Article 1. Down the Loophole ⑨
「じゃあ、これで一回シミュレートしてみる?」
「うん。お願い」
「ついでに、民主主義体制に移行したら自動でシミュレーターが停止するような設定にしておいたわ。それじゃ、いくわよ?」
謠子が、再びシミュレーションを開始した。デジタルボードに映し出された画面の上では、またしても多数の数字が踊っている。機械側のモニターをにらむように見つめる謠子とデジタルボードとを、今度も葉月は交互に眺めていた。
やがて、画面が止まった。
「二分……。四十年ってところか……。やっぱりそう簡単にはいかないのかなあ」
時間を確認して、葉月はがっかりしたように言った。
「そうだね。経過を説明した方がいい?」
「お願い」と促されて、謠子が説明を始めた。
「最初の十五年くらいは、統治機関が、三権分立の下で国民の権利を制限するディストピア体制を敷いていたの。もちろん、統治機関は憲法の理念に従っていたから、安全、平等、幸福が、きちんと実現されていたわ。この時期は三権……議会と政府と裁判所は互いを監視して、憲法の理念が実現され続けるよう、がんばっていた」
「そこはうまくいったんだ」
最初のシミュレーションでは一度たりともディストピアは訪れなかったが、今回は曲がりなりにもディストピアを作ることに成功していたようだった。
「そうね。私たちの意図は、短時間ながら実現されていた。その点は大きな進歩だと思うわ。……でもそのあと、三権が結託したのよ」
「結託って……」
「つまり、お互いに監視し合うことが馬鹿らしくなったのね。そもそも憲法に違反したところで何のペナルティもないことに気が付いたんだわ。彼らは相互監視をやめて、三者共同で国民を搾取する方向に動いた。彼らは甘い蜜を吸って、幸福を独占することにしたのよ」
「それじゃ、統治機関全員で専制政治をやってるのと同じじゃん」
「葉月の言う通りよ。結局、専制君主が巨大な組織としての形をとったにすぎなくなったわ。あとの展開は最初のシミュレーションと同じ。統治機関の圧政に我慢ならなくなった国民が革命を起こし、この国は新憲法のもと、民主主義体制に移行したわ」
「そこで終了、ってわけか。うーん、そうならないために『憲法に従って権力を行使すること』って書いたんだけどなあ」
「憲法には謳ってあっても、結局強制力がないから、どこかのタイミングで憲法を無視してしまえ、ということになるわけね。そして一旦そうなったら、もうどうしようもない」
「剣なき秤は無力、ってやつかあ」
強制力のないルールなど子どもの落書きと大差ないということを、葉月は痛感していた。
「ねえ葉月。現実の憲法だって同じ問題を抱えていると思うけど、どうやって解決しているの?」
謠子に質問されて、葉月はまた参考書をめくった。少し読み込んで、考えをまとめてから喋り出す。
「えーっと、根本的に、どの国にも主権者がいるんだよね。この日本もそうだけど、普通は国民主権。つまり、国民が国で一番偉くて、国のことに関する最高決定権を持っている。議会も政府も裁判所も、究極的には国民が認めているからその地位につける。だから、もし彼らが国民の意思に反するようなことをすれば、最終的にその地位を追われて、新たにふさわしい人間がその職務を行うんだね」
「なるほど。主権者……国民の意思による地位だから、憲法に反することをすれば、最終的には国民が許さないのね。統治者も自分の地位を失いたくないから、ふざけた真似はしないと。そういう形で、憲法の実効性が担保されているということね」
憲法の背後には常に主権者である国民がいて、統治者たちを見つめている。そうやって、現実の憲法の有名無実化は防がれているのだということを、葉月たちは確認しあった。
「だからそういう意味でいうと、憲法を機能させるためには、主権者の存在っていうのが絶対に必要なんだよね。ただ……」
そう言うと、葉月は腕を組んで考え始めた。
「ただ?」
葉月の次の言葉を待つように、謠子が繰り返す。
少し間をおいて、葉月が答えた。
「民主主義ってのはまさに国民主権のことだよね。でも私たちとしては、民主主義を認めたらディストピアにならないから、当然、国民に主権を認めるわけにはいかない」
「確かにそうね。でもそれじゃあ、誰が主権者になるの?」
謠子の疑問に、葉月は困り顔で答えた。
「さっきも少し話したけど、この国に主権者がいるとすれば、それは私たちなんだよ。私と謠子。でも、私たちはこのシミュレーターの世界には入り込めない。だから、この国に主権者を設定しようがないんだよね」
「主権者がいなければ、統治機関の暴走を止められない。でも、主権者である私たちはディストピアの世界に存在できないから、結果として統治機関の暴走を抑止できない、ってことね」
「ちょっと詰まっちゃったね」
「私もパッと打開策を思いつけないわ」
それから、二人とも参考書を読んだり、意見を交わしたりしていたが、この問題を解決できそうな妙案は出てこなかった。そのうち謠子が、いい時間だから一旦お開きにしましょう、と言って、今日は解散することになった。
自習室を出たあと、資料をどこにしまおうかという話になった。憲法自体のデータや電子資料はフリーグラスやクラウドに保管すればいいし、実際、資料の大半は電子データだった。デジタルボードに手書きしたメモやシミュレーションの結果も、クラウドに保存してある。だが、紙とペンで作成した資料がゼロというわけでもない。これらを毎回持ってくるのも面倒だったので、話し合いの結果、必要な資料は学内の共有ロッカーに置いておくことにした。
ロッカーフロアを出る間際、謠子が思い出したように葉月に話しかけた。
「あ、そうだ葉月。一つ思ったんだけど」
「ん? 何、謠子?」
「さっきから『この国』とか『国民』とか呼んでるけど、この国の名前を決めた方がいいんじゃないかなって思って」
「ええ、そんなの適当でいいんじゃないの? A国とか」
「駄目よ。そんなんじゃ愛着持てないわ」
シミュレーション用のディストピア国家に、愛着なんか持つ必要がどこにあるのだろうか。そんな風に考える葉月を尻目に、謠子は「それで」と切り出して言った。
「私考えたのよ、国の名前」
「はあ……。で、なんていうの」
葉月の問いに、謠子は待ってましたとばかり、胸を反らせて得意げに口を開こうとする。そっちのサイズは私と大差ないよな――などといまさらながら考えていた葉月に、謠子が仰々しく告げた。
「あなたと私の名前をとって、『
予想外に安直な答えに、葉月はずっこけそうになった。そこまで自信ありげに言うから、もうちょっとひねったものが出てくるかと思っていた。第一、決めたってなんだよ、と思う。どうやら、拒否権はないらしかった。
「まあ……。なんでもいいけどさ」
「えへへ、謠葉国。葉月と私の二人の国よ」
そもそも私はお前とそんなに親密な仲じゃないぞ、という心の声はしまっておくことにした。ここでツッコミを入れると話がまたこじれそうだったので、謠子の好きにさせておくことにする。
「国の名前はいいけど、次回までに今日の課題をどうやって解決するか、考えてきてよ。私は今日出た条文を整理して、もう少しそれっぽくまとめておくから。あと、各々憲法の勉強はしておくこと」
宿題事項をまとめる葉月に、謠子はにこやかな笑みを浮かべながら返した。
「はいはい。ちゃんとやりますよ。私たちの謠葉国を最高のディストピアに作り上げるんだから。そのためなら、どんな勉強だって困難だって乗り越えるわ」
どんな物騒な決意だよ、と葉月は謠子の言葉に呆れるばかりだった。
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