夕暮れ星の死ぬかもしれない果実

晴見 紘衣

【前編】 友達と果実と

 食べちゃだめって言ったのに、強引に食べるからもう二度と何も食べられなくなったんだ。


 ううん、ごめん。ちょっと記憶をごまかした。

 

 食べちゃだめ、なんて言わなかったね。食べないほうがいいよって控えめに忠告しただけだ。もっと強く止めてればよかった。

 

 おなかはすいてるよ。口の中だってカラカラ。果物で喉を潤したいって気持ちはわかりすぎるほどわかる。


 あの果実はリンゴみたいな見た目で、桃みたいな香りがしてて、確かにおいしそうだった。でもあれがってた木は虹色で、虹色って言ってもファンタジーな楽しい感じじゃなくて、油が七色に光って見えるときのギラギラした虹色。あんな見たこともない木に生ってるものなんて、絶対まともじゃない。食べないほうがいいよって、ちゃんと言ったのに。

 

 空腹に負けた友達は毒リンゴを食べて死にました、って。

 

 冗談じゃないよ。やめてよ。ひとりにしないでよ。

 

 委員会の集まりで遅くなったリコを待って、一緒に帰る。それがよくなかったなんて思わない。ただちょっと、おかしかったんだ。きっと運が悪かった。どっちも、たぶん何かに見放された。

 

 校舎を出たのは五時半を過ぎてからだった。薄暗かったけど、景色はまだちゃんと見えていた。


 いつもの帰り道はひとけがなかった。奇妙な空に気づいたのはリコのほうだ。大きい雲がひとつだけ、灰色と白の縞模様になって渦を巻いていた。

 

 すごい空だね、雨が降るのかな、晴れの予報じゃなかったっけ。


 そんな会話をして、リコも自分も雲にスマホを向けた。こんなに珍しい空は秘密にしないで、ここにいない人にも見せたかったから。


 地震が起きたんだ。でもよくわからない。地震だと思うけど、めまいで自分が揺れただけかもしれない。倒れそうって思って手を伸ばしたらアスファルトの地面が消えた。

 

 どう消えたかって、アスファルトから赤いウジ虫みたいなのがうじゃうじゃ湧いて覆い尽くしたんだ。

 

 一瞬で血の気が引いて、伸ばしていた手を引っ込めた。倒れずに踏みとどまった。地面も自分も揺れてなかった。赤いウジ虫はよく見たら虫じゃなくて砂だった。砂。赤いってことは錆びてるのかな。あたり一面、赤砂あかすなの大地だった。

 

 え、なに、ここどこ?

 

 リコがそう言った。訊かれてもわからない。右を見て左を見て、よろよろとその場でターンして、心拍数が上がった。

 

 どういうこと?

 

 建物がない。道路もない。自転車も車もどこにも見えないし、人も犬も猫も見当たらない。だだっぴろい赤の大地と、夕暮れのような赤い空しかなかった。

 

 変な雲、とリコが泣きそうな声を出した。

 

 赤と白の縞模様になった渦巻き雲が浮いていた。不気味だと思った。綺麗だとも思った。とりあえずスマホのカメラにおさめた。ここが電話もネットも繋がらない圏外だと気づいたのはそのときだ。

 

 どちらからともなく歩き始めた。どこに向かってるのかなんてわからない。それでも歩いた。じっとしていると怖かったから。歩調は互いに合わせていたと思う。

 

 空気が生ぬるかった。春か初夏って感じの気温だ。歩くうちに暑くなってきたからブレザーを腰に巻きつけた。

 

 どうして背負ってたバッグが消えてるんだろう。一瞬で地球が滅んだ? これ夢じゃないよね、ちょっとつねってみようか。体が浮くような感じしない? そろそろ本気で帰りたいんだけど、って話しながら歩いた。

 

 空はいつまでたっても暗くならなかった。

 

 だけどスマホで時間を確認すると、もうかれこれ二時間以上も歩いている。夏なのかな、ここ。夏でも日本ならとっくに夜空の時間だけど。

 

 スマホのバッテリーが切れたと言ってリコがイライラと溜息をついた。あの虹色の木を見つけたのはそんなときだった。

 

 遠くからでも目立った。何もない赤い大地に一本だけ背の高い木があるんだから、どうしたって目印にしてしまう。目的地にしてしまう。発見してから到着するまでさらに一時間以上かかった。

 

 木の根元には草も生えていた。いつかどこかで見たことのある雑草って感じで、それだけで安心感があった。


 枝に果実がたくさん生っていたけど、手が届くところにあるものはほとんどが欠けていた。何かにかじられたんだと思う。歯形がついていたり、ヘタしか残っていないものもあった。


 そういう状態だったから、虹色の木肌がいくら奇妙でも信じたのかもしれない。これは食べられる果物だって。

 

 形が無事なものを見つけたリコは鷲掴みにして、引っ張って、もいだ。

 

 皮は薄くてむけないらしく、表面を指で拭いてからかじりついていた。最初は慎重に、二口目からは遠慮なく。


 味はスイカに似てるよ、食べてみなよ、と薦められたけど遠慮した。虹色の木肌がどうしても不気味だった。

 

 食べ終えたリコはもうひとつ取りたいと言って木登りに挑戦しようとした。上のほうにはまだ無事なものがいっぱいあった。

 

 うわ、なにこれ、ぶよぶよしてる。

 

 幹に触れたリコがそう叫んだとき、枝と枝のあいだから何かが落ちてきた。リコの肩にぶつかって、ふんわりとした速度で足元に落下したそれは、木と同じ色をしていた。ギラギラした虹色。

 

 枝が折れたのかと思ったけど、地面を這って動いたから違うってわかった。ヘビみたいな動き。でもヘビよりもっと体がゴツゴツしていた。虹色のイボがたくさんついていたんだ。

 

 ふたり同時に悲鳴をあげて、急いでその場を離れた。足が地面でバウンドしてるみたいな奇妙な感覚があった。おかげでびっくりするくらい速く走れたけど、立ち止まって確認した地面はただの砂で、何の弾力もなかった。

 

 ねえ怖い。ここどこ? もうやだ。疲れた。帰りたい。

 

 さんざん愚痴をこぼしあったあとで、どっか休める場所を探そうと提案してみた。


 そうだね、とリコは笑った。眠くなってきたし、と。それからリコはだんだん無口になっていった。

 

 時間は夜の十一時。空の明るさに変化はなかった。

 

 洞窟みたいなところがあるといいな。もしも見つからなかったら、適当にこのへんで寝るしかないね。でもさっきみたいなやつとか、サソリとか出たらやだね。

 

 そんなことを話しかけながら歩いていたら、リコが胸を押さえてうずくまった。


 どうしたのって訊いても返事はなくて、胸をかきむしるしぐさをした。背中をさすってあげたけど苦しそうで、のたうちまわって、口から泡を吹いて、あっという間に動かなくなった。

 

 嘘でしょ。

 冗談きついって。

 だからやっぱり食べないほうがよかったんだよ。ちゃんと止めたのに。

 わけのわからないこんな場所で死ぬとかあり得ないし、ひとりにされるのもあり得ない。

 ほんと、あり得ないんだって。

 

 心臓が動いてないのを何度も何度も確認した。信じたくなかった。


 だめか、と息を吐いてリコの顔を見下ろしたら、心がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたみたいに苦しくて、手が震えて、体がふわふわ揺らいでるような気がして、力が入らなかった。

 

 瞼を閉じてあげた。リコからは異臭がしていた。


 我慢できなくなって、自分の鼻に腕を押し付けた。ごめんね、って思いながら、すこし離れたところに座り込んで、動かない友達の頭頂部を眺めた。

 

 どうしてこんなことになったんだろうって考えた。

 何が起こっているんだろうって考えた。

 どうしたらいいんだろうって、悩んだ。

 

 赤い砂の下には黒い土があった。ちょっと掘っただけで簡単に出てくる。しかも柔らかい。頑張れば穴ぐらい掘れそうだ。


 救急車も呼べない。

 ほかに人も見当たらない。

 どこに行けばいいかもわからない。

 街がない。

 たぶん日本そのものがない。

 

 何がどうなってこんな状況なのかはさっぱりわからないけど、ここは自分が知ってる日本とは違う。絶対に違う。


 こんな場所でこのまま放置なんて、そんなのってあんまりだ。

 

 リコを埋められるほどの大きな穴を素手で掘るのは簡単じゃない。わかってる。


 でも、やる。自分しかいないから。たった十六歳でどうして死んだのかを知っているのは自分だけ。葬ってあげられるのも自分だけ。だから。

  

 掘っていると土の中から虫が出てきた。びっくりして逃げ腰になったけど、あの虹色ヘビほどは怖くない。無理やり何かに例えるならテントウムシ。真っ黒で、斑点がないテントウムシだ。ただし大きさはカブトムシぐらいある。


 噛んでくるわけじゃないし、たまに見かける程度だし、怖かったのは最初だけ。だんだん慣れて、またおまえか、って思うようになった。土と一緒にかき出して、あとは知らない。

 

 疲れたら休んで、喉が渇いたなあって空を仰いで、とっくに日付は変わっているのにちっとも暗くならないことを確認して、雨が降ったら飲めるかなあ、いや、酸性雨かもしれないしやめたほうがいいかあ、って考えて、掘って、まったく動かないリコを見ては手を止めて、また掘って、家族のことを考えた。

 

 どこにいるんだろう。

 お父さん、お母さん、弟も。

 会いたい。家に帰りたい。

 何でこんな目に遭わなくちゃいけないの。

 ここ、どこなの?

 誰か助けて。

 

 手も膝も真っ黒に汚して、爪の中まで土だらけで、それでもちゃんとやり遂げた。

 

 誰もいない赤い大地に、親友のなきがらを埋めた。

  

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