絶対苦しいまま同盟

にいと

第1話

 七年ぶりに、高校の同級生と再開した。

 サラリーマンとして不自由なく、東京で無機質な一人暮らし生活を送っている僕のアパートに、一通のハガキが届いた。そこには、高校三年時のクラスメイトと同窓会をしようという旨が記載されていた。酒席など心底どうでもよかったが、また彼女に会えるかもしれないという期待を馳せて参加することにしたのだが――。

「もう歩けないよぉ……世界が回ってる……」

「アホか、回ってるのはお前の頭だろうが……」

 七年ぶりに、高校生の同級生と再開した。

 泥酔してしまった彼女は千鳥足になりながら、僕の腕を掴んでくる。

「重たい」

「重たくないし、ばーか」

 オーバーサイズの黒色スウェットをワンピースのように一枚で着こなしをしていて、両耳にジャラジャラしたピアスを飾っている彼女からは、タバコと柑橘系の香水の臭いがした。衣服越しにふにゅんとした感触が伝わって来て、それだけは高校当時と変わらないなと苦笑いする。

 そう、それ以外はまるきり変わってしまったのだ。

 あの垢抜けない雰囲気も、心底楽しそうに笑って目元を細めていたことも、酒焼けしていなかった澄んだ声音も。まるで別人になっていた。

「…………家まで送ってくれて、ありがと」

「いいよ別に。どうせ送ってくだけだし」

「それでもありがとっ! っ……痛ぁ……そうだ、わたし酔っ払ってるんだったぁ……」

 彼女は空いている手で頭を抑えた。

 どうせこの泥酔状態では、歩いている繁華街を抜けることすらままならないだろう。

 だからこれは下心とかではない。

 酒席を二人で抜けたけど、彼女から別段好意を向けられているわけでもなかった。

 だから、なにもないのだ。

 過去に交わした僕らの同盟だって、きっと彼女は覚えていない。


***


 高校最後の文化祭当日。

 一番の催しであるライブイベント。

 まだ開演前だというのに、体育館はひどく大混雑していた。

 クラスカースト底辺だった僕らは文化祭実行委員に抜擢させられて、このライブイベントの照明係をすることとなっている。

 照明設備の最終確認をしながら、僕と彼女はキャットウォークで静かにゴミクズを眺めていた。無意識のうちに不満が漏れてしまう。

「アイツらは呑気に楽しんでるのに、なんで僕だけこんな……」

 そう呟くと、横にいた彼女はひどく驚いたようにこちらを見据えた。

「君は苦しいの?」

「あぁ、苦しいよ。こんな世界で生きていることが苦しい」

「そうなんだ……」と彼女は相槌を打つと、「わたしと一緒だね」と微笑んだ。

「わたしたちって呼吸をしてることが、そんな当たり前のことが全部苦しいよね」

 外見は清楚感があってそれなりに可愛らしいのに、人見知りのせいでクラスに馴染めていなかった彼女が、僕と同類だったことに驚いた。

「でもわたしたちが苦しいのって、きっとああいう苦しくない人たちがいるからなんだよ」

 彼女はアリーナにいる観客を指差しして、苦笑する。

「だから世界が逆転でもしない限り、この現状は変わらない。変えてくれない。変えれない。そんな理不尽な世界に生まれてきたわたしたちは、どうすることもできない」

「そうだな。この世界はそういう真理で出来ている。僕たちはそれに抗えない」

 クスッと彼女は微笑んだ。

「うん。自分たちが楽しみたいから、苦しくならないでいたいから、苦しい人間を差別化する。だから苦しくない人たちは、ああいう風に常に馬鹿騒ぎして、『自分は苦しくないですよ』ってアピールするんだよ。ほんと嫌になっちゃうよね」

「でも無理して楽しもうとするくらいなら、僕は苦しいままでいい。どうせあそこには混ざれない」

「君に同じく」

 彼女は僕との距離をそっと縮めてくる。

「ねぇ。わたしたちさ、同盟組もうよ」

「なんの同盟だ?」

「絶対苦しいまま同盟」

「ネーミングセンス皆無かよ」

 彼女はムスッとして腕を抓られた。

 勘弁してくれと腕を引くと、彼女はポケットからマジックペンを取る。

 そのペンで、自分の手のひらに僕の名前を書いた。

「君も書いてよ。これが同盟の証だよ」と、彼女は手のひらを見せつけてくる。

「わかったよ……」

 また抓られそうだったので、素直に彼女の名前を書いて手のひらを見せた。

「えへへ、手のひらだったら他人にバレないよね。これから毎日、ちゃんと相手の名前を書いておくこと! これは同盟だからねっ!」

 彼女はそう言うと、目を細めて笑ってみせた。


***


 彼女が言うには、もうそろそろマンションに到着するらしい。

 同盟はまだ続いている、なんて淡い期待ももうすぐ消滅する。

 転びそうになる彼女を引っ張ると、彼女はなにかに気づいたのか、「ん?」と声を漏らした。

「なんで君、手のひらにわたしの名前、書いてるの?」

「…………なんでだろうな」

 微風がやけに冷たく感じた。

 否が応でも察してしまった。

 彼女のその一言が、証左であった。

 あの同盟は、もうないのだと。

 僕たちの同盟は、きっと過去だけのものだと。

「……ふーん、そっかぁ」

 そこからは終始無言であった。

 薄々勘付いてはいたのだ。

 再会したときから、当時の彼女ではなくなっていたことが。

 人見知りな上に、”苦しくない”人間のことを好いてはいないかった彼女が同級生とも気さくに会話をしていたし、僕以外にもよく笑うようになっていた。

 同盟だからと口にしていた彼女とは、高校を卒業してから無縁であった。父親の転勤のせいで、彼女は県外で進学することになっていたのだ。

 その事実を知ったのは先ほどのことで、その事実を隠したまま高校卒業と同時に彼女は去ってしまった。

 そりゃ七年も関わらなければ忘れてるよな……と、僕は過去を捨て置いた。どうせこれからまた、いつもと同じ生活に戻るだけだ。

 ほんの淡い期待を掲げてはいたけれど、それもおしまい。

 渋谷のスクランブル交差点みたいに、ただ人々がすれ違うだけ。東京にいるからって、僕になにか変化があるわけでもない。なにも生産性のない、ひどく退廃的で、厭世的な世界のまま。

 きっと僕にはそれがお似合いなのだろう。

「…………ここだよ。最後までちゃんと付いてきてくれてありがと」

 彼女はそう言うと、僕の腕を離した。

「ああ、それじゃあな」

 それだけ告げると、彼女に背中を向けた。

 足を動かすと背後から、「ねぇ待って……」と声掛けされる。

「またね」

 しっかりと僕を見据えて、彼女はそう言い放った。

 僕は動揺しながら、「またな」と返答する。

 今度こそ帰路に立った僕は、彼女の発言を反芻していた。

 世界はあれから変わったのか、それとも変わっていないのか。

 同盟相手がいないと、それは僕一人ではわからなかった。

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