第4話 悪女の誕生_後編
言葉を失い、視線を彷徨わせていると、砂場で遊ぶ子供の姿が目に飛び込んできた。
まだ幼い、男の子だ。年齢は五歳ぐらいだろうか、一人で黙々と、砂の城を築いている。
「あの子は、どこの子ですか?」
さっきの話が本当なら、この屋敷に子供はいないはずだ。
「先帝の弟、セプティムス殿下のご子息の、エアニー殿下だ。カエキリウス皇帝陛下の、甥にあたる」
息を呑み、グレゴリウス卿の横顔を見つめた。
「セプティムス殿下とその妻が、病で早世されたことは、君も知っているだろう。エアニーはヘレボルスの親族に育てられていたが、虐待の疑いがあったため、私が引き取った」
「陛下の甥なのに、虐待を?」
「エアニーは皇位継承権を持つ男子の一人だ。ヘレボルスはルジェナを皇后にして、彼女の息子を次の皇帝にしようと画策している。そんなヘレボルスにとって、エアニーの存在は一つの脅威だ」
「そんな・・・・まだ子供なのに・・・・」
「今は子供でも、すぐに成長する。そうなる前に、殺しておきたかったのだろう。すぐに実行に移さなかったのは、騒ぎにならない時期を見計らっていたからだろう」
「・・・・・・・・」
神をも恐れない、という言葉は、彼らのためにあるのかもしれないと私は思った。実際この国では、皇族は神にも等しい存在なのに、ルジェナもダヴィドもまったく恐れていない。
「――――復讐したいとは思わないか?」
不意に、グレゴリウス卿が問いかけてきた。
「復讐・・・・?」
その言葉に、甘さを感じた。
「復讐を望むのなら、私は君にその機会を与えることができる」
そう言ったグレゴリウス卿の両眼には、剣呑な光が宿っていた。
グレゴリウス卿のことを、穏やかな人だと思っていた。少なくとも顔立ちや話し方は、優しく見えたからだ。
彼も以前は、その顔立ち通りの、穏やかで優しい人だったのかもしれない。
――――でもきっと、家族を殺されたときに、変わってしまったのだろう。今の彼の内面は、顔立ちのように穏やかじゃない。
グレゴリウス卿はさっき、ディデリクスのことを復讐に燃えていると評したけれど、きっとグレゴリウス卿のほうがもっと苛烈な復讐心を持っている。
「どんな方法ですか?」
でも、そんなことはもう私には関係なかった。
家族はもういない。何もかも失った私には、できることはないと思っていた。
――――でも、グレゴリウス卿の手を借りれば、私にもできることが残っているかもしれないのだ。
希望と言えるのかわからないけれど、生きる目的が見えた気がしていた。
光を取り戻した私の目を見て、グレゴリウス卿は満足そうにうなずいた。
「・・・・実は一人だけ、私にも家族がいる。私の娘、ローナだ」
その言葉を聞いて、私は少し混乱した。
「でもさっき、天涯孤独になったとおっしゃったじゃありませんか」
「天涯孤独のようなもの、と言ったのだ。ローナは当日、体調を崩していたため、襲撃を免れた。だが事件のせいでローナは心に大きな傷を負い、世を儚んで自ら修道院に入ってしまったんだ。家族を守れなかった私を憎んでいる。・・・・おそらく二度と、私のところへは戻ってこないだろう」
「・・・・・・・・」
「皇后の座が空位となり、陛下とダヴィドはルジェナを皇后にしようと画策しているようだが、まわりが反対している。そこで対抗馬として、私の娘の名前が挙がっているんだ」
「ローナ様が、皇后候補者になると?」
「今の方向のまま話し合いが進めば、そうなるだろう。だがさっきも言った通り、ローナは戻らないし、たとえ戻ってきたとしても、皇宮に送るつもりはない。ローナは消極的で、裏工作ができない性格だ。・・・・皇宮に入れば、長くは生きられまい」
グレゴリウス卿はまっすぐ私を見る。
「――――君が復讐を望むなら、ローナ・ユルス・グレゴリウスの名前を、君に与える」
どういうことだろうと、私は首を傾げる。
「・・・・何をおっしゃっているのか、よくわかりません。私の顔は、みなが知っています」
「腕のいい医者を知っている。君の顔を変えることができるだろう。ローナは社交界が嫌いで、貴族の集まりには一度も顔を出さなかった。そのうえ、あの子の顔を知っている私の友人達は、ことごとく政変に巻き込まれ、処断されるか、国外に逃げてしまった。だから今の皇宮には、あの子の顔を知る者が一人もいない。入れ替わっても、気づかれることはないだろう」
「・・・・・・・・」
「もちろん、君が望めば、の話だが」
一度は死んだ身だ。今さら、顔を変えることには抵抗はない。
恐ろしいと感じるのは、ルジェナとの争いに負けること。目的のためならば、どんな手段も
「なぜ、私なんですか?」
「君以上に、適任者がいないと思ったからだ」
「適任? 私が?」
「私が知る女性の中で、君が一番頭の回転が速く、機転が利く。そして行動力と判断力がある。ルジェナに対抗できる女性がいるとしたら、君だけだろう」
そう言われて、驚きを隠せなかった。
「・・・・それは買い被りです。私にあったのは、身分と、実家の力だけ、それ以外には、何もなかった」
苦笑いが零れ落ちた。
「私は一度、ルジェナに負けたんですよ? たとえローナ様に成り代われたとしても、私にできることがあるとは思えません」
「それは違う」
グレゴリウス卿は強い口調で、私の言葉を否定した。
「君には力があったが、パンタシアで求められる、理想の妻の規範を重んじるあまり、本当の力を発揮できていなかった。私と同じで、敵がどれだけ残酷なのか、それを正確に把握できなかったゆえの失敗だ。彼らの非道さを思い知った今、君は本来の力を発揮できるはず」
真意を読み取るため、私はグレゴリウス卿の目をまっすぐ見つめる。
――――彼の目に、嘘はなかった。グレゴリウス卿は本当に、私に力があると思っているのだ。
「・・・・わかりました。閣下」
私は顔を上げ、グレゴリウス卿の目をまっすぐ見つめる。
「――――私が、ローナ・ユルス・グレゴリウスになります」
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