台北、時に世界を

 私は生まれながらにひ弱で、病弱な体質だった。だから小学生の頃はよく保健室登校していたし、友達があんまりいないことからクラスに行くとよくいじめられていたし。授業に追い付かないことで苦痛を味わうことが何度もあった。それ故にあんまり友達はいなかったし、積極的に作ろうとは思わなかった。保健室登校をしているときは保健室に話す人がいたし、それが友達かどうかと聞かれてしまえば私目線と相手目線があるので、そんな大層な友人というのはいなかったような気がする。でも幸いどこのタイミングでも私の恥ずかしい話を聞いてくれる程度の友人はいたのであんまり欲してはいない。というのが実情だろうか。ハイスクールに入ってからもそれは同じで私は貧血をよく起こした。小学生にはなかったことなのだけれど女というものはなんでこんなに面倒くさいのだろうと思ったこともあった。でも、私は女をやめることはできないし、この貧血とも付き合っていかなければならない。高校の頃は貧血になることが多いことから体を鍛えるためにも陸上部に所属していた。特に長距離が得意で耐久タイプだった。陸上を始めたきっかけは体づくりからだったがそれ以外にも理由があった。一度でいいから誰かの上にたってみたい。たとえるならばそう、順位順に段にたつように誰かの前で輝きたかった。そのためには練習を惜しまなかったし、それで徐々に成績が上がっていくのがうれしかった。学業の面では体調がよくなったおかげか、成績が徐々に上がっていき学内でも10パーセントの中に入ることができた。決して上位の高校ではなかったけどもそれでも上位に入れば大学を目指すことができた。私は高校三年間でほとんどの時間を陸上部にさいたけれどもそれが悪かったとは思わない。スポーツ推薦も内申点がよかったしもらえたけれども、陸上部を続けるつもりはなかったし、勉強をしたいという気持ちからだった。

 台湾といえば台北101が特徴的な建物だったけれどどうやら日本のゼネコンが作ったらしい。いかにも日本的な機能のみを集約させた建物だった。台北の大企業の多くが入居しているが、台北においてここまで超高層のビルはないので景色がいいことだろう。台湾といえば台北が何もかもを占めているように聞こえるが実際台北空港は桃園地区にあるので厳密には台北ではない。それに商業、ビジネスの中心は台北かもしれないが私たち学生の中心は台中にある、私の通っている東海大学も台中にあり、キリスト系の大学として有名である。学園都市として有名であり、台中には世界から研究機関が集まってきている。日本でのつくば研究都市の拡大版だった。台中の街全体に広がる。私は寮に住んでいて学園都市からはだいぶ離れたところに住んでいたため移動には苦労した。その昔、前政権において学園都市内にBRTを通そうとする計画があったが頓挫したしたためバスでの移動を余儀なくされた。そもそもBRTが通るのが前提建てられた寮なので幾分遠い。普通のバスでも二十分ほどの移動時間がかかり、寮の前には中途半端に作られて放置されたBRTの駅があるが自動改札機は撤去され、スラム化していた。そのうえ、一ドルで大学まで行けるのでほとんどお金を使わないかと思っていたのに実際に学校に通うと三ドルもとられるので実質的な値上げだった。どうやって一ドルで通そうとしたんだろうか。疑問である。私はバスで学校の近くのバス停へ行き、そこからは桜の茂る道を歩いていく、入学生にとって桜並木はとても気分のいいものだけれど、足元はびちょびちょなのであんまり気分のいいものではない。もちろん構内は対策されていて、水が侵攻してこないようにできている。春になると台中はアクアアルタに悩まされる。どこの家も一階が水につかり、冷蔵庫や洗濯機が水に浸かるのである。そういうわけで私は寮の三階を選んだ。年々アクアアルタの水位が上がって来ていて、日常生活にも支障をきたすようになってきた。荒れているのに私は毎日長靴で学校に登校するし、研究室についたらクロックスに履き替える。学内は水が入ってこない上に暑いので、長靴でいると不快になるからだ。学校の購買に行くと突然声を掛けられる。

「ねぇ、シータ?」

私は振り返ると友達のεの声がする。εというのは渾名で、私たちはこうして記号で話し合う。

「なに?ちょっと私紙を買いにきたんだよね」

「そうなんだ。それよりデモのこと知ってる?」

誰もが話題上げるテーマだった。世界各国ではデモが発生している。アジア圏ではこの学校は平気だけれど台北あたりはひどいらしい。

「台北で人が死んだらしいよ」

「うそ?」

今までデモが起きても平和的解決を政府は求めていたため逮捕はあるものの人が死ぬことなんてなかったし、それに書き弾薬を利用することがあっても誰かに障害を与えるわけではなくて陣取り合戦のようなデモが多かった。

「ここ最近台北も危ないらしいよ。香港では安全措置法で逮捕者がたくさん出てるし」

私たちの住んでるちょっと西側にある香港という国はデモが活発な地域の一つだった。

「台北は大丈夫なの?」

「台北も荒れてみたいだけどまだましらしい」

「そうなんだ、でεはなんでここへ?」

「私はインクを買い来た。全く困ったもんだよ、だって教授はインク代出してくれないんだもん。研究費が高くついちゃって困る」

「うちも紙代だしてくれないー」

「おたがいに気をつけようね」

うんといってεとは別れた。香港のデモはひどいっていうのはアジアでは有名だったけど、人が死ぬ事態になっている国はそんなに多くない。少なくともアジア圏で知っているのは香港ぐらいである。その昔日本もデモがすごくてなんとか抗争とかいうのがあったそうだけど今は平和な国として有名である。民主政治が成り立っている日本は特段治安が良く、海外旅行なんて今はする人はいないけれど昔は人気があった。台湾では台北を中心にデモ活動が起きている。学内は安全だけど、学園都市の周辺は密かにデモの準備をしていると有名だった。新幹線も昔は十五分に二本は出ていたのに今は三十分に一本でも乗る人はいない。台中から高雄に乗る人は今でも結構いるけれど台北―台中はひどかった。しかも台北駅ではIDとの認証も行われる始末だから、乗るのにはIDを見せる必要があり、IDで管理されているからデモ隊として一度でも登録がかかると新幹線に乗ることができない。それでもバスや、盗難車で南下する人はあとを絶たずに一定数いる。デモ隊の南下が今一番の問題で、台北だけで食い止めようとしていた政府や警察が南部にまで及んでいる。それもこれも世界的に広がりつつ国家法が原因で激化の一途とたどっている。とりわけ香港では国家法の前に国家安全措置法が施行される前から大規模なデモが広がり、壊滅状態だった。旅行客は入らないことはないけど、それでも繁華街に近づくのは危険だという。国家法が成立後はデモ活動が激化し、国内に人が立ち入るのも危険だという。それと比べると武力対立はあれど台北の方がましなように感じた。人が死ぬことは基本的にはないし。台中まで下ってくるとそれこそ何か起きることはない。

学園都市はいつでも平和だった。私はバスに乗り寮から大学に通う。私は建築学科の所属なのでバス停からは少し遠い。左手に教会を見ながら真四角の建物の中に入っていく。研究室内はもっと平和で簡易ベッドで寝ている学生もいるし。教会では毎週水曜日になるとミサが行われていて半分程度の学生が参加することになる。私はキリスト教徒じゃないし、信仰もないからミサに出る必要性を感じなかった。学校には研究のために行くわけだけれど、研究は学園都市内の企業と共同研究で、企業から試験体が送られてきて試験を行うのがメインの研究だった。研究中は外界で起きていることに気を留める必要もなかったから非常に楽だった。

 少しはまともになったと思ってたけれど病弱な体質ってのは簡単には正常にはならなくて時折私は熱を出して学校を休んだ。学校を休んでいる間は家で一日中暇を持て余してしまうので、インターネットのチャットサイトを利用していた。様々なチャットサイトがあったけれども卑猥なチャットや、残酷なチャット等があった。一番健全というわけではないけれど私には一番居心地がよかった。私のことを理解してくれる人が常にいて、しかも国内のチャットが検閲の対象だから、国外サーバーのチャットサイトにつなぐことを余儀なくされた。海外チャットでもWWWは翻訳機能を備えているので英語で話せば全世界の言語に変換してくれる。WWWは学生が多くて各国の状況を読み取ることができた。ドイツでは大規模なデモが起きていて、日系企業に火炎瓶が投げ込まれて火災になっているという。しかしながらサーバーがある日本は平和で、暴動やデモなどは発生していないらしい。

 とりわけトーカと知り合ったのはここのチャットでのことだった。トーカはとても強いけれども香港の情勢は決して良いと思っていなくて、困っているらしい。毎日の買い物もできずただただ配給を待つ毎日が続いているという。

 アクアアルタが少し引いてきて、夏になった。少し遠い雲を見ながら、私は世界をみつめていた。

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WWW -World Wide War-(仮) 荘園 友希 @tomo_kunagisa

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