彼の物語

 小学校の頃から精神的にも肉体的にも僕は決して強い方ではなかったように思える……どちらかといえば弱い部類に入っていて、自分で言うのも何だが物静かな方だったように思える。とりわけ、集団生活も苦手で、誰かとつるむようなことはなかった。誰かとつるむとそれだけ時間が無駄になるし、お金だって無駄になると思っていたから。成績はそれなりのものを残していたし、それで自分自身満足していた。先生方にそれをとがめられるようなことはなかったし、それ以上を目指そうという意識も特段生まれなかった。その代わりに僕の中には本があったように思える。最初は小学校の頃の教科書の本を読みあさることから始めた。それに父が読書家であったため本は膨大な量が実家にあった。太宰・芥川・夏目。小学校や中学校で習うのは大半がこの部類だったが、僕の世界を作り出すのには十分条件立ったように思える。特に僕の印象に残っていたのはこころだった。夏目漱石の作品であるが特に夏目色の薄い作品ながらにして濃い内容の作品だった。Kとお嬢さんと先生を巡るストーリーであり、恋路と精神的なKの成長が描かれた絶妙な作品だった


精神的に成長しないものは馬鹿だ


という名言がある。僕はこの言葉を常にこころに止めておきながら成長を続けてきたんだろうと思う。それ故精神的には他の生徒よりも多少なりとも進んでいたように思えるし、それは今の僕自身の信念に通ずるものがあるように思える。他人をけ落とすことはひどく阿呆らしく感じたし、いじめのたぐいも阿呆同然であると思った。小学生の僕はそれくらいには大人びていたように思える。

 中学では一変、僕はいじめられて居たんだろうと思う、というよりかは、事実いじめられていた。彫刻刀で彫られた僕へ向けた罵声の数々、誰もが目を背け、教師ですらこの事実に目を背けていたに違いない。ある日、僕は職員室に呼ばれて、担任に怒られたことがあった。彫刻刀で机に文字を彫るなということだった。ここから担任がいじめを認識してなかったことは明確であって、僕の精神状態など微塵も心配してくれる様子はなかった。そんな担任の思惑とは裏腹に彫刻刀で彫られた罵声は数が日に日に増していくことになる。死ねだの、殺すだのといったたぐいのものは当然の様に机の上に鎮座していて、出て行けだの転校しろだのといったさすがの僕にもつらいような言葉が書き連ねられていた。僕は部活には所属していなかったし、いつ彫ったものなのかは定かではなかったがおおよそ予想はできた。誰が彫ったのかもだいたい予想できていて、サッカー部か野球部の連中だろうと思っていた。日に日に増えていく罵声、それに加えて最終的には愛愛傘なども彫られていてもう手に負えない状況になっていた。僕に何の恨みがあるのだろうか。僕自身は何かした覚えはないし、父さんに相談すると

「人間って言うのは一人だけ弱いものがほしいんだよ。そうすることで全体の調和を保とうとする悲しい生き物のなんだよ」

と説明された。どうやら誰かを虐げることで自分が優位に立とうとする習性があるらしい。それはどんな動物でもあり得ることで猫などをみてもボス猫がいてその下に多くの猫が居て一番下位の猫がいるらしい。下位の猫は食事にもありつけず死んでいくんだという。

「だからといって屈してはいけないよ。若いうちには往々にしてあることなんだ、それがだんだんと大人になるにつれてなくなっていくものだから気にはするな」

そう話す父さんの背中はいつになく重いなにかを感じた。大人の貫禄だろうか、それとも社内でも同じ様なことがあってその対処をしたことがあるのだろうか。いずれにしても漠然とした説得力があった。

 本は僕を豊かにしてくれる。小学生の頃から本を読んでいたが、中学では文芸部があるのなら入りたいと思っていた。自分の中のこのいざこざを文章にして発散したかったからだ。机に彫られたいくつもの傷は僕に向けたことは明らかだったし、それが僕自身に何の影響も及ぼさないはずがない。少なくとも心身共に疲弊していく毎日だったし、誰かと話すのもそれはそれで噂にされそうで怖かった。これを文章にして発散してしまえばどれだけ楽だろうかと思っていた。しかし中学は運動部しかなく文化部が一切なかった。日に日につらくなっていく毎日。家族には相談していたけれどある日、母さんからある提案があった。

「知り合いに私立の学校の理事長さんが居てね、そんなことならうちに転校しないかっていってくれてるの」

「おまえもその年だ多感な時期なんだからそういったいらない刺激は求めるべきじゃないと思う。だからどうだ、先方もそういってくれてるんだ、転校しなさい」

父さんの言葉には説得力があった。中学3年の頃からになるけれど転校する事が急遽決まった。それからと言うもの、僕の気は少しは本を読むことで紛れていった。


その出会いは突然で、そして一瞬の出来事だった


今まで友人を作ったことのない僕にとって話しかけてくる人は皆無で、今まで一人として自分の思ったことを打ち明けた人は居なかった。

「創平くん」

僕はどう対応していいのかわからず今思えば素っ気ない態度をとってしまったように思えてならない。今まで同年代の人と話したことがなかったんだから当然なのだけれど、とにかくどうしていいのかわからなかった。

 その日から僕の世界はほんの少しずつだけれど変わっていった。友人……と呼ぶにはまだ早すぎるもののはなせる相手ができたのだった。本ばかり読む僕だから誰かと歩調を合わせるのは苦手なのだけれど、なぜか彼女の方から歩調をあわせてくれた。どうやら彼女は本を読まないらしく著名な作家のほとんどを知らなかったけれど、たまには本を読んで感想を聞かせてくれるようになった。僕はどうしてだろうか、それがうれしくてたまらなかった。自分の世界を誰かと共有する事がこんなにも楽しいことなんて知らなかったのだ。話を重ねる度にどうやら彼女の愛読書は新聞で、新聞の朝刊の話題で盛り上がることが多くなった。僕はあまり読まなかった朝刊を毎朝コンビニによって買って、朝早く学校に行って読んでその日の話題をちゃんとに準備した。盛り上がるといっても僕のことだから素っ気ない態度のままだったに違いない。それでも彼女説いた数ヶ月はとても楽しかった。転校が決まってからのことだったからそれがよけいに悲しかった。なんでもっと早くに出会うことができなかったのだろうか。どうしてもっと早くに気づくことができなかったのだろうか。彼女は噂話を嫌っていたし、女子集団のトップの連中とつるんでいる様子もなかったから余計に安心しきってはなすことができた。

もうすこしだけ、ハヤクデアエテイレバ……


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