Article 1. Down the Loophole ④

「何作っても、いいんだよね?」


「特に指定はなかったけど」


「じゃあさ、一番すごいの作ろうよ」


「すごいのって、どういう……」


 思わずオウム返しになる。これまたずいぶんと抽象的な言葉だった。理系はもっと論理的で具体的なイメージだったが、どうやら少なくともうたに限ってはそうでもなさそうだった。づきの返答を受けて、謠子が続けた。


「そうねえ……。一番影響力があるとかかしら? あとは、影響範囲が広いとか」


「なるほど……」


 そう言われて、葉月も考え込む。法律の勉強は真面目にやってきたとは言い難いが、それでもどうにか考える。


「となるとやっぱりあれかな、憲法になるのかな」


「憲法?」


 そう繰り返した謠子の表情は、明らかにわかっていない人間のものだった。葉月はすかさず補足を入れる。


「まあ、ざっくり言えば、国の一番の基本になるルールだね」


 答えながら、一方で、葉月は内心ひやひやしていた。憲法は一年生のときに必修科目で履修したきりで、身につけた知識はほとんど記憶の彼方に忘れ去られている。葉月はフリーグラスで立法学の教科書を呼び出すと、役に立ちそうな情報を探した。序盤のあたりに、参考になりそうな箇所を見つける。


「えーと、憲法は、国の最高法規……言い換えると、一番効力の強いルールなんだ。憲法に反する国のルールは、全部無効ってことになってる。それが法律でも無効。例えば、犯人の取り調べのために拷問ができる、っていう法律を作っても、拷問はできない。憲法に『拷問は絶対禁止』ってあるから、拷問できるっていう法律自体が無効になる。細かい説明は省くけど、国が国民に対して好き勝手出来ないように、あらかじめその権限を制限しておくっていうのが、いまの民主主義憲法の考え方だね。どれだけ国が拷問をしたくても、憲法がある限り、それは許されない」


 謠子は黙って聞いていたが、葉月が言葉を切ったタイミングで、質問を返す。


「憲法は法律とは違うの?」


「言葉の定義をどう考えるかだけど、憲法のことを普通は法律とは言わないかな。憲法は、法律を作ってもいいよ、っていう権限自体を国に認めるルール。で、この権限に基づいて国が作るルールが法律。だから、すべての法律は憲法の下位にあるルールってことになる。もっとわかりやすく言えば、まず憲法が一つあって、その下に無数の法律が制定されている、っていうイメージかな」


「なるほど! じゃあ私たちが憲法を作れば、その憲法に従って、いろんな法律が作られるってことね。つまり、影響力はものすごく大きい!」


「まあ、そうなるね。憲法が一番上だから、憲法より影響力のあるルールは存在しようがない」


「よし、じゃあ憲法を作りましょう! あ、でも待って」


 勢いそのままに賛意を示した謠子だったが、一転何かに気づいたように、一つの疑問を口にした。


「さっきの話だと、今回の課題で憲法は作っちゃダメってことにならないかしら?」


「どうして?」


 そんな風に言われると不安になる。何か見落としていただろうか。


「だって課題って、『仮想国家における法を制定せよ』だったわよね? でも、憲法は法律じゃないんでしょう?」


 謠子が理由を口にする。だがそれを聞いて、葉月は少し安心しながら答えた。

「それについては、多分大丈夫だと思う」


「そうなの?」


「今回の課題は、『法を制定せよ』だから。憲法は法律じゃないけど、法ではあるっていうのが一般的な理解なんだよね。ほら、『法』と『法律』って違うからさ……。とはいえ、結局のところ認めてくれるかは横山教授次第なんだけど」


「うはあ。なにその言葉遊びみたいなの。そんな考え方でいいの?」


「法学なんてこんなのばっかだよ……。だから私も嫌いなの」


「うーん、選ぶ科目間違えたかなあ……」


 謠子はげんなりとした顔をした。


「で、憲法でいいの?」


「ええ、そうするわ」


 葉月の問いかけに、謠子が二つ返事をする。決まりだった。


「テーマは決まった、と。じゃあ次は、どうやって進めていくかだけど……」


 葉月がそう言ったきり、二人とも黙ってしまった。テーマが決まったところで、憲法などどうやって作ればいいか皆目見当もつかない。葉月は、投影した立法学の教科書をなんとなくぱらぱらとめくってみた。だが理論的な内容ばかりで、パッと見ですぐに役に立ちそうな情報はなかった。追加の資料が必要そうだが、そもそもどんな資料を集めればいいのかすらわからない。一度状況を整理して、必要な情報を明確化しておいた方がいいかもしれない。


 そんなことを考えながらふと謠子に目をやると、彼女はうーんとうなりながらフリーグラスで何かを確認しているようだった。葉月に見つめられていることにも気づいていないように見える。


 とりあえず謠子は放っておくことにして、葉月は再び考え始めた。憲法を作るのであれば、憲法自体に関する理解は必須だろう。憲法学の入門書でもダウンロードしておいた方がよさそうだ。


「あのさ」


 謠子が突然口を開いた。


「なに?」


「いまずっと調べてたんだけど、憲法は国の基本ルールなのよね。だから、憲法には、その国がどんな国なのかってことも書かれてるっていう理解なんだけれど、あってる?」


「えーと、それは、多分そうだね」


 意図がつかめないまま葉月は返事をする。


「じゃあさ、私たちが作る国って、どんな国なの? というか、どんな国を作りたい?」


 難しい質問だった。謠子が言っていることの意味は分かる。憲法を作るということは、一つの国家を作ることと同義だ。具体的な文章を考える前に、そもそもどんな国を作るのかを決めないことには、何も始まらない。専制君主国と民主共和国では、憲法の内容もまったく別物だろう。


「普通に思いつくのは、民主主義の国? いまの私たちみたいな」

「そうね……。でもなんか、ひねりがないわ。第一、すでにあるものを作っても大して面白くないわよね」


 そう言いながら、謠子は二杯目の紅茶をカップに注ぐ。


「まあ……。謠子は何かあるの?」


 こんな課題、何を作っても別に面白いとは思えないんだけど、という言葉は呑み込んだ。その代わりに発した問いかけに、謠子はまた考え始める。呼びかけてみても返事がない。


 どうやら謠子は、自分の世界に入ると周りが見えなくなるタイプらしい。注がれた二杯目の紅茶は、口をつけられることもないまま放置されている。葉月は、謠子が何らかの結論にたどり着くまで、おとなしく待つことにした。


「あのさ」


 また、「あのさ」だった。


「葉月は、SFって読む? それか、それ系の映画とか見たりする?」


 唐突な質問に、葉月は困惑を隠せなかった。


「SF? あんまりなじみがないけど……」


「そっか。じゃあ、ディストピアって言葉は、わかる?」


「ディストピア……。聞いたことはあるような」


 昔、何かで読んだ気がしたが、よく覚えていない。小首をかしげる葉月に、謠子が説明を始めた。


「簡単に言えば、理想社会を装った地獄のような社会のことね。そこには争いも危険もないけれど、人間の自由とか権利とかが制限されているの。自分の生活の何もかもを、誰かに監視、管理されている。見かけは平和だけど、そこに暮らす人々はとても幸せそうには見えない。一般的なディストピアのイメージはこんな感じかしら」


「ああ、そういうのなら聞いたことあるよ。で、そのディストピアがどうかした?」


 ディストピアが何かは分かったが、葉月はまだ謠子の意図を理解できないでいた。


「もしディストピアに憲法があったら、それはどんなものかしら? ねえ葉月。ディストピア国家にふさわしい憲法を作ってみるっていうのはどうかしら?」


 そうきたか。また斜め上の発想だな、と葉月は思った。ディストピアの憲法だなんて、考えたこともない。そもそも、そんな人権尊重の対極みたいな社会に憲法なんて必要なんだろうか。イメージ的にはまったく似つかわしくなかった。ただ――と葉月は考える。


 憲法とは、国の基本法だ。それがどんな国であれ、その国を形作るルールがあるはずだ。ディストピアの憲法は、おそらく一般的な意味での憲法とは異なる性質を持っているのだろうけれど、そのことが、憲法の憲法性を否定するものとも思えない。いまの民主主義憲法とはおよそ真逆のものになりそうだが、それでも、課題としてはおそらく成り立っている。


 そこまで考えたとき、ふと、なんでディストピアなんて思いついたんだろう――と葉月は気になった。普通に暮らしていて、出てくるような言葉ではないように思う。いくら謠子が変な女だとはいってもだ。


 だがそんな疑問も、直後に思い浮かんだある考えに気を取られて、すぐに葉月の頭から消し飛んだ。自分の中に生じた思惑に心躍らせながら、謠子の気が変わらないうちに話を進めようと、まくしたてるように葉月は言った。


「課題としてはおかしくはないと思うよ。少なくとも設問の条件は満たしてるんじゃないかな」


「じゃあ!」


「いいと思う。それでいこう」


 謠子の返事を聞いて、「よし」と思う。


 葉月の考えとは、こうだった。――そもそも、気に食わなかったのだ。本当なら、こんなややこしいことをせずとも、こんなわけのわからない女と関わらずとも、履修登録しただけで手に入れられたはずの単位なのだ。なのに、大学側の勝手な都合で、計画をぶち壊しにされてしまった。やられっぱなしでは納得できない。法学者からすれば、人を不幸にするような憲法なんて許しがたいだろう。それを、堂々と見せつけてやるのだ。横山教授が期待しているものとは真逆のものをぶつけて、一杯食わせてやろう――そんな風に葉月は思っていた。


 葉月の心は柄にもなく燃えていた。これから葉月たちは、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果を、土足で踏みにじることになる。


 それはまさに、法学という学問そのものに対する宣戦布告だった。

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