彼と不登校

 朝、吹奏楽部の朝練に合わせて学校に行って教室に入ると彼の机だけが異色に悪目立ちしている。彼は突然いなくなった。思えば彼はいつからいなかったんだろうか。先生からの具体的な説明もなかったし、まるでいなくなったことが当然のように授業は進められていった。ただ確実にいえる事は彼が今ここにはいないということだけだった。そんな彼と会話を交わした事が数回あった。彼とはなしたのは中学二年の雨が降り続くじめじめした梅雨の時期だった。彼は相変わらず本を読んでいて、彼は相変わらずに無表情だった。私は何で声をかけたのか今でもわからないがたぶんそのときは声をかけてあげることで私の立つ位置を確認しようとしていたんだろうと思う。

「ねぇ創平君。いつもそんな真剣に何読んでるの?」

「なんで、興味あんの」

「いや、誰とも話してないし。そんな真剣に読めるものって私ないから」

「我が輩は・・・」

「猫である??」

とっさに私は答えてみた。たまたま私は知っていて、むしろそれ以外は知らなかったし、何よりさっきの国語の授業の内容じゃないか。

「それ違う本でしょ」

タイトルは見えなかったけど小さい字でどうにか著者の名前が見えたけど、夏目漱石ではなかったので違う本なのだとすぐにわかった。

「なんだ、知ってるんじゃん。なら聞かなければいいのに」

「わからないけど。でも太宰って書いてあるんだから違う本だっていうことくらい私にもわかる」

「こころ」

「えっ?」

「だから、こころだって」

「どんな話?」

本を読まない私にとってはタイトルで内容がわかる訳などなかったし。太宰の作風がそもそもわからないので私には何の想像の膨らませようがない。

「先生とお嬢さんの葛藤を描いてる。恋愛模様なのかな。結局Kはその状況に耐え切れずに死んでしまうんだ」

「ふぅん」

「興味ないならきくなって」

彼のその一言に少しカッとなってしまった。せっかく話題を振っているのになんでそんな突き放されなければならないのだろうか。

「そんなに素っ気ない態度とらなくても良くない?」

「だって、話を膨らませるのに困るし、どんなに話したところで本を読まない人に本の話をしたって無駄でしょう。」

「んん……まぁ……そうだけどさ……」

会話が止まってしまった。何をつなごうか、私の知ってる話をしたって彼がわかるかどうかはわからないし、彼の話をしたところで私はわからないし。そうおもったところでチャイムが鳴った。廊下にでてきた生徒は教室に流れ込みたちまち授業は始まった。

 翌日からというもの、私は彼に話し続けた。最初は何のつながりもなかったけど、本の話はぎこちないながらも本当に好きそうに話した。私にとっては生きる世界がまるで違うような話で全くわからなかったけれど、それでもわからなければ彼に質問した。登場人物であったり、ストーリーの背景だったり映像でみればわかるのに文章に置き換えられるとすごく難しいことがわかってきた。

 毎日話していると少しずつだけれど変化があった。私の会話も少しだったら聞いてくれる様になったことだろう。最初は素っ気ない態度で私のことなんか存在すら忘れてるんではないかというくらいで、名前を聞き返されることもあった。

「んで、名前、なんだっけ」

「ちょっとクラスメイトの名前も覚えられないの?そんなんだといじめられるよ?」

「いじめられてるんだけど、机みてわからない?」

「あ、ごめ・・・」

ふと友達とはなす様な話をしてしまって後悔した。彼は広げていたハードカバーの本を持ち上げると鼻で机をみるように合図した。私は机の上の状態を知っていたし、誰がやったかも知っていて、でもそれでも誰かと彼にいえば私もいじめられてしまうのではないかとおびえて言い出せないのがなんかつらくなった。思えば傷の数も増えていて、最初はみるにたえない暴言だけがかかれていたのに今では愛愛傘が書いてある始末だ。知っている限りの暴言を書いた結果ほかに書くこともわからなくなってしまったのだろう。

「私の名前は愛佳だよ。いっつも話してるんだからできたら覚えて」

「あ、うん。ごめん」

その日から彼は私の名前を間違えなくなった。


 三ヶ月も経つと休み時間に彼と会話するのが当たり前になってしまい、授業が終わると彼のところに向かう様になった。会話の内容も相変わらずわからない会話があるものの新聞を共通で読んでる事がわかってきたので話は自ずとそっちに流れて、話やすくなってきた。彼と話していると自分も考える機会があって、新聞を今まで以上に真剣に読むようになった。

「愛佳~!今日一緒に帰ろうよ!」

「ちょっと待って、今すぐ準備するから」

「じゃぁ駐輪場で待ってるから急いでおいでよ~。今日はスタバに行くんだからね!」

「またー?最近行き過ぎじゃない?」

「いいの。その話もスタバ行く途中にしよ。だから早く用意して私のところにきなさい!」

「はーい」

話しかけてきたのは友人の結衣。いつも帰りは彼女と帰っていて、最近時折彼の話もしていた。彼はどうしているかと思い机をみてみるけれどすでにいなかった。昇降口からでると夕焼けが真っ赤で眩しかった。

駐輪場へ歩く道すがら彼の事をぼんやりと考える。なんであんなに楽しくはなしているのに彼はいじめられるのだろうか。


「愛佳~!!こっちこっち!」

「すぐ自転車もってくるから待ってて~」

「もう暗くなっちゃうからいそいでよー」

駐輪場へと急ぎ自転車の鍵をはずして校門まで押していく。結衣と自転車で走っている間に私は彼の事をずっと考えていて全く会話ができなかった。

「愛佳さ、なんか今日機嫌でもわるいの?すごく静かじゃない?いつもならもっとわーって勢いに任せてはなすのに」

「そんなだっけ?私だってたまには考えたいことがあるんですっ」

「えーもしかしてそれって噂の彼の事かなー?クラス中で有名だよ?」

「うそ、なんで」

「だって、彼に話しかけてるの、私がみる限りでは愛佳くらいだし」

そのほかの人だって会話を交わしている気もするけれど、机の上で。一方的に。

二人で自転車で走りながら会話をしているうちに近所に新しくできたスタバについた。中は木目を基調とした店内でおしゃれ。天井は黒くなっていてまるでどこか森林の中にいるようだった。私はキャラメルマキアート、結衣はドリップコーヒーを頼んだ。

「結衣、それブラック?」

「そうだけど。今日はベロナだからチョコみたいでおいしいよ?」

「それすっごい疑わしいんだけど」

私の頼んだドリンクがでてくるまでの間に結衣に一口もらったけど案の定苦くて、下の中でいつまでも残る感じがいやでとても私には飲める気がしなかった。

「愛佳、そんなカロリー高い飲み物ばかり飲んでてもいつか太るんだからね」

「そんなんだったら飲まないもん」

「「たしかに笑」」

私達は共感して笑いながらドリンクを受け取って席に着いた。

「それで、私達なんて噂されてるの?」

「ところでさ、やっぱなんかあるんでしょ?隠してないで私にだけ教えてよ」

「何もないから。ただみんなと同じふつうの会話を楽しんでるだけだって」

「じゃぁなんで彼なの?私達と全然話してないじゃん」

「それは……」

なんだか一人でいる彼がかわいそうに感じたからなんて、はっきりと言うことはできなかった。私の方が立場が上ってわけでもないのにずいぶん上からの物言いみたいでいやだったし、そんなことを私がいっていたなんて彼にもし伝わってしまったら、今までかけた時間が一瞬で崩れてしまうのは目に見えていたから。

「彼、本を読むんだよ。その本が本当に古いのばっかでおもしろいの。志賀直哉とか、夏目漱石とかなんで国語の教科書を毎日読んでるの?っていったらあれは一部だけだから全然話はちがうんだって」

「そうなんだ、でもやっぱなんか彼不思議な雰囲気醸し出してるよね。いや、別に私は嫌うとかそういう立場じゃなくってさ。なんかこうふつうの人とは違う感性が宿ってる~的な」

「そういうのっていいところなはずなのになんで彼の机ってああなんだろう」

なんでもないふとした疑問だったから口にしただけなのだけれど、口から滑りでた瞬間にそれがとんでもない闇を抱えている言葉だという事に気づいてしまい、二人とも黙り込んでしまった。そんな中、闇を最初に切りさいたのは結衣だった。

「なんでいじめなんてあるんだろうね。私も反対派。だって誰も得しないもん」

最初の一言が私の中の疑問でもあったし、すべてだった。これを解くことに何ヶ月も費やしたのに、結局私はなんでいじめられるんだろうねってところまでしかたどり着けなかった。詩織の取り巻きをみてると誰しも同じじゃないし、変わり者だって中にはいる。それなのに成り立っている。誰しもが等距離にあって干渉しあわない関係があって、それに対して共通の敵を作ることでグループの安定を保っているように思えた。それぞれが干渉しないところまではなんも変わりがなくて、でも彼女たちの間には干渉しない事でできあがる溝が結局互いに干渉しあってできる深い闇があったのかもしれなくて、その闇を埋めることに対して共通の敵を見つけることで、またそれをイジメという誰にでも分かりやすい形をもって行動を示すことでしわ寄せを誰かに押しつけようとしていた。

「本当になんであるんだろうね」

「あ、ところでさ、愛佳は部活入らないの?」

「吹奏楽部に入ってるよ、結局フルートなんてやってても足を引っ張るだけだし、たぶん私自身も楽しめてないんだけどさ」

「そっかー」

「どうしたの?」

「いや、部活でもさ、やっぱりこういう事って多くって、私も結構嫌気がさすんだよね。本当はさ、部活ってそのスポーツをするのが楽しいんだとか、楽器のどこがおもしろいんだとかがきっかけで始めるわけじゃん?」

「そうなのかな」

「そうなんだよ。でもさ、部活にいる以上、なにかしらの争いってあるんだよ。ほら、地区予選とかだって一つの争いごとじゃん?それでさ、たぶん自分が負けると悔しいのと同時に自分は底辺じゃないよねって確認したくなっちゃうんだ」

「ふぅん。そんなもんなの?そこに何の問題があるのかわからないんだけど」

「もう、鈍感だなー。いいんだけど。」

「つまりなにがいいたいの?」

「うん。だからさ、自分の中で弱者が存在する事で自分のたち位置を確立するわけ。それが結果としてイビりとかにつながってイジメに発展するんだよね。それを一人が初めてしまうともう、みんなはあぁこいつは自分よりもしたなんだ、共通の認識なんだよね?って変な仲間意識を持っちゃうんだ」

「でも、なんかそれって一番最初に誰が弱いのかってわからなくない?もしかしたら相性とかもあるかもしれないしさ。絶対的な弱者っていないわけじゃん?」

「そこが問題でさ、結局だれでもいいんだよ。弱い立場を許容できる人をとことん詰って、詰って、詰って。それで自分が強くなったんじゃないかって勘違いする事で安心するの」

「そんなもんなのかな?」

「そんなもんだよ」

「吹奏楽部だと集団で挑むからわかんないや、ましてや、私は鈍感ですからー?いじめとかないよー、フルートパートはいたって平和」

少しまじめな会話や、次の数学のテストの予想なんかをしながら、私達は二時間ほど話続けた。部活は部活でそんな人間関係があってこれじゃまるで二重生活だなと思ったらぞっとして、やっぱり私には向いてないんだなと思いとどまった。

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