盗っ人

階段鯨

盗っ人

この家は昔、立派な人の家だったという。調度も美しく整っていて、和棚にほこりなど積もっているものの繊細さは失われていない。私は貧しい流れ者で、この家の非業を聞かされたが特段困った事だとも思わなかった。安賃でこれほどの家に住めるのだ。見つけものとしか思えない。

奥つき、というのだろうか。いや奥口か。何にしても薄暗く、高貴な感じがして好ましい。あのような開けっぴろげの三文宿とは違う。人にふさわしくない暮らしを強いられていた頃の私とは違う。妻子を伴ってきて本当に良かったのだ。大家は好きに使っていいと言った。荒屋になるより良いと思ったのだろう。お互い利害が一致して、こうして幸福を手に入れるのだから良い。

私は茶室にでんと寝転んで天井を見る。滑らかな杉材だろう、ぴったりとしていて漏ることも無さそうだ。そこの掛け軸はどうだ、山水画、墨絵だ。そうだ、茶室はそうでなくてはいかん。下品さがなくて大変よろしい。

この家が私の家になるのか。私は笑い、三寸ほど開いた襖の向こうの廊下を見つめた。


明治三十五年、享保に立った経世家が潰えた。当代は折から虚弱との噂で、自宅で開業医を営んでいたがついに肺を病み、僅かばかりの文物を遺して眷属に先立った。細君に凡そ貞義に勝るもの無く、常弱々しく笑ってはまた白い顔を一層白く、一筋斜めに差した日に影を切られながら庭に向いて座っていたが一人また一人と暇を受ける内にふとこれも世を去ったという。後には姉弟が残ったが、姉は家を出、弟は信州、母堂の叔母に引き取られた。大家はこの叔母の夫で、四代前の改政の折、奉公先に娘を改嫁、以来当地で富農となったと意地の悪い婆から聞いた。


結局この家は潰れ、適当に処理された。それだけの事で、だから私はここに住んでいる。ここにあるものは全て私のものだ。私は笑みを浮かべる。思えば長い。無能な父母の下に生まれ、小作として生きるしかなかったところを遁れ出てから端仕事をして食い繋いできた。蘭学だ。蘭学さえ学べばこうした屑共と肩を並べずに済むという一心で夜灯の下に心を置いてきた。世に価値があるとするならそれは学問にある。耶蘇書にもそう書いてある。私は真美を追い求めるものであり、同時に虚偽を嫌うものでもあった。蘭学さえ、と思ったのも他でもない。私に住処を取られたような没落貴族共が学問の陰で遊び呆けているのを知っているからだ。大抵耶蘇書を書いたのもこいつらに似ていたに違いない。無闇に感動し、身内で金を回し、我らに富を回さなかった……


私は生まれるべくして生まれた義賊なのだ、得るべきものは得られるために待っている。しかして真善美、それら全ても同時に私のものに相違なかった。私が流れ者であるのは摂理であり、黒々とした己の内情が私を端仕事に留めていた。私は盗む者であり、己の美を創造するものでは無かった。富んだ、という結果が欲しいのだ。「富」とは既に世にあるものであり、黄金であり、宝玉であり、土地であり、家屋であり、知恵であり、美であり、真実だった。既に世にあるものをこそ、私は欲しているのだった。世に無いものを欲するなど、不確かだ。在るものを真似る方がいい。在るものを奪う方がいい。私は私でありたくないのだった。


世に求められているものを生む経世術に従えば、愚民が大勢を占めた世で選ぶべきは二つに一つだった。一つには、愚民を統制し易いものにしておく事。道徳だった。もう一つには愚民の望みを叶える事。喧伝だった。愚民が己を見つめる事すら出来ないのであれば、何者にでもならせてやればいい。あれらは自ら価値を生まないのだから、影を真似させておけば良い。勝手に貢ぐ。そうして互いを食い合わせておいてやれば治める手間も省けるのだった。然れば僅かばかりのものだけが至る。「たとえ何者でも、成る事はできる」。


しかし私はこう思うのだ。バッタはバッタになり、鈴虫は鈴虫になる。その尊い事だ、その尊い事だと私は立ち上がり、掃除を始めることにした。売るべきものを売り払い、私のためにこの家を、使えるように変えるのだ。私に合わせて在るものを変えてやる、それが真の豊かさなのだから。そうしてこの家は次第に荒屋となり、今は形を残さない。

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盗っ人 階段鯨 @jiedanjie

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