Article 1. Down the Loophole ⑧

「え? うた、何で止めるの? てか、いまこれどうなってたの?」


 づきは何が何だかさっぱりわからずに、矢継ぎ早に疑問を口にする。謠子はモニターで何やら確認すると、葉月の方を見てぽつりぽつりと説明を始めた。


「えーっとね、順を追って説明すると、シミュレーションが始まってから早々に血みどろの殺し合いが始まったわ」


「へ?」


 予想外の答えに、思わず間抜けな声が出た。ディストピアを作るのに、何で殺し合いが始まるのだろう。


「……さっきの憲法には人権を制限するってことと、あとは国家のお題目的な理念しか書かれていないわ。肝心の具体的なことは何もない。これは私の推測だけど、そんなふわふわしたルールだけを与えられて、国民たちはどうやって国を運営していったらいいかわからなくなっちゃったんじゃないかしら。政府もない国とも呼べない集団の中で、困った彼らはいちばん原始的な方法をとることにしたのよ」


「つまり?」


「つまり、力が正義っていう、至極シンプルな社会ね」


「そんな……」


 葉月は、予想だにしなかった展開に面食らっていた。


「一部の力の強い者が、それ以外の者を従えて、集団を作った。そうした集団がいくつか乱立して、互いにしのぎを削り始めた」


「それって、まんま戦国時代じゃんか」


 いくつかの武装集団が縄張り争いをしているイメージが、葉月の頭の中に浮かぶ。


「そうね。ほとんど何も決めてないに等しい憲法なんか何の役にも立たなかった。彼らはそんな役立たずのルールは顧みず、自分たちの力で生き抜くしかなかったのね。それで、社会は乱世になった」


「そのあとは?」


「そのあとは、現実の歴史と同じ流れをたどったみたい。乱世はしばらく続いたけれど、やがてこれを勝ち抜く者が現れた。彼は天下統一を成し遂げて、自らを君主とする政府を作ったわ。シミュレーションは人間社会の動きを忠実にモデル化しているから、こちらから特に設定をしない部分は、基本的に実際の歴史の流れを踏むことになるのね」


「政治形態としては、専制君主制になったわけか……。でも、今回は私の憲法があるじゃない。それはどうなったの?」


 素朴な疑問を謠子にぶつける。


「君主は、乱世の過程で失われた葉月の憲法を再発見したみたいだけど、みんな平等なんて専制政治に不利だから、闇に葬り去ることを選択したようね」


「そんなあ」


 どうやら、葉月の憲法はまるで役に立たなかったようだ。


「その後しばらくは世襲制の君主が国を治めていたみたいだけど、そのうち政治が腐敗して、市民革命が起きたわ。彼らは、あらためて自分たちの憲法を制定して、民主主義政府を樹立した。そうして、平和な世の中が訪れたわ。めでたしめでたし。ここまできたらもうディストピア体制実現の目はないと思って、止めちゃった」


「結局、人類の歴史がそのまま繰り返されただけか……」


 葉月は小さく肩を落とした。一方、謠子はといえば、むしろ興奮したように言葉を続ける。


「でもこれは重要な気づきよ、葉月。もし何もせずに放っておいたら、必ず革命が起きて民主主義社会が到来することがわかったわ。つまり、世界には常に民主主義に傾こうとする力が働いていて、私たちはそれと反対方向の、反民主主義の力をかけ続けなければならないということよ。もし私たちが国民のコントロールに失敗したら、それは即ディストピアの崩壊を意味するってことになるわ」


 人類が民主主義社会を志向することは、歴史からみて明らかだった。ディストピアはその対極にあるから、民主主義の到来を確実に封じ続けられる相当強力な憲法が必要になる。そのことを、葉月たちは身をもって理解させられていた。


「よほど念入りに憲法を作らないといけないのか……」


「どうやら簡単にはいかないみたいね。ちょっと燃えてきたわ」


 予想よりも手間がかかりそうだなと気落ちする葉月とは裏腹に、謠子は目をらんらんと輝かせている。どうも謠子は、難しい課題にぶつかると逆に燃え上がる性格をしているらしい。


「とりあえず、今回の失敗の原因を分析しましょうか。葉月は、何が問題だったと思う?」


 そう言われて、葉月は考えてみる。そもそも、乱世に突入したこと自体が問題だった。争いの世では、誰も葉月の憲法を従うべきものだと考えていないし、国民を憲法に従わせようとする者もいなかった。それに乱世の有力者は、自分の配下にはルールを強制できても、他の有力者の配下には手が出せない。だから、仮に憲法を守らせたいと思っても、統一的に憲法を適用することなどどのみち不可能だった。天下統一が成し遂げられた後は、君主が葉月の憲法を自らの領民に適用してくれればよかった。だが、あいにく君主制とは相容れない内容だったので、憲法は打ち捨てられた。ここから見えてくることは。


「国家において憲法を機能させるためには、それを国全体に適用、運用できるだけの強力な統一的政治権力が必要なんだ。つまり、一つの中央政府の存在が必須だし、その支配力を全国に及ばせられるくらいには強力でないといけない。そのうえで、その政治権力に憲法を守らせることが必要、だったんじゃないかな」


 葉月は静かに結論を述べた。謠子はふむふむ、といった調子でうなずき、さらに質問を投げてくる。


「なるほどね。じゃあ、どんな条文を追加すればいい?」


「まず、政治権力の枠組みを決めることが必要かな。力のあるやつが上に立つ、ということを禁止しておかないと、必ず乱世になって、そうなれば現実の私たちと同じ歴史を繰り返して民主主義一直線だ」


「枠組みって、どうすればいいのかしら」


「あらかじめ、権力を握る人間をこちらで指定してしまえばいいんじゃないかな。……このシミュレーターって、そういう設定はできるの?」


「それは大丈夫よ。初期設定をいじれば対応できるわ」


「よし。で、その上で、それ以外の人間は権力を握れないようにする」


「じゃあ、こんな感じ?」


 謠子はペンをとると、記入モードに戻したデジタルボードに条文を書いた。


第○条 この国は、あらかじめ決められた人間が統治する。それ以外の者は、統治はできない。


「見よう見まねで書いてみたんだけど、どうかしら」


 まだ少しこなれてないかなとは思ったものの、悪い出来ではないなというのが葉月の率直な感想だった。法律にほとんど触れたことのない人間の作文としては上出来だろう。どうやら蔡原謠子という人間は、相当呑み込みが早いタイプらしかった。


「いいんじゃないかな。方向性自体も悪くないと思う」と言いながら、葉月は少し考えて、さらに言葉をつづけた。


「ただ、それだと結局専制君主と変わらないような気がする。憲法から正当性のお墨付きをもらった統治者は、いよいよ好き勝手に圧政を敷いちゃうかも。そのうち、国民の間に革命をしようっていう考えが広まっていくんじゃないかな。いくら憲法で統治者を定めても、蜂起されたらそれまでだ」


「うーん。じゃあ、どうすればいいのかしら」


「権力者に好き勝手させないようにすればいい。憲法に直接そう書いちゃえばいいんだ。謠子、ペン貸して」


 ペンを受け取ると、葉月は謠子の書いた条文の下に、新しい条文を書き足した。


第○条 統治者は、この憲法に従わなければならない

第〇条 統治者は、この憲法に定める理念を実現するためにのみ、その統治権を行使することができる。


「なんだか、民主主義っぽい感じね」謠子がつぶやく。


「ある程度は仕方ないと思うよ。民主主義憲法は、主権者である国民の権利を守るために、統治者の権限を制限することを目的としてる。で、私たちの憲法も、ある意味では私たちが主権者で、私たちが意図する通りの国にするために、統治者の権利を制限しないとダメっぽい」


「統治者の権利を制限するという目的は、民主主義国家の憲法でもディストピア国家の憲法でも共通するのね。ちょっと予想外の結論だわ」


 謠子が驚いたような顔で言う。葉月も、こんな方向性になるとは思いもしなかった。実際にシミュレーションをしなければ、きっとこの結論は出てこなかったはずだ。


 葉月は、フリーグラスのウィンドウに参考書を表示すると、ぱらぱらとめくった。これまでの議論の中で、葉月は一年生の憲法の講義で勉強したことをだいぶ思い出してきていた。昔詰め込んだことをどうにか引き出して、さらなる方向性を検討していく。


「統治者の権力を制限するなら、現実の枠組みをそのまま展開できそうだね。三権分立とかさ」


「三権分立ってなんだったかしら」


 当然の質問が出た。三権分立の考え方も謠子にはなじみがないだろう。ただ、これもまた難しい概念なので、葉月は一つ一つかみ砕いていくことにした。


「国の統治者は、法律を作るよね?」


「うん」謠子がうなずく。


「それで、統治者はそうやって作った法律に従って、実際の政治を行う。これもわかる?」


「ええ、そうね」


「それから、憲法は統治者の統治方法を定めるルールだから、法律とか政治がそのルールからはみ出してないか、チェックする必要があるよね?」


「そうしないと、憲法がある意味がないものね」


 謠子の呑み込みが早いのは助かる。


「法律を作る権限を立法権、政治を行う権限を行政権、憲法への違反がないかチェックする権限を司法権って言うんだ」


「三つかあるから三権?」謠子が先回りして言う。


「そう。で、この権限が一人に全部帰属していたら、どうなると思う?」


「自分でやりたい政治のために、自分に都合のいい法律を作る。自分の作った法律や自分の政治が憲法に反してないかを自分で判断する。……仮に憲法違反だったとしても、自分で自分が違反してるなんて、そんな判断するわけないわ。統治者は、常に正しい存在になる。こんなの、何でもありじゃない」


「でしょ? だからこの三つの権利を、それぞれ別の人間に行使させるんだよ。お互いがお互いを牽制するように」


「それが三権分立の考え方ね」


 葉月はうなずいて、シミュレーターの方を見やる。


「統治者たちは、私たちの思惑に従うように法律を作り、私たちの思惑に従うように政治を行い、その政治と法律が私たちの思惑に反してないか、審判を下す。そういう風に動いてもらいたい」


「それも条文に書くの?」


「これがまさに国の枠組みっていうことになるから、書かないとだね」

 葉月は、さらに条文を書き足した。


第○条 国の統治機関として、議会、政府および裁判所を置く。

第○条 議会は、立法権を行使する。

第○条 政府は、行政権を行使する。

第○条 裁判所は、司法権を行使する。


「また一段とそれっぽくなってきたわね」


「さっきの条文は『統治者』って書いたけど、こんな感じで三つに分けたから、『統治機関』っていう言葉に統一した方がよさそうだね。統治は別に個人でやるわけじゃないし」


 葉月はそう言うと、謠子が書いてくれた分もあわせて、ここまで書いた条文を修正した。

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