第5話 グレゴリウス家の娘



「――――君と、陛下の婚約が決まったぞ」



 ある日、前触れなく私の部屋を訪れたコンラドゥス・ユルス・グレゴリウス卿は、開口一番にそう言った。



「・・・・そうですか」


 私は抑揚よくようなく呟く。


 グレゴリウス卿は苦笑した。


「ずいぶんと、あっさりしているな」


「あなたは、私をもう一度、皇后の候補者にするとおっしゃいました。あなたはおっしゃったことは、すべて実行する方ですから、こうなることは三年前に決まっていたことです」


「・・・・なるほど」


「どうぞ、こちらへ」


 私はグレゴリウス卿を、椅子に座るようにうながす。


 私達はテーブルを挟んで、向かいあった。



 グレゴリウス家に保護されてから三年後、私はグレゴリウス卿の知り合いの医者に顔を変えてもらい、別人になって、ローナ・ユルス・グレゴリウスとして暮らしていた。


 声は変えられないけれど、公的には、私は死んだことになっている。他人でも声が似ているという事例は数多くあるのだから、昔の知人が私に会い、声が似ていると思っても、私がイネスだと疑うことはないだろう。



「パンタシアの決まりに従い、君は結婚前の一年間、皇宮の中で過ごすことになる」



 パンタシアの皇室には、奇妙な慣習がある。



 周辺諸国では結婚してはじめて、新婦は皇室や王室に入るけれど、パンタシアでは婚約の段階で、婚約者は皇宮に入る。それから一年間を、皇宮の中で過ごすのだ。


 皇后に求められる教養を、身に付けるための、前段階だった。素質がない者は、この段階で弾かれ、婚約は無効になると聞いている。


 この儀礼を通過してようやく、結婚が本決まりとなるのだ。


 皇宮に入っても、正式に結婚するまでは、皇帝と皇后候補者はベッドを共にしない決まりだ。


 イネスだった時も、私は皇后になる前に、皇后候補者として、皇宮の中で過ごした。



 ――――きっとあの頃から、カエキリウスはルジェナと夜を過ごしていたのだろう。



 あの時の私は世間知らずだったから、侍女や閣僚の含みがある物言いから、裏の事情を察することができなかった。


 ある程度知識があれば、ただの侍女なのに、自由奔放に振舞うルジェナを見て、二人の関係に気づくことができたはずだ。



入宮いりみや式の際のドレスは、私が用意しよう。必要なものはすべて、揃えさせる。満足いくまで、吟味するといい。ドレスの色などで、注文はあるか?」


「希望することはありません。必要最低限のものが揃っていれば、十分です。ドレスも首飾りも耳飾りも、店で一番安価なものを選んでください。これからの戦いには、お金が入用いりようになるのですから、無駄遣いはできません」


「そんなわけにはいかない。将来の皇后の、晴れ舞台なのだぞ?」


「たとえ皇后に相応しいと認められ、正式に結婚することになっても、私達は一年と続かない夫婦ですよ? 国を挙げての茶番のために、高価な物を用意するなんて、豚の首に金の首飾りをかけるようなものです」


「・・・・・・・・」


 私が皇宮に入れば、カエキリウスもルジェナも私を追い出そうと動くはず。


 私ももう二度と、お飾りの皇后になるつもりはない。皇后候補者でいる間にルジェナと決着をつけ、その後に、カエキリウスとの婚約を破棄したいと考えていた。



「しかし、不思議です。皇后の席が空白になって、三年経つのに、なぜルジェナはこの三年間、皇后になれなかったのでしょうか?」


 私が廃位され、表向きには死んだことになってから、すでに三年が経過している。ルジェナ達には、いくらでも根回しできる時間があったはずだ。


 なのになぜ今も、ルジェナは愛人という地位のままなのか。


「この三年間、閣僚や他の貴族が、ルジェナが妾腹であることを建前に、二人の結婚に断固反対したからだ」


「建前ですか」


「ああ、建前だ。・・・・これ以上、ヘレボルスの影響力を強めたくないというのが本音だろう」


「・・・・三年前、私が皇后に選ばれたのも、まわりがカエキリウスとルジェナの結婚を認めなかったからですか?」


「・・・・そうだ」


 迷惑な話だと、怒りを覚えた。


 はじめから閣僚達が、カエキリウスとルジェナの結婚に反対していなければ、私が皇后に選ばれることはなかった。クレメンテ家が、あんな悲劇に巻き込まれることもなかったはずだ。


「・・・・腸が煮えくり返っていることだろう」


 できるだけ表情を動かさないようにしていたものの、グレゴリウス卿には心を読まれてしまったようだ。


「ルジェナは何をしでかすかわからん女だ。彼女も父親も、手段を選ばず、節度を知らない。まさしく傾国の美女になりうる素質を持っている。・・・・ルジェナを皇后にしないために、抵抗するしかなかった」


「・・・・・・・・」



 ――――あの悲劇を避けられたのだとしても、もしルジェナが皇后になり、ヘレボルスがパンタシアの権力を専横するような事態になっていれば、結局、悪夢がはじまっていたのかもしれない。



 閣僚達はそれを避けようとして、〝生贄〟を差し出し続けている。



「もしかしてローナ様が皇后候補者になるのが遅れたのは、ヘレボルスが反対したからですか?」


「その通りだ。皇后候補者として、ローナの名前が挙がるたびに、今度はダヴィド・ガメイラ・ヘレボルスが反対した。それでなかなか、話がまとまらなかったんだ」


「では、私が皇后候補者になったことに、ルジェナは心底怒っているでしょうね」


「はらわたが煮えくり返っているだろうな。だが、ルジェナと違い、陛下は私的な理由で、政治を混乱させることは望んでいない。まわりの反対を押し切ってまで、ルジェナとの結婚を強行することはないだろう」


「二人の間に、子供は?」


 三年間、夜をともに過ごしているのなら、二人の間にはすでに子供がいてもおかしくない。


「いない。まだ作らないだろう。ルジェナは、避妊の薬を飲んでいるようだ」


「なぜでしょう?」


「パンタシアでは、皇后が産んだ男子に、優先的に継承権が与えられる。愛人が先に男子を産んでいても、その後皇后が男子を授かれば、その子が皇太子になる。男子を産んだ後に、ルジェナが皇后の地位についたとしても、その子が皇太子として認められることはない。あくまでも、皇后が産んだ子であることが重要視されている。・・・・ルジェナは皇后になるまでは、意地でも産まないだろう」


 やはり、ルジェナが狙っているのは皇后の座だけではなく、その後にある、皇太子の母親という地位なのだろう。



 ――――彼女は、皇宮のすべてを手に入れたいのだ。



「・・・・だけど、それはこちらには好都合だと言えますね」


「君の言う通りだ。もし、陛下とルジェナの間に子ができたら、二人の結束はますます強くなり、皇宮での彼女の権力も増していたことだろう。子ができないうちは、どれだけ寵愛されていても、ルジェナは愛人の一人にすぎない」


 クレメンテやグレゴリウスの悲劇に、カエキリウスがどれだけ関与しているのかは、まだわかっていない。


 ルジェナとヘレボルスのために、積極的に悲劇を起こしたのか、それともルジェナ達に唆され、それを信じてしまっただけなのか。



 だけど私には、カエキリウスが積極的に関与していようがいまいが、どうでもいいことだった。



 ――――カエキリウスがルジェナとの結婚を望んだから、私達は政治と権力の間で板挟みにあい、悲劇に巻き込まれた。


 あの政変でヘレボルスに陥れられた人々が殺されたのも、責任の一端はカエキリウスにある。



(その責任は取ってもらう)



 心の中であの日の誓いを確かめながら、私はグレゴリウス卿を一瞥する。



 グレゴリウス卿は、静かに紅茶を飲んでいた。


 ヘレボルスに復讐する。私とグレゴリウス卿の目的は一致しているけれど、目的には多少のずれがある。


 グレゴリウス卿の目的は、自分の大切なものを奪ってきたヘレボルスを失墜させることで、カエキリウスの退位までは望んでいない。



 ――――だけど私は、カエキリウスにもいずれ皇帝の座を退いてもらうつもりでいる。


 エアニーが大人になり、皇帝としての素質を備えたのなら、彼に次の皇帝になってもらうのだ。



(でも、今は)



 黙っておこう。――――互いの目的を、達成するために。



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