第23話 スクールカウンセラー
「あら、慎ちゃん、どうしたの?」
僕の顔を見るなり、モモねえは眉根を寄せた。
「救急車、呼ぶ?」
そんなに体調悪そうなのか。
数分前、部下室を飛び出した僕。保健室に向かわず、モモねえがいる相談室に来ていた。
「いや、メンタルの問題だから」
僕のすべてを知る従姉妹を頼った。今思えば、『面談中』のプレートが出てたら、部屋の前で待たされたんだよな。モモねえが空いていて、助かった。
胸をなで下ろしていたら。
「なら……おっぱい揉む?」
「へっ?」
間の抜けた声が漏れた。
メンタルがヤバすぎて、聞き間違えたのかな?
「だって、『おっぱい揉む?』は男の子を元気にする魔法でしょ~」
マジだった。
モモねえは胸を寄せる。スーツの下の双丘が、たぷんたぷん。ブラウスのボタンが窮屈そう。外れないか不安になる。
って、僕、なにを見てんだよ?
自分の性欲に嫌気がさして、ここに来たのに。
「僕、最低だな」
思わず、つぶやく。
すると、モモねえが隣に座って、手を握ってくれた。肌も、色も、温かかった。
「また、僕はイキった。得意がって、夢紅と美輝に甘えて。『友だちとしての好き』を真に受けて、ふたりといるのが楽しくて……」
気づけば、口が勝手に動いていた。
お姉さんの指が、香りが、僕の心の防衛機構を無力化していく。
「さんざん理由をつけておいて……僕も性欲で動いてたんだよな」
どんなことを言っても、モモねえなら受容してくれる。安心して、自らの醜い部分を曝け出せる。
「イキって家庭を崩壊させた、小学生の頃と同じじゃねえか」
自分に対して、憤ると。
「よしよし~」
モモねえは頭を撫でてくる。
懺悔して褒めてくる。モモねえらしい。
「つらいのに、自分をきちんと見てる。エラいよ~」
子ども扱いされるのは癪だが、相手はモモねえ。
マリアナ海溝よりも深い愛情で僕を包み込む人。気遣いと、母性に満ちた感触が、安らぎをくれる。
「部活でなにがあったの?」
僕は涙混じりに打ち明けた。
夢紅と美輝に告白されたこと。ふたりの感情が読めると安心しきっていて、彼女たちの気持ちをないがしろにしたこと。自分も父親みたいに性欲に囚われた汚い男だと自覚したこと。
時間をかけて、全部話すと。
「混乱しちゃったんだね」
モモねえは僕の感情を言い当てる。
言葉による感情の反映だ。他人の言葉が鏡となって、僕は自分の気持ちを知った。
「僕、混乱してたみたいだ」
「慎ちゃん、優しいから。みんな仲良くいられるように願っていたのね」
「ああ」
「でも、告白されて、どうしたらいいかわかんなくなった?」
モモねえの言葉を耳から聞くことで、僕は自分に起きていた感情を俯瞰的に読み取る。
自分自身に距離を置くことで、冷静になってきた。
胃の不快感もだいぶ収まっている。
「ありがとう。楽になった」
「そうね。顔色はよくなったよ~」
スクールカウンセラーは天使の微笑を浮かべるも。
「慎ちゃんは泣き止んだだけ」
「……」
「まだ、相談の内容は解決してないでしょ?」
「ああ」
逃げただけで、現実は変わっていない。
「僕、どうすればいいんだろう?」
モモねえは上半身を揺らして相づちを打つ。一緒に考えてくれるのが伝わってくる。
「告白はされてないけど、冷花も僕のことが好きだし。恋愛嫌いなのに、急にモテ期になって、まじでどうしよう?」
「なにが慎ちゃんを悩ませてるの?」
カウンセラー独特の日本語が気を楽にしてくれる。
『なにが』と聞くことで、僕以外のなにかが諸悪の根源になるわけだ。
「誰も傷つかずに、僕も恋愛をしないでいい。そんな答えを探そうとしてるのかも」
「やっぱり、慎ちゃんは優しい理想主義者なのね~」
「理想主義者?」
「理想を求めてるから、答えが見つからなくて、つらい思いをしてるかも」
モモねえの言葉の意味を噛みしめる。
そのうえで、いまの気持ちをぶつけた。
「自分の気持ちを大事にするなら、僕は誰とも付き合わない。恋愛なんて勘弁だからな」
僕は、絶対に恋をしない。そう誓っている。
「けれど、自分を貫くと、3人の女子が傷つく。自分の気持ちだけで振るなんて、身勝手すぎるだろ」
「……」
「かといって、誰かと付き合うことにする。そうすると、僕は自分を犠牲にした挙げ句、他の2名を泣かせてしまう」
自分以外の被害者が減る点では、誰とも付き合わない案よりはマシ。それでも、誰かを傷つける。僕は誰も犠牲にしたくないんだ。選べない。
「最後の案だが……ハーレム。僕は3人と付き合う」
口にしたはいいものの、クズすぎる。
みんなを傷つけたくないと理由をつけて、自分の性欲のままに動くわけだ。自分の心を欺いて。
「ハーレムはなしだな。浮気親父と一緒だし」
流されるままハーレムなんてしてみろ。親父を憎んでいた過去の自分に○されそうな気がする。
「なにを選んでも、最低な気がする」
「そう思ってるのね?」
「ああ、僕、どうしたらいんだろう?」
「……ごめんね。慎ちゃん自身で答えを見つけないといけないの~」
モモねえは唇を噛みしめる。
「カウンセリングの役割は悩みを聞くこと。相談者さんの気持ちを受け入れて、楽になってもらう。それは非常に大事な仕事。でもね――」
「……」
「悩みを解決するために、カウンセラーが一方的に指示を出すのはよろしくないの~」
「うん。なんとなくわかるよ」
僕も対人支援部。人を支援する方法は教わっている。
「仮に、モモねえの指示で、僕がハーレムを選んだとしよう」
「うん」
よりによって、ハーレムと言っちゃったか。
「僕を巡ってドロドロの争いが起こる可能性もあるわけだ。そのときに、『モモねえの言うことなんか聞くべきじゃなかった』と、僕は後悔するかもな」
「当たりよ~。自分が主体的に選んだ答えじゃないと、人は納得できない生き物なの。だから、未来の慎ちゃんのためにも、私は見守るしかない」
モモねえは微笑む。
「それに、答えは慎ちゃんの中にあるわ」
「僕の中に?」
「ええ。夢紅ちゃんと美輝ちゃんが深層心理で恋をしていたように」
「僕も誰かを好きかもってこと?」
「……それは私にはわからない」
当たり前だな。愚問をしてしまって、恥ずかしくなる。
「慎ちゃんの本音は心の奥底にある。慎ちゃん自身もわからない。けれど――」
「けれど?」
「お姉ちゃんが見つけるのを手伝うよ~」
まったく、従姉妹の笑顔には癒やされる。
「ありがとう、モモねえ。でも、すげえ難題だ」
「大丈夫。慎ちゃんならできるよ」
モモねえは断言する。
「根拠もないのに?」
「……たしかに、科学的な根拠はないわね」
モモねえは舌を出したあと。
「でもね、現代カウンセラーの基礎を築いた学者さんも言っているの~」
「……」
「人は自分自身の中に答えを持っている。成長する力が自然と人に備わってる」
前向きな言葉。良い言葉だと思いつつも。
「カウンセラーは相談者を信じる。だから、私は慎ちゃんもできると思ってる」
モモねえはつぶらな瞳で僕を見つめる。
気持ちが伝わってきてうれしいのに。
自己肯定感が低くなった僕には。
「本当に自分が嫌でたまらない」
自分でも思わぬ言葉が口から出てしまった。
最低だ、僕。モモねえまで不快にさせるようなことを言って。
なのに、モモねえから漂う色は慈しみに満ちていて。
「慎ちゃんはお姉ちゃんの目標であり、生きる意味なんだよ~」
無償の愛が僕の心を抉った。
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