十二月二十四日
「いつにもまして元気だねぇ」
いつもの十割増しくらいの力で起こされて、まだ少しじんじんする背中の痛みを感じながら言う。
「だって! 今日は!」
こちらは同じく十割増しテンションの彼女。
「クリスマスだね。正確にはイヴ」
「そう!」
「プレゼントはないよ、残念ながら」
「今年のサンタさんはケチだなぁ」
「いい子にしてないからじゃ?」
「ひどーい」
「……ところで、夜までどうする?暗くなるまで十時間くらいあるけど」
クリスマスにもハロウィンと同じように色々催しがあって、前からそれに行くことになっている。が、それが始まって街が盛り上がりだすのは夜になってから。現在時刻は朝の八時。
「んー、適当で」
「適当かぁ」
「……はっ」
どうやら遊んでいるうちに寝てしまっていたらしい。窓の外を見るともう完全に夜で、遠くにイルミネーションらしき光も見える。
最期に見た時計が十二時くらいで昼食も取った記憶がないので、どうやら相当時間寝てしまっていたようだ。
「まじか……」
起き上がろうとして、体の上に重みを感じる。見ると、彼女の頭がお腹の上にあった。完全に枕にされている。まったく……と内心呟きながら起こそうとして頭に触れる。
そういえば、彼女が寝ているのを見るのは初めてだ。いつも僕を起こしに来るし、昼寝しているのも見たことがない。
何だか変な気持ちになって、なんとなく頭を撫でてみた。それで目を覚ましたようだ。
「んぅ……」
そのまま彼女は勢いをつけて起き上がろうとする。すると当然、その反動は僕の腹にかかるわけで、
「うっ」
弱い力ではあるが、空いた腹に衝撃が来るのはわりときつい。呻き声がもれる。
「……起きたかい」
「ん……おはよ……。……今、何時?」
そういえば見てないな、とスマホを見る。
「……八時」
「…………まじかぁ……。……よし、行こう!」
「どこに」
「街に決まってるでしょ!よし行こう!すぐ行こう!」
そう言って僕の手を引っ張ってくる。寝転んでいるところを結構強く引っ張られる。
「痛い痛い」
「ごめんごめん。ほら、立って立って!」
「はーい」
言われるままに立ち上がる。そのまま引かれて一階に降りて、玄関のドアが開いた瞬間、凍えるような冷気が襲い掛かってきた。
「……着替えよっか」
ドアをバタンと閉めて彼女が言う。賢明だ。
「……そうしよう」
そんなこんなで街に来た。ちゃんと厚着で。家から見えた通り店にも道にもいたるところにイルミネーションが付いていて、ハロウィンの時以上に眩しい。今いるのは中央通りに植えられた大きなもみの木の下――要するにド真ん中で一番賑やかで眩しい場所だ。
ふと彼女に声をかけられる。見ると妙に顔が赤い。
「ねえ」
「なに?」
「その、このへんさ、カップルっぽい人いっぱいいるじゃん?だから、その、私たちもそんな風に見えてるのかなぁー……って」
「……今更?」
自分で言うのも何だが、客観的にはそう見えると思う。だいぶ前から。
「んー、そっか」
「恥ずかしい?」
「なにをう」
茶化してくるが明らかに様子がおかしいのでバレバレである。いつもならもっとわーわー騒いでいるはず。
そう言われると、こっちまで意識してしまって恥ずかしくなってきた。彼女もなにやらわやわや言ってるし、話題を変えよう。
「ところで、お腹空いたね」
「そうだね!……ふぅ、何食べよっか」
「おまかせで」
「よし」
「せっかくだし、クリスマスっぽいのにしないとね!」
……と数十分前まで張り切っていたのだが、どこもかしこも満席でさすがに諦めたようだ。幸いと言うべきか、大通りから一本外れた所に色んな屋台が出ていたのでそれで済ませることにした。
彼女も両手にチキンを持って満足気だ。――片方は僕ののはずなんだけど。
ともかく、食べ歩きということになった。
「さて、どうしよう。大通り戻る? イルミネーションとかなら――」
「いふひへほふひへ」
「うん、その肉を口から離そう。なんて?」
「行こう!あっちの方だよね」
そう言って、大通りの、元いた所と少し違う方へ歩いていく。少しすると道の飾りが増えてきて、人も多くなる。そしてもう少し進んで、手の中の食べ物がなくなったころに、見えてきた。
片側二車線ある道路、それを架かる光のアーチ。他の場所やハロウィンの時のイルミネーションとは比べ物にならないほどの大きさと光量、それと人だかり。日本でもトップクラスの大きさで、このイベントの目玉――とさっき見たパンフレットに書いてあった。なにぶんこれまで興味がなかったので知らなかった。
「へぇー、こんなすごいのあったんだ」
知らなかったのは彼女も同様らしい。
今だけ歩行者天国になっているようだ。道路の端から真ん中まで、子供連れとかカップルとかが道を埋め尽くしている。百メートル程先の出口が全く見えない。
「………………ん」
彼女が手を差し出す。ハロウィンの時のように、それからのいつもと同じように。でも、いつもとは違う。普段より握る手の力が強い。
「へへ」
右を向けば恥ずかしげに笑う顔がある。それも、いつもと違う。
手を繋いだまま並び立って歩く。灯が多いとはいえ夜の暗さに慣れていた目。眩い光の中で、トンネルの中のものは街路樹も人も何もかもが逆光に覆い隠される。
それは右手に在る確かな温もりの存在感とともに、世界が二人だけになってしまったような錯覚を与える。他のものは全て背景になり、ただ僕と彼女だけがこの世界の中心にいる。
そんな感傷を覚えていると、いつの間にか光の輪も終わりに差し掛かっている。
そのとき、急にバランスを崩して転びかけた。手を繋いでいる彼女が急に立ち止まったからだ。
「どうかした?」
「…………」
反応もせず、微動だにしないでただぼうっと虚空の一点を見つめているような彼女。フェレンゲルシュターデン現象、という言葉が頭をよぎった。
また右手を急に引かれた――今度は前方向に。かなりの速さで歩き出した。そのまま振り向きもせずにまっすぐ進んでいく。
「ちょっと、どうしたの急に」
「…………」
反応がない。
「おーい。どこいくの」
「どこでも!」
今度は何か要領を得ない。それからは無言のまま進んでいく。この道は確か、海へ向かう方角。
少し歩くと、雪が降りだしてきた。ぽつぽつと、近くを見ていると気づかないくらいの今冬初雪。ホワイトクリスマスだね、と言ってみてもやはり返事はない。
二十分くらい歩くと海に着いた。といっても道とビーチの間には堤防があって海はまだ見えない。
堤防を上る。ここには小さいころから何回か来たことがあって、堤防の上からは海岸から沖合までが一望できるのを知っている。
階段を上りきる。予想していた通りの真っ黒な海。だけど、何か違和感がある。見渡す限りを包み込む漆黒。光は何一つと無い――沖合にあるはずの漁船のものも。
目を凝らす。遠くの海に、違和感の正体を見つける。
海が、途中から無くなっている。水平線のように見えるものはそうではなく、そこから先には何も無い。よく見るとその境界が歪んでいる。まだ乾いていない水彩画を、上から筆でなぞったように。そしてそれはだんだんとこちらに迫ってきている。今の今まで見えていた島が、数瞬の後には飲み込まれる。その先には何も無い。海の黒より黒い空間。
彼女は歩みを止めていないから、そんな世界の終わりのような光景に呆けている間もなくビーチに下りる。彼女の顔は見えないけれど、驚いている様子はない。
「これは……?」
返事はない。けれどもう少し早歩きになった気がする。激しく動く靴の中に砂が入り込んで重くなる。
波打ち際まであと二メートルくらいのところで、彼女が急に手を放して駆け出した。
軽快に。
いつも通りの彼女のように。
彼女がこちらに振り返る。夜闇に陰る表情はほとんど見えなくて、足首まで浸かった海の水飛沫と、翻るコートのシルエット。その奥にははらはらと降る細雪と、あの境界が今ははっきりと弧を描いて見える。
思えばあれから一言も発していなかった彼女が、まっすぐにこちらを見て口を開く。
「ねえ。
すこし、話をさせて?
これを聞いたら、君はきっとびっくりすると思う。戸惑うと思うし、困ると思う。
怒るかもしれないし、何言ってるかわからいないかも。
それにちょっと、暗い話になっちゃう。
だけどどうか、聞いてほしいな」
頷く。彼女がこんなに真剣なことを言うのは初めてだった。様子がおかしいのと関係があるのだろう。だから僕も真剣に、まっすぐ彼女を見る。だけど、
「わたしは――――」
迫り来る虚無の世界が、僕等を呑み込んだ。
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