第19話 思い出

「あたし、子どもの頃から他人に無関心だった」


 ふたりだけの静かな部屋に、無機質なささやきが響く。


 普段の毒舌とは真逆。

 しかし、神白冷花の穢れない純白さが、僕の心を鷲づかみにする。


 聞かなきゃ。

 一瞬でスイッチが入る。傾聴スキルを発動させた。


「子どもの頃から他人に無関心?」


 人の話を聞くとは、黙って耳を傾けるだけじゃない。

 相手に気持ち良く語らせるために、適切な応答をすることが求められる。


 モモねえに仕込まれたテクニックが功を奏したのか、冷花はうれしそうに口を開く。


「幼稚園でも、他の子と遊ばずに携帯いじってばかり。先生に取り上げられたこともあるわ」

「……幼稚園でかよ」

「だって、周りの子とは話が合わなかったし」

「昔から毒舌だったのかよ?」

「悪い?」

「悪くないです」


 会話の内容とは異なり、部屋の空気が柔らかくなる。

 と思ったら。


「家でもボッチだった」


 すぐに、しんみりする。


「周りの子どもはガキすぎる。でも、家でエロゲする両親もちがう」

「家でエロゲ?」

「そうよ。幼稚園の娘が、『遊んで』とせがんで、エロゲをやり始めるのよ。うちの両親」

「そりゃ、すげえな」

「あたし、意味もわからずに、二次元女子を見ていたわ。もちろん、エッチシーンもカットせず」


 さすがに、笑ってしまう。エロゲの英才教育を受けてたんだな。

 それ問題ないのかよ、とツッコミたくなるが。


「あたし、当時はエロゲの世界も理解できてなくて」


 そりゃ、当たり前だろ。上半身を縦に振ることで、僕は彼女に同意する。


「あたしが……孤独だった」


 無機質につぶやくと、神白冷花は銀髪をかき上げる。


「あたしだけ別の世界で生きてるみたい。そして、世界になじめない自分に嫌気が差していた」


 物憂げな声に親近感を覚える。


 僕も同じだから。

 僕は人に色が見える。人は身体の周りに色がある生き物。しかも、同じ人でもコロコロ変わる。僕にとっての当たり前の世界。


 違和感を覚えたのはテレビだった。

『なんでテレビの人には色がないの?』と、僕は親に訊ねた。


 母は取り合わない。当たり前だ。

 しかし、僕は自分の景色を親に否定されたような気がした。引き下がれない。

 なにせ、日々、悪知恵を蓄えていく子どもである。


 僕はなにかにつけ、母に見える色を言うようになった。


 友だちと電話で話しているときは、楽しげに黄色くなり。

 父がケーキを買って帰ってきたときは、妖艶なピンクになり。

 何度も、何度も、母の色を口に出す。


 ある日、母は僕を病院に連れていく。あまりにもしつこい。脳に異常があったら、大変だと思ったのだろう。


 検査を受ける。脳に異常はなかった。でも、僕は人に色が見えると言い続ける。

 いくつかの病院で見てもらった。とある精神科医に、『君は人の感情が見えるんだね』と言われたこともある。母は気味悪がって、二度とその病院には行かなかった。


 結局、共感覚に似た現象ということで、医学的な結論は出された。

 僕としては、謎の精神科医が正解だったわけだが。


 病院を回るうちに。

 僕は普通の人とちがう。幼くして、そう自覚させられた。

 周りとちがうことで、孤独に苛まれていたのだ。


 だから、神白冷花に自分を重ねてしまう。

 彼女の表情が、息づかいが、うつむいた姿勢が、僕の胸を締め上げてくる。


「非常に退屈な、ひとりぼっちの世界。でも、あたしに世界を教えてくれた男子がいたの」

「……それが、初恋の人?」

「そう」


 首肯する冷花の頬は少しだけ赤くなっていた。


「あれは小3の梅雨の時期だった。近所の公園で携帯をいじっていたら、突然、同じ年ぐらいの男子から声をかけられたの。『おまえ、誰かと遊びたがってるよな?』って」


 神白は遠い目をする。懐かしさと憧れが混じっていた。


「あたしは冷たく答えた。

『あたし、ボッチだから。誰の助けもいらない』

 すると、

『おまえ、ウソついてる』

 と、彼は断言したの。まるで、あたしの心が見えてるかのように」

「心が見える?」


 妙に胸がざわついた。


「彼と話すうちに思い出したの。同じクラスの男子だってことに。名前は知らないけど」

「……」

「彼、教室でもホラを吹いてて、うるさかった。だから、このあたしが顔を覚えられたのかも」


 胸を張って言うことかよ。

 でも、それだけ彼の顔が冷花の印象に残ったわけで。相当のホラ吹きだったんだろうな。


 まあ、小学校低学年だし、大目に見てやりたい。

 僕も子どもの頃はイキってた。イキりの延長で、エロ親父の不倫に言及しちゃったわけだし。当時を思い出すと、恥ずかしくてシニタクなる。


「だって、人の心がわかるなんて、ありえないでしょ」


 神白冷花が僕の目を見て、クスクスと笑う。


 背筋を冷や汗が伝わった。

 僕も人の心が読める。話だけ聞くと似ていることもあり、名も知らぬ少年と自分を重ねてしまう。


「次の日も、彼は公園にやってきた。あたしは冷たくあしらったわ。ウジ虫を始末するつもりで」

「……」

「なのに、彼ったら平然とウザ絡みするの」

「すげえメンタルだな」

「うん。そのうち、面倒くさくなったわ。適当に話を聞くようになって……気づけば、毎日のように彼と会っていたわ」


 顔では面倒くさそうな態度を取っているが、声と色は優しい。


「彼とはいろいろ話したんだけど、覚えている会話を再現するわね。


『おまえ、親が嫌いなフリしてるだろ?』

『唐突に、なに言ってるの?』

『とぼけんなって。オレにはわかる。なんせ、心が読めるからな』

『ふざけないでよ』

『マジだ。オレはマジ卍な男だから』

『……』

『堂々とエロゲする母親がうざい。でも、おまえは冷めている。だから、好きな物がある両親のことを、うらやましいと思ってるんじゃないのか?』

 なにも言えなかった。彼の言うとおりだったから」


 話を聞くうちに、ますます他人事でなくなっていく。

 君は昔の僕ですか? 黒歴史と化した中二ノートを見せられている気分だ。他人なのにな。


「最初は信じてなかったんだけど」

「う、うん」

「彼、本当にあたしの心が読めていたのかも」


 冷花が澄んだ目を向けてくる。

 まるで、僕の心の奥底を見透かすよう。


 なに、この拷問。まさか、バレてないよね。僕が冷花の感情を読んでるって。

 このまま見られたら、ボロが出そう。


「それで、彼のことが好きになったわけか?」

「そう」


 冷花はうなずくと同時に、眉根をぎゅっと寄せる。


「けど、すぐに母が入院しちゃって。お見舞いがあるから、公園に行けなくなった」


 冷花は机に立てかけられた写真を見る。小学生の銀髪女子と30代ぐらいの男女が映っていた。両親と撮った写真だろう。


「彼に気持ちを当てられたこともあって、母に優しくするようにしたの。入院中だし。そうしたら、母が喜んでくれたわ」

「そうなんだ、よかったな」

「なのに……」


 彼女は琥珀色の瞳に大粒の涙を浮かべる。


「お礼を言うまえに、彼は転校しちゃったの。突然のことだったわ」

「……」

「たった1ヶ月。それが、あたしの初恋」


 彼女は気丈に微笑む。死神というよりも、弱々しい少女だった。


「彼がいなくなって、あたしは再び孤独の世界へ。むしろ、人との触れ合いを知った分、絶望はより深いものだった。


『なんで、あたしを捨てていったの?』


 と、心の中で彼を責めた。彼のせいじゃない。


 頭では理解していても、心が受けつけなかった。

 自分すら思い通りにならなくて、自己嫌悪に陥って。

 あたしは自分の殻に閉じこもった。


 母は退院する。元気に日は、ますますエロゲにのめり込むようになった。

 安静にしない母が許せなくて、あたしは母に冷たく当たるようになっていったの」


 冷花は亡き母の写真を一瞥。白い頬から透明な液体がこぼれる。

 僕はそっとハンカチを差し出した。


「そのあとは前にも言ったとおり。エロゲのことで母を責めて、母が亡くなって……。自分のしたことが許せなくなった」

「……しんどい思いをしたんだな」

「そうね。彼の存在も記憶から追い出すぐらいだから」


 僕が冷花の気持ちを代弁すると、彼女は僕の手を掴んでくる。僕は空いた手で、彼女の涙を拭う。


 冷花はなにも言わず、静かに泣く。

 僕は黙って、彼女を見守った。


 冷花に気持ちを寄り添わせる。


 その裏で、僕は別のことを考えていた。

 神白冷花の支援を考えるなら、今の話はヒントになる。

 冷花は彼を理想の男性だと考えているかもしれない。彼の特徴を訊きだして、冷花の価値観を探る方法もありだな。


 やがて、冷花は泣き止んだ。

 顔を上げ、琥珀色の瞳で僕を見つめて。


「初恋の人が慎司くんだったらよかったのに」


 不意打ちだった。

 あまりのことに心臓がバクバクと音を鳴らす。女子の部屋でふたりきり。親は何時間も帰ってこない。近くにエロゲのパッケージが転がっている。彼女は僕が好きだと思われる。


 さすがの僕でも意識してしまう。

 動けないでいると。


「クリスマスパーティ」

「う、うん?」

「一緒に行ってほしいの」


 希望と悲哀と羞恥が、少女の声に混じり合っていた。

 クリパか……。


 そういえば、このまえ言ってたよな。

 クリパでダンスを踊った男女はカップルになるって。あくまでも都市伝説だが。


 冷花が僕を誘ったということは――。

 やっぱ、そうなのか?


 クソっ。

 あんな話を聞いてしまったら、答えは決まってる。


「わかった。僕でよければ」


 僕は恋愛嫌いだ。

 けれど、人は嫌いじゃない。


 真剣に、でも、不器用な冷花が放っておけなくて。

 彼女に手を差し伸べていた。


 感極まった冷花が僕の手を掴んでくる。

 直接触る彼女の指は、思っていたよりも温かかった。

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