が仲良くいられるのも、やはりそんな友世の性格のおかげなのだろうと、葉月は思っていた。
「葉月の方は、大学どうなの?」
出来立てのシュウマイに箸を伸ばしつつ、今度は友世が質問した。
「そうそう、それなんだよそれ! 聞いてよー」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに身を乗り出す葉月に、友世がしまった、という顔をする。
「……聞かない方がよかったかな、これ」
「ええ、ひどいよ友世ちゃん……。そんなこと言わないで」
話を振ったことを悔いる友世に構わず、葉月は勝手に語り始めた。立法学が予想外の展開になったこと。ディストピアの憲法を作って、教授に一泡吹かせてやろうということ。課題が思ったよりも手間取りそうなこと。そして、相方が変なやつであること。
「なんか、どうも距離感図りづらいんだよね。調子を狂わせられるっていうか。ある意味自由っていうか。なんだろう、我が道を行くタイプっていうのかな、あれは」
「ふーん。まあ、私的には葉月が人の顔色を気にしすぎなだけな気もするけど」
餃子をタレにひたしながら友世が言う。
「私のことは関係ないでしょ! ていうか、あいつとか友世ちゃんみたいなタイプの方が、珍しいから!」
よく考えると、友世もどちらかといえば謠子側の性格であることに思い至る。どうやら共感は得られそうになかった。それでも葉月は何とか理解してもらおうと、謠子の行動の一つ一つがどれほど常識外れかを懇切丁寧に説明する。肝心の友世はといえば、意外にもそれを楽しそうに聞いてた。なぜかにやけ顔なのが葉月としては気になるところだったが。
「なんだかんだ楽しそうでよかったよ。葉月って私くらいしか友だちいないし、これからどうなるかなって少し心配してた」
葉月の話をひとしきり聞いたところで、友世が言う。
「なにそれ、大きなお世話!」
彼女の表情に得体のしれないものを覚えながら、葉月は憤る。追撃と言わんばかりに、友世が来たばかりのチャーハン片手に質問を投げかけてきた。
「その人、休日とか何してるの? 趣味は?」
「知らないよ、そんなの。プライベートな話あんまりしないし。……ねえ友世ちゃん、さっきから食べすぎじゃない?」
「そうかしら?」と意にも介さず友世が熱々のチャーハンをよそう間、葉月は考えていた。確かに、振り返ってみれば謠子との会話は課題に関するものばかりで、個人的なことについての話はほとんどしたことがなかった。
「でもむしろ好都合だよ。別にそこまで深入りする気もないし」
そう、ある意味ちょうどいい関係だ――と葉月は思う。
「せっかくだし、もっと距離詰めてみればいいのに」
「えー! 何であんなのと距離詰めなきゃいけないのさ。これ以上突っ込んだら、こっちまでおかしくなりそう」
断固拒否の意を示す葉月に、友世はじとっとした目を向けながら、あいかわらずにやにやした表情を浮かべていた。
「何……その目?」
何となく嫌なものを感じ取り、思わず口にする。
「いや、なんでもないけど?」
友世がシラを切る。だが、彼女は面白くてたまらないという雰囲気を全身から漂わせていて、それを隠そうともしない。
「ちょっとー! なんなのさー!」
葉月が食い下がると、友世はようやくぼそりと言った。
「葉月、あなた実はその人に悪い印象ないでしょ?」
形になった言葉に、思わずうっ、と詰まる。ここぞとばかりに、友世が追い打ちをかけてきた。
「こんなにたくさん他人について話す葉月なんて、久々に見たわ。それってさ、興味の裏返しじゃなくて?」
苦虫を噛み潰したような顔で無言を貫く葉月に、杏仁豆腐を小さな口に運び終わったスプーンをビシリと突き付けて、友世がしたり顔で告げた。
「……葉月のそういうところ、私的にはどうかと思うけどなあ?」
ごま団子のお客さまぁー! という店員の声が、店内にこだまする。
*
翌週の水曜日、三回目の講義を終えた葉月と謠子は、自習室で再び打ち合わせをしていた。
「さっき話した通り、これからどうすればいいのか私は全然思いつかなかったよ。どうしよう」
葉月は、先週の打ち合わせから今日まで、書いた条文の推敲や憲法学の勉強などを続けていた。しかし、結局統治機関の専制を抑圧できるような打開策を思いつくことはできなった。やはり八方塞がりか、と苦しい表情を浮かべる。
ところが、謠子からは予想外の回答が返ってきた。
「私、解決策思いついちゃったかも」
葉月は驚きでひっくり返りそうになった。
「え! どんな方法⁉」
葉月のリアクションを見て、謠子はこの上なく得意げな顔をしている。そのままデジタルボードの前に立った。
「ふふん。これを使えばいいと思うのよ」
そこにはシンプルなアルファベット二文字が書かれていた。あまりに予想外な文字列に、葉月は、思わずそれを読み上げてしまう。
「……A、I?」
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