第4話 呪いの聖剣

 周囲からは、やっちゃえトニー、と声援が聞こえる。


 その期待に応えるように、殺意漲る視線で俺を睨みつけ、トニーは大股に近づいてくると、勢いよく聖剣を握りしめた。そして、



「あばばばばばばっばばばばぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぇえええええええええ!」

 


 全身を激しく痙攣させながら奇声を発してのけ反り、白目を剥きながら背後にぶっ飛んだ。


 芝生の上を、ゴロゴロとでんぐり返しを繰り返した。


 ありあまる運動エネルギーは、ちょうどトニーがお尻を空に突き上げた醜態で相殺できた。


 さっきまでトニーを応援していた生徒たちは、ぽかんと口を開けたまま固まった。


 トニーの口から、だらりと舌が垂れると、聖剣は無感動な声で憤慨した。


『アナタ如き下賤な三下風情がイカ臭い手でこのワタシに触れるとは。全身永久脱毛して懺悔してください』


 ——罰が重すぎる!?


「お前、何したんだよ?」

『選ばれない人間がワタシに触れた場合、【持ち上がらない】を含む108の結果を起こせます。今回は、【一億ボルトの電流】と【不可視のアッパーカット】、それから【毎日しゃっくり】の三つにしました』

「最後のが何気に辛いなおい……」


 げんなりとへの字口を作った。


「くそがっ!」


 トニーは跳ね起きると、感情に任せて怒鳴り散らした。


「行けケルベロス! あのナマクラもろとも下民を食い殺せ!」

「「「■■■■■■■■!」」」


 三重の咆哮が衝撃波となり、俺の髪が後ろに暴れた。


 あまりの迫力に、膝と心臓がビクビクと震えた。


 それでも、男として、譲れないものがあった。


「あいつの狙いは俺だ。リリスは逃げてくれ!」

「そんなのダメだよ! 刀夜はわたしの使い魔だもん! わたしが、無理やりここに召喚しちゃったんだもん!」


 ――なんていい子なんだろう。


 あまりの尊さに、同級生の女子たちがゴキブリに思えてくる。


 リリスが天使過ぎて、俺は泣きそうだった。


 けれど、現実は待ってくれない。


 ケルベロスは、ヒモのように太いヨダレを何本も垂らしながら、白い爪を芝生に突き立て、駆けてきた。


 牛のような巨体でありながら、その動きは俊敏で、みるみる距離を詰めてくる。


 地獄の番犬の異名を取りながらも、その躍動感は一流のハンターを思わせた。


 さっきまで意気消沈していた生徒たちが再び盛り上がり、トニーに声援を送る。ケルベロスの向こう側で、トニーは嗜虐的な笑みで高笑った。


「くそ、どうすれば!」

『主様、どうかワタシを抜いてください。ワタシの力なら、あんなワンコロイチコロです』

「こんなときにダジャレている奴を信用できるか!」

『なら、このまま死にますか? おっぱいの感触を知らないまま』


 痛いことを突かれて俺が言葉を失うと、聖剣は無感動ながらも、わずかに声音をゆるめた。


『主様、少年だった頃、夢見たことはありませんか? 美少女を襲うピンチに颯爽と駆けつけ、無限の力で敵をカッコよく助けてヒーローになりたいと』

「うっ…………」


『残念ですが、普通の人生にそんなチャンスはありません。夢も希望も志もあるのにチャンスが無いまま、男の子はみんな、夢を諦めてサラリーマンになります。ですがまぶたを開けてください。ここにはリリス様がいる、襲い掛かるケルベロスがいる、そして聖剣がある。なら、夢を叶えるかは、アナタの意思ひとつです!』


 俺は息を呑んだ。手に汗をかいた。


 幼稚園の頃、ちびっこ向けアニメのヒーローに憧れてごっこ遊びに夢中になった。


 小学生の頃、少年漫画の主人公に憧れてオリジナルの最強主人公資料を書いた。


 中学生の頃、ノベルゲームのダークヒーローに憧れて中二病を発症した。


 でも夢は夢で、現実の厳しさを知る俺は、魔法系の高校や、魔法コースのある高校には進学しなかった。


 だけど、その夢がここにある現実に、俺は闘争心を燃やした。


「ここまでその気にさせておいて、抜けなかったらタダじゃおかねぇからな!」


 ぶっ飛ぶトニーを思い出しながら、聖剣のグリップを握ると、驚くほどスルリと引き抜けた。


 真剣なのに、玩具の剣のように軽く手に馴染む。


「抜けた。よし、これならやれる!」


 トニーをぶっ飛ばした力で、今度はケルベロスを倒してやる。そう意気込む俺に、聖剣は命令した。


『では、これから必殺技の使い方を教えます。よく聞いてくださいね』

「おう!」


『まず、ワタシを頭上にたかだかと掲げ、そして正義の心を燃やしながら振り下ろし叫ぶのです! 燃えろジャスティス! 煌めけコスモス! トキメけシナプス! ハイパーウルトラギャラクティカホーリーセイクリッドブレイド、と』

「言えるかぁ!」


『そんなこと言っている間にもうケルベロスが迫っていますよ』

「え? うおぁああ!? ああもう畜生やってやるよ!」

『成功のポイントは恥じらいを捨てることです』


「ッッ、も、燃えろジャスティス! 煌めけコスモス! トキメけシナプス! ハイパーウルトラギャラクティカホーリーセイクリッドブレイドぉおおおおおお!」


 刹那、剣身の根元から、金と銀の煌めきを束ねた光の刃が迸り、刀身を包むように、巨大な剣身を形成した。


 神々しい光の剣が、ケルベロスの首と首の間を斬り裂き、流血が浄化されたように、赤い光が虚空に散った。


「「「■■■■■■■■■■■■!」」」


 ケルベロスは、俺の頭上を跳び越え、背後の芝生に倒れこんだ。痙攣して、立ち上がる気配はない。尻尾も、完全に垂れて動かなかった。


 ——すげぇ! これが聖剣の力か!


 俺は、軽く感動して聖剣を見直した。


『まさか本当に言うとは……ちょっと引きます……』

「おめぇが言えっつったんだろが!」

『誰も本当に言うとは思わないでしょう。あんな恥ずかしくてダサいセリフ』

「嘘かよ! じゃあさっきの光の剣はなんなんだよ!?」

『あんなのワタシがサービスで出してあげただけですよ』

「ゴルァアアアアアアアアアアアアアア!」


 憎しみを込めて、聖剣を地面に叩きつけた。そしてバウンドして、また俺の手に戻ってきた。


『言い忘れていましたが、ワタシは一度装備すると、死ぬまで永遠に離れることができない仕様になっております』

「呪われてんじゃねぇか!」

『失礼な。歴代勇者様が何度ワタシを酒場やベッドの下に忘れたことか。みんなこの機能に助けられているのですよ』

「ズボラかよ!」

『トイレに忘れられた時は、どれほど惨めな想いをしたことか……』


 声のトーンがふたつほど下がった。


 ——切実だなぁ……。


 トイレに置き忘れられる聖剣の図を想像すると、同情せずにはいられなかった。


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