第24話 バタフライ効果
「お姉ちゃん、慎ちゃんに一目ぼれしたのよ~」
この従兄弟、なにを言ってるの?
「僕、まだ生まれたばかりだったんじゃね?」
「そうよ。生まれて5日目だったわね。本当はお産に立ち会いたかったのだけど、学校があったから~」
軽く引いていると。
「だってぇ、お姉ちゃん、ずっと弟がほしかったんだもん」
ぎゅっと腕に抱きつかれる。胸が当たってるんですけど。
「兄は年が離れてるし、完璧すぎる優等生でしょ。兄は近くて遠い存在だったの~」
従兄弟の顔を思い出す。モモねえより10歳上で、僕とは20歳も離れている、大学病院で働くエリートだ。
「親も仕事が忙しかったし」
モモねえの父親もお医者さん。母親も客室乗務員。
モモねえ自身も大学院で心理学を学んだ臨床心理士である。ハイスペックな一家でございますこと。
「こう見えて、子どものときは寂しかったんだよ~」
癒やし系お姉さんも、最初はお姉さんじゃなかったのか。
「だから、弟がほしくて、ほしくて」
お姉さん、僕の腕に身体を押し当て、上目遣いで見つめてくる。いろいろ、ヤバい。感触とか、髪から漂う匂いとか。
「そんなときに慎ちゃんが生まれて、一目ぼれしたんだからね~」
「ぶはっ」
一目ぼれ、2回も言ったし。
女子小学生に好かれる赤ちゃんは犯罪ですか?
「だって、慎ちゃん天使だったんだもん。純粋無垢で、見ているだけで気持ちが癒やされる。大天使なの~」
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「『赤ちゃんみたいに人を癒やす天使になりたい』って、慎ちゃんを見て、決心したんだから~」
「そ、そうですか」
「慎ちゃんがいなかったら、わたしは自分の道がわからなかった。カウンセラーになりたいと思わなかったわ~。両親と兄の陰に隠れて、ヘラヘラ笑っているだけだったかも」
まさか、赤ちゃん時代の僕が人の生き方を変えていただなんて。
「人は生きているだけで、他人に影響を与えるの~」
お姉さん、哲学者モードを発動させた。
「極端な話。赤ちゃんはオムツして、哺乳瓶のミルクを飲むでしょ~」
「ああ」
「オムツや哺乳瓶を作ってお金をもらっている人もいるの。だから、赤ちゃんも他人の生活を支えているんだから」
「……理屈はわかるよ」
モモねえはピンクの髪をかき上げ、とろけそうな目で僕を見つめる。
「お姉ちゃんの場合は見知らぬ赤ちゃんでなく、かわいい、かわいい慎ちゃん。抱っこして、おんぶして、オムツも替えて。時間さえあれば、慎ちゃんに会いに行くようしたんだから~」
「そ、そうですか」
「慎ちゃんが子どもの頃に住んでいた家。海の近くだったでしょ。潮の香りは今でも懐かしいわ」
そういえば、神白冷花の家の近くだったな。小3のときに引っ越したし、あんまり良い思い出がない家なので、あんまり考えないようにしてたけど。
「とにかく、わたしに目標を与えてくれたの。慎ちゃんはわたしの目指す人であり、わたしが全力で守りたい人」
赤ちゃん時代の僕がモモねえがカウンセラーを目指すきっかけになったってことで……。いま、僕を癒やしてくれているのもモモねえで。つまり、赤ちゃん時代の僕がいなかったら、僕、頼る人がいなかった。
偶然にしても、不思議だ。
「だから、慎ちゃんが自分を否定しても、お姉ちゃんは肯定するわ」
「モモねえ……」
「一見すると、隠者みたいに平然と自分の力を受け入れている。自分はユーカリ役になって、女の子のために身体を張って」
「……」
「役得だとか強がってるけど、本当は繊細。他人を傷つけることを恐れている。他人との距離は手探り。力のことがあるから、疎外感がある」
本当に何もかもお見通しだ、この人は。
「秘密を知ってるのはわたしだけ。だったら、わたしが慎ちゃんを守るしかないじゃない!」
珍しく、モモねえは声を荒げた。
「でも、お姉ちゃんでは限界がある。いまは、たまたま同じ学校にいるけど、非常勤だし……卒業したら、面倒は見られない。慎ちゃんの世話を一生するはできないの」
従兄弟はつぶらな瞳に大粒の涙を浮かべる。
「それで対人支援部を?」
当たりだったのだろう。モモねえは首を縦に振る。
「トラウマがあって、慎ちゃんは逃げていた。恋愛から、女の子から、ううん、人間から」
言葉は厳しいが温かみがあって、すんなりと受け入れられた。
「だから、慎ちゃんにはトラウマを克服してほしくて……お姉ちゃんが選んだ子を対人支援部に呼んで、慎ちゃんと関わるようにした」
「それって、みんなを利用して――」
「みんなには悪いと思ってる。けれど」
「けれど?」
モモねえの色には一切の邪念がない。自分の信念を疑っていないようだ。まさに、女帝の貫禄がある。
「さっきも言ったように、人と人は関わることで、影響を及ぼし合う。生まれたばかりの赤ちゃんですら、社会を変えるんだから」
「おおげさだな」
「バタフライ効果って呼ばれてるのよ~。蝶の羽ばたきが地球の裏側の天候も変えるかもしれないから」
「SFで聞いたことある」
「心理学用語でもあるんだから~」
こほんと、モモねえは咳払いをして。
「結果的に、あの子たちを利用する形になったかもしれない」
「……」
「でも、人と人は関わりあう存在。悩みを抱えた子を、感情が読める慎ちゃんが支援することは偶然であり、必然」
やっぱ、女帝だ。この人。
けれど、冷静に考えれば、理解できる。裏の目的があれど、モモねえが生徒たちの支援をしていることに変わりない。
「慎ちゃんは力のことがあって、現実が見られなくなってる。だから、曖昧模糊な女子と触れ合って、いろんな経験をしてほしくて」
「現実が見られない?」
「まるで、ゲームばかりの彼女みたいに」
モモねえのひと言で、ハッとした。
僕は神白冷花だ。
エロゲオタクで現実を知らない冷花、感情が見えるゆえに現実を見ようとしなかった僕。
僕たちの置かれた環境は異なるが、現実を知らない意味では同じだった。
神白冷花と初めて話した日。神白冷花に自分を重ねたわけも納得できた。
「だから、神白冷花を僕に?」
「学年主任に依頼されたのはホントよ~。でも、冷花ちゃんと話して、この子は慎ちゃんに似てると思ったのも事実」
「……」
「バタフライ効果じゃないけど、慎ちゃんと冷花ちゃんの生み出す相互作用が、ふたりの未来を作る。そう直感したのよね~」
「やっぱ、最初からお見通しだったんだな」
釈迦の手のひらで暴れていた孫悟空みたいな気分になる。
「ふふふ」
つい笑みがこぼれる。
神白冷花と自分が似ていると気づいて、安心したのだ。
が、同時に彼女との違いも意識して、モヤモヤしてしまう。
僕が普通の人だったら、冷花や夢紅、美輝と同じ土俵に立てた。
だが、僕は彼女たちの感情が読める。
いわば、
激しく疎外感を覚えて。
「なんで、僕は他人の感情が見えるんだろうな」
そう、僕がつぶやいたときだった。
「えっ?」
モモねえが驚きの声を発した。
「モモねえ、どうしたの?」
僕が問いかけると、モモねえは血相を変えて。
ドアの方に向かっていき。
「誰かいるの?」
相談室のドアを開ける。
突っ立っていた。
彼女が。
神白冷花が青ざめた顔をして。
僕と目が合うや。
冷花は回れ右して、細い足で床を蹴る。
絶望の灰色を背中に漂わせて。
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