7杯目 やはりラブコメにはならない
※前話の冒頭で、だんだん文字数が増えてきていると書いたので、ちょっと意識しました。この調子で読者の皆さんが隙間時間にサクっと読める文字数&内容でお送りしたいと思います。
さて、郁子と梅川の会話に戻る。
と、その前にこの『梅川』についても少々触れておかねばなるまい。まぁ、触れなくてはならない理由もないのだが、多少の肉付けは必要かな、と。
梅川は郁子の上司である。
それは前話で書いた通りだが、実は彼、郁子よりも3つほど年下である。高卒の中途入社なのだ。なので、社歴は郁子よりも長い。その上、成績も良い。だからこそ上司にもなれるというものである。肩書は『リーダー』であるが、中途半端にグローバル化を目指そうとした社長が、『〇長(主任も含む)』というのを廃止するとか言い出して、係長以下は全員『リーダー』になったのである。それより上は『チーフ』や『マネージャー』などという肩書になる。とりあえず横文字にしときゃ良いとでも思ったんじゃなかろうかあの耄碌ジジイ、というのが末端社員の本音だ。
しかしいまだ『〇長』の名残はあって、給与明細に記される『役職手当』の項目では『係長2級』のままだったりする。こうなると、一体何がしたかったのか、末端社員には本当にわけがわからない。というわけで、リーダーという肩書に不満のある方は、脳内で『梅川係長』と呼んであげてほしい。きっと彼も喜ぶでしょう。
そんな梅川の容姿であるが、身長は男性にしてはやや低めの162㎝。島育ちのやんちゃ坊主がそのまま大きくなったような――それが事実かどうかはわからないが、やややんちゃな顔立ちである。やんちゃな顔立ちって何だよ、と思うわけだが、色黒で眉がやや細く吊り上がっていると思っていただければ良い。
「それで? もうカフェのことは良いや。彼氏がどうしたんだ」
「そう、そうなんです! 何かちょっと良い感じかなって思ったら、急に浄水器の話をしだして!」
「浄水器? 何で?」
「何かそういうビジネスがどうとかって」
「お前それあれじゃね? ねずみ講とかマルチとかそういう……」
「そうなんですよ! まさにそれです!」
「そんで? 買えって言われたのか?」
「買いません! 買いませんって、20万ですよ?」
「安いのか高いのか相場がわからんが。でも良いものならそれくらいはするんじゃないのか?」
「あたしだって知りません。でも何かもうとにかくヤバいんですって」
「何かって言われてもなぁ」
無理もない話である。その辺はニュアンスで感じとって! と言われても、ならばそのニュアンスとやらをどうにか目の間に提示してもらいたい。
「目! 目がヤバいです!」
「はぁ?」
「全然瞬きしないんです! それで、息継ぎ無しでまくし立てるんです! 宇宙人かも! あっ、宇宙人に乗っ取られたのかも!」
「お前大丈夫か?」
「大丈夫じゃないですよ、わかってくださいよぅ」
「そんなこと言われても……」
「だって、何かちょっと良い雰囲気だったんですよ? あたし達、もう5年付き合ってるのに、全然結婚の話とか出て来なくて、いっそ別れようかなって思ってたら、何か、何か、ケーキあーん、とかなって、何これちょっと良い雰囲気じゃんって思って、そしたら何か真剣な顔で話し始めるから、ああもう絶対これプロポーズだって思ってたのに、20万の浄水器売ったらマージンがどうとかって。こんなのってないですよぉ。うわぁん」
「おい、泣くな泣くな。とりあえず、一旦、そこ出ろ? な? そいつと距離を置け」
「もう店は出ましたよぉ」
「よ、よし。そしたらもう帰れ? な? アレなら迎えに行くから。天神町だろ? 荷物回収して近くのコンビニ行け。あったろ、
「荷物はもう持ってます……ぐすっ」
「わかった。とりあえず仕事であり得んミスをやらかしたからいまから会社に行くとか言ってこい。借りを作るのが嫌ならそこの金も払っちまえ。あとで俺が昼飯奢ってやっから」
「ありがとうございましゅ……うう……」
「店の中だから大丈夫かと思うが、本当にヤバそうなら店の人に警察呼んでもらえ。良いか、店を出たら走れ。走れるだろ」
「体育は2でしたけど……」
「俺はいま何も聞かなかった。とにかく24マートまで走れ。5分でそっち行くからな」
通話を終えた郁子は、涙も拭かずに店内へと戻った。拭いても良かったのだが、この方が『仕事であり得ないミスをやらかして上司にしこたま怒られた感』を出せると思ったのだ。それくらいの計算が出来るくらいには冷静になっていた。
ぐすぐすと泣いている郁子を見て、孝明はいつものように優しい言葉をかけたが、さっきまでの『ノー瞬きノー息継ぎでまくし立てる姿』を見てしまっている彼女は、もう彼のことが宇宙人としか思えなくなっていた。なので、駅まで送ろうか、という言葉を丁重にお断りし、千円札を置いて店を出た。一度でも振り返ったら駄目だ、と黄泉の国から脱出するイザナギノミコトの気持ちであった。目が合ったら、「強がってるだけで、本当は俺を頼りにしている」と誤解されかねない。
そして、いつものスニーカーで良かった、と着飾ってデートをする時期なんてとっくに過ぎていたことにも安堵した。めかしこんでヒールのある靴なんて履いていたら走れそうにもない。しかし、さすがに走るとか大げさすぎるでしょ、と角を曲がったところでこっそりカフェの方を確認してみると、「それじゃもう1杯飲んで帰るかな」と言っていたはずの孝明がもう外に出ていて、郁子はゾッとした。何だかんだ理由をつけて追ってくる気なのかも、と彼女は慌てて走り出した。いまなら体育の成績も3がつくかもしれない。見てますか、田中先生!
ちなみにこの後、郁子は何とか追っ手(孝明)に捕まることなく梅川と合流し、数日後、孝明に別れ話をした。何の未練もなかった。
この一件があって梅川とは一瞬良い感じになりかけたが、彼女の異動によりそれも消滅。異動先で知り合った男性と2年の交際の後に結婚し、一男一女に恵まれている。孝明のその後は知らない。知らないが、昔の友人に浄水器の紹介をしまくった結果、ちょっと厄介なことになったらしい、という噂だけが郁子の耳に届いたのであった。
「――あれ、8番テーブルさんは?」
揚げたてのカツを30個ほど買ってきたマスターが、絶対に公共交通機関を使用する際には持ち込み禁止であろう殺人的な香りを発する紙袋をカウンターの上に置いて首を傾げた。ヨリ子ちゃんもまた、天神商店街スタンプカードを回収しつつ、「それが私にもよく」と言いながら、同じく首を傾げている。その隣では、絶対に違う意味で首を傾げているみたらしがいて、明らかに「俺様の分は?」という目でこちらを見ている。
「はいはい、みたらしにはこれ」
と、マスターが差し出したのは魚肉ソーセージだった。『肉のよつば』で売っている魚肉フライの中身かと思ったが、どうやら違うらしい。パッケージを見ると、『ニャンとも満足★おさかなソーセージ』と書いており、猫用のソーセージのようである。店主が、「たくさん買ってくれたから、サービス。みたらしちゃんに」と言ってくれたのだが、猫用ソーセージということは、どうにかしてみたらしに貢ぐチャンスを狙っていたのかもしれない。態度の悪いツンデレ看板猫だが、みたらしのファンは存外に多いのである。
「チッ、刺身じゃねぇのかよ」
とでも言いたげな顔で、それでもみたらしは、半分に折ったそれをはぐはぐと食べた。そして食べ終わると、それじゃ行ってくるかな、とカウンターをひょいと降り、店内を自由に歩き始めた。みたらしが近づく度に、テーブルからは、きゃあ、だの、可愛い、だのという嬌声が上がる。その意味がわかるのか、とりあえず自分にとって好ましいものという認識はあるようで、ちらりとそっちに視線を送ったり、目の前で毛づくろいをするというサービスまでする。写真撮影もOKだ。そうして、ぐるりと店内を練り歩くと再びカウンターへと戻るのである。
「マスター、みたらしが戻ってきました」
「うむ。営業活動ご苦労様です」
そして、自分の餌用小皿をちょいちょいと突き、お代わりを催促するのである。こうやって営業すると、お代わりがもらえるというのをみたらしは学習しているのだった。
いつもと変わらぬ1日である。
一組のカップル(特に女の方)になかなか壮絶なドラマがあったなんてことを知る由もなく、マスターは、せっかくだからと客全員に「急に食べたくなっちゃったもんですから」と言いながらカツを振る舞ったのであった。
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