音楽の町、シアル=ムジカ

 指揮棒を軽く振り上げた状態で一拍置き、開戦を表すかのように振り下ろした。そこから発生する波紋。水面に水滴を落とした時の様な波の輪が4人に襲い掛かる。ただしその波紋の見え方は各々に異なるようで、しっかりりと細見できるセシリア、何となく空気の振動を目と耳で感じることができるエルとクリアンカ。それに対して何ら違和感を感じられない、攻撃性を察知できない、波紋を目視できないオルガであったから、マリスの攻撃に対して構えることすらできなかった。オルガをエルが、セシリアをクリアンカが護衛しては波紋攻撃を遣り過ごした。4人を通過した波紋は背後で小爆発。他の3人とは違い攻撃を把握できていなかったオルガは、オッ、と振り返り、


「よく分からんが、大した威力じゃねェな。」と呟くのだった。それを聞いていたセシリアからは溜め息ひとつ。




 「よし、俺がいこう。」


「エル、ひとりでいきますか?」


「うん、ちょっとやらせてもらっていいかな。」


「それは構いませんが・・・」


「無理しないで、引くときは引きなさいよ。」


「うん、わかってる。その時は頼むよ。」率先して戦いを挑むのはエル。その心中。おそらくマリスは中距離からの波紋攻撃を主軸に戦ってくるだろう。直前の一発で見切ったとはさすがに言い切れないが決して避けきれない速度ではなかった。相手を寄せ付けないように連撃か。逆に言えば距離を詰めてしまえばこっちのもの。法術士同様、接近戦に持ち込めばこちらのものと踏んだエルは自らが適任だと考えた。


 エルがレイピアを構える。他の3人は数歩後ろに下がり意思表示。幾らか距離を置いた所でマリスもタクトを構えた。指揮者が演奏を司る直前の緊張感が一幕、時を止める。


 オルガ、セシリア、クリアンカの3人はやや遠くから黙って戦況を見守っていた。一定の距離を保ちつつタクトを振り波紋を繰り出し続けるマリスに対し、エルは攻撃を見極め回避してはいるものの間合いを詰めることができない。反撃ができぬまま地上で追いかけっこが展開されていた。追うエルに追われるマリス、けれど攻撃を仕掛けるのはマリスばかりで防戦一方のエル。波紋攻撃によって誰もいない所に小爆発や衝撃波が拵こしらえられるだけだった。埒らちがあかない、千日手かという気配が漂い始めた時、動いたのはエル。特に魔導石の力を解放したわけではない。様子見からギアを上げただけ。突然の加速でマリスの視界からエルの姿が消え、一驚を喫すると共に指揮棒が止まった。次の瞬間にはエルが間合いを詰め標的を捉えた、はずだった。しかし今度はエルの視界からマリスが消失する。エルの脳みそが思考を止めた。それでも体が反応するから戦いに身を投じてきた戦士は恐ろしい。エルの細剣を逃れたマリスが現れた場所は空中、そこから放たれた衝撃波。背後上空、死角からの波紋に対して振り返り両腕を交差させて防御したものの、ぶっ飛ばされるエル。


 テレポーテーション。




 エルの作戦に誤りはなかった。波紋による中距離攻撃に特化するマリスは接近戦に持ち込まれれば為す術なし。並以上の近接攻撃に対抗する手段を持ち合わせてはいなかった。ただし、マリスとの距離を詰めることは至難の業。理由は明白、それはマリスの特殊能力。瞬間移動。エルは自分の把握した現状を確認すべく一旦仲間の下へ引き返していった。


 「大丈夫、エル?」セシリアが傷の手当てをしようと近付いたが、エルは軽く手を挙げて遠慮の意思を示した。そもそもほとんどダメージは受けていない。代わりにちょっとした依頼をするのだった。


「ねぇ、セシリア。シャボン玉をかけて欲しいんだけど、お願いできるかな。」意外なリクエストだった。


「それは構わなけど――」


「お前ェ、空中戦でもおっ始ぱじめるつもりか?」オルガが問う。


「まさか。空に逃げられた時、追撃できたらと思って、一応さ。空中戦じゃ分が悪いし。」そう言いながらエルはくるぶしに翼を仕込んでいた。


「ゴメン、もう一度ひとりでやらせてよ。やられたまんまじゃ悔しいから。それとさ・・・マリスの最後の技って・・・」


「うん。瞬間移動だと思うわ。」セシリア。


「テレポートで間違いないと思います。」クリアンカ。


「見えん。」オルガ。


 ニカリと笑い、エルが番人マリスのところへ戻っていった。






 「あら、まだお独り様なのね。みんなに助けてもらった方が宜しいんじゃなくて。」


「ねぇ、マリス。あれって瞬間移動だろ?」


「んっ、そうよ。だからあなたがどんなに頑張っても私に触れることすらできないの。どんなに速く動けたとしてもね。」


「うーん、それは困っちゃうけど、まぁ、やってみるよ。それじゃあ、いくよ。」そう言うとエルは、会話できる距離まで縮まっていた間合いを後方に跳んで自ら広げた。


「ウフフ・・・律儀な子ね。」そう独り言を言うと、マリスも指揮棒を構えて戦闘態勢に入った。


 まず仕掛けたのはマリス。タクトを振りながら、踊るように波紋を作り出してきた。けれどもエルには当たらない。まるで準備体操ウォーミングアップでもするかのように涼しい顔でマリスの攻撃を見切るエル。その場からほとんど動くことなく、正面からの波紋攻撃ではエルを捉えることはできなかった。そんなことを行動で示したエルが反撃に出た。『朔風の足袋』が小さく翻ったかと思うと軽やかに大地を蹴りマリスに向けて駆け出した。


「なっ!」マリスの予想を遥かに超えるスピードだった。エルが何かを企んでいることは火を見るよりも明らかだったのに、まるで対応できなかった。それこそ瞬間移動でもしたのではないかと。エルが律儀な正確じゃなかったら勝負が決していたかもしれない。マリスは反射的にテレポートしていた。


 でもね、坊や。どれだけ速くても消えることはできないのよ。


 勢いよく地面を蹴って飛び出したエルの目の前からマリスが姿を消した。姿と共に気配も完全に消失し、次の瞬間戻ってくる。多くの場合は敵の視野の外、背後だったり上方だったり。それが分かっているだけでも次の動作の大きな助けとなるのだが。それともう1つ、瞬間移動した張本人も標的を見失わざるを得ない、基本的には。


 エルの突撃を瞬間移動で回避したマリスが現れたのは上空10メートルの位置。と、ほぼ同時、少なくともマリスが波紋を打ち出す間すら与えぬ内にエルは身体を反転させ、跳ね上がり、レイピアを突かんとしていた。


「冗談じゃないわ・・・」


 トュン―またマリスが消えた、故にエルの細剣が空を切った。マリスが次に現れたのは地上。このコンマ数秒の間にマリスの表情は切迫したものに変化していた。即座に空を蹴りマリスを追撃するエル。ドュンと、エルが土埃を上げて着地した時マリスは再び空へ。間髪入れずにエルが追いかける・・・


 距離を置いて戦況を見つめる3人。彼らには2人の姿を見極めることはできなかった。光の点滅が繰り返され、時折煙のようなものが発生している。どちらが優勢かも分からないし、攻撃が当たっているのかも見えていない。それほどの次元だった。






 「瞬間移動する敵が出てきたらどうするかだって。変な質問する奴だな。・・・ふむ、分かった分かった―――対抗策としては3つか。理想としては瞬間移動に瞬間移動で対抗できれば良いのだろうが、お前には無理だな、アッハッハッハ・・・そんな顔で睨むな睨むな。2つ目、コイツが一般的なんだが、相手のテレポート範囲全域に法術なり結界なりを張り巡らせる。法力や法術の特徴にもよるが、やり方次第じゃなかなか有効だぞ。ただし、こっちもエルには無理だろうな。アッハッハッハ・・」


「カイツ~、いい加減、俺にできる方法を教えてくれよ~。」


「ああ、そうだな。お前にピッタリの方法があるから安心しろ。ただその前に、テレポートにも2種類あるから、そいつから説明してやろう。」




 瞬間移動には2種類ある。ひとつは術者が消えた一瞬、術者自身の視界がゼロになるもの。つまり、術者も一瞬相手を見失うことになる。こちらは『陽』の瞬間移動と言われ、瞬間移動としてはこちら側が一般的。もうひとつは『陰』の瞬間移動。敵を視界に捉えたままテレポートすることができる。前者と後者とでは同じ瞬間移動でも天と地、月とすっぽんほどの差がある。


 マリスさん、あなたの瞬間移動が『陽』で良かった。俺にも勝機がありそうだ。






 エルは留まることなく動き回った。エルの攻防一体ともいえる突貫に対して、瞬間移動で対抗するマリス。背後をとらんとエルの後方へ。しかし視界が開けてもそこにエルはいないのだ。マリスが消えると同時に、もしかしたら消える寸刻前にエルも居場所を変える。何処へ?どこだっていいのだ、マリスの目を欺ければ。これが後者のテレポートであったならば通用しない。戦いにおいて敵を一瞬でも視界から外すことは論外。瞬間移動する側も、される側も。最速の鬼ごっこを地上で空中で繰り返すエルとマリス、その均衡が崩れてきた。くるぶしの翼としゃぼんを見事なまでに使いこなすエルが徐々に自分のペースへ持ち込んでいく。追う側と追われる側がはっきりしてきた。速き者と遅き者。そして、強き者と弱き者へと繋がっていくはずだった。エルの動き、攻撃に対して回避する為だけに繰り返される瞬間移動。マリスは防御に徹するだけ。もはや波紋攻撃は見られない。さぁ、エルがマリスを間合いに捕らえた。


 「疲れたー!ダメだ~~~。」空中でマリスの背後を完全に掌握したエルは、細剣で一撃を仕掛けるかと思われた。けれどもエルは既すんでのところで刃を止め、一声発してピューっと落下していった。唖然としたのはマリス。空に浮いたまま落ちていく細剣の戦士を見送っていた。ひと突きしようと思えば突けたろうに。


 エルが地上に落っこちて、息を切らせながら座り込むとしゃぼんと翼が消え去った。オルガ、セシリア、クリアンカがゆっくりと歩み寄る。


「ハァ、ハァ・・・ゴメン・・・ちょっと体力がもたないや・・・」どうにか言葉にするとエルは大の字で倒れ込んだ。


「なかなかおもしれェもんを見せてもらったぜ。大したもんだ。まぁ、俺にはほとんど見えてなかったんだがよ。」一同から笑いが起こり、息が上がっているんだからあんまり笑わせないでくれと文句も出された。マリスはその様子をじっと見つめていた。


 クトリ・・・あまり聞きなれないかつ、ほとんど聞き取れない小さな音。けれど聞き慣れない故に各人の耳に大きく響いたのかもしれない。三人がひとりの人物に刮目した。


「次は私が行きましょう。私の戦い方をお見せします。」クリアンカが大きな鎌を構え、石版の番人が待つ空へと昇っていった。




 中間距離というのだろうか。マリスとクリアンカは随分離れて対峙していた。マリスの攻撃は届くだろうが、といった所。タクトを振り上げるマリスに、サイズを構えるクリアンカ。遠くから見守る3人には見慣れない距離感だった。クリアンカは雷属性の法術で仕掛けるのだろうか、とても鎌では攻撃が届かない。そうこうしている内に火蓋が切って落とされた。


「そのままでいいのかしら、リリトの坊や。いくわよ。」にこやかに宣言したマリスのタクトから波紋が繰り出された。対するクリアンカに法術を唱える気振けぶりは見られない。眼鏡に触れない。


「鎌が伸びるんじゃねェか。」


「刃の部分が飛んでいくんじゃないかな。」


「馬鹿なこと言ってないで、黙って見てなさい。」全くセシリアも大変である。


 そんな会話を余所に、クリアンカの鎌が黄金こがね色に輝きだした。そして、


「雷紋。」落ち着いた声色とともにサイズを振ると、鎌と同色弧線が放たれた。クリアンカはマリスの波紋に狙いを定めた。マリスの波紋とクリアンカの雷紋がぶつかり、各々がきれいに相殺された。ここから中距離を保った攻防が展開される。




 波紋vs雷紋。まずはその威力。力比べでもするかのようにぶつかっては消えていく二種の中距離攻撃は互いに引かず、押せもせず。共に生まれては消えていく。生み出されては消されていった。これを見る限り威力といった面ではほぼ互角と言える。しかし次第に衝突位置が、徐々にけれども確実に、クリアンカの側へ寄っていった。押しているのはマリス。威力ではなく速度において均衡が崩れ始めた。ただし波紋と雷紋自体のスピードではない。技の発生速度。見た目通り至極当たり前のこと、指揮棒と大鎌の重量、そして大きさ、扱い易さの違いだった。段違いに小振りなタクトが波に乗る。テンポが上がり、呼応して波紋にも勢いが出てきた。クリアンカも大鎌を振り続けるも追いつかない。両者の優劣は2人の表情を見ても明らかだった。眼鏡の奥で鈍く瞳を光らせて鎌を降るクリアンカと、笑みを浮かべて舞うかの如くタクトを滑らせるマリス。


「鎌は重いでしょうに――」距離の攻防戦を制したマリス、対して武器の回転数に劣るクリアンカは今いる位置からさらに上空へと退避した。




 見上げるマリスと見下ろすクリアンカ。けれどもその境地はまるで逆だった。退かせたマリスと立ち退いたクリアンカ。2人の表情も対照的。


「鎌を下に向けて振り下ろすことで重さのハンディを減らそうというのかしら、リリトの坊や。もう、あなたにはそれしか選択肢が残っていないのかしら?」


 クリアンカが先刻同様に雷紋を繰り出し始めた。マリスも黙って応戦する。上方から下方に鎌を振り下ろして重力を力に変えられる分、多少は振りが速くなっただろうか。それでもやはりというべきか、波紋と雷紋の差、タクトとサイズの差が埋まることはなかった。各々の武器がひと振りされる毎に繰り出される波紋と雷紋。その発生速度の差が縮まるはずはなかった。




 「十重とえ雷紋。」声が少しだけ大きくなっていただろうか。大鎌の一振りで二つの雷紋、三つの雷紋、四つ、五つ、六つ目・・・クリアンカが意図したわけではないが結果として嵌はめられたマリス。リリトの坊やは逃げ惑っていたのではなかった。


「役者ね、ムカつくわ。」爆発的に増殖した雷紋に対してマリスも波紋をぶつけるが、如何せん数が多すぎた。三つ、四つは掻き消せても二つ三つの雷紋が襲いかかってくる。身を翻して遣り過ごしながらどうにか反撃を試みるも、波紋と雷紋の数の差は鎌が一振りされる度に倍加していった。そしてとうとう、応対しきれなくなったマリスはテレポートによって距離をとらざるを得なくなった。


「憎たらしいわねでもこれで勝ったと思わないでよ。」しかめっ面で吐き捨ててマリスは地上へ移動した。


「別に鎌が重いから上空へ飛行したわけではありません。姫へのお膳立てといった所でしょうか。悪く思わないで下さいね、石版の番人さん。」


 マリスのテレポート先には既に、セシリアによって結界の網が張り巡らされていた。




 「炎氷硝煙えんぴょうしょうえん。」


 マリスが地上に現れた途端にその一面を霧と見紛う細かな煙が覆い尽くした。モクモクといった印象は無し。さっと広がり気が付けば煙幕が張り巡らされていた。


「これは・・・?」そう思ったのは合成法術に包まれたマリスだけではなく、エルもオルガもクリアンカも見たことのない奇怪な法術。標的を攻撃するような法術ではない。攻撃力はゼロと言えよう。合成法術『炎氷消炎』とは視界を奪い、嗅覚を奪い、聴覚を奪い、法力を奪う。故にマリスの瞬間移動という特殊能力が一時無効化された。だから、クリアンカの猛攻から地上に逃れた直後不可解な煙に囲まれたマリスが咄嗟にとったテレポートは発動されなかった。先の感想はその時に漏れたものだった。その一言すらもぶっ飛ばす一撃が戦いを終わらせるのだった。




 煙が蔓延するのに要した時間は一瞬だったが、消え去るのに費やされた時もまたごく僅かなものだった。まずは衝撃波、髪が一方に強く流れる程の風が吹き抜けたかと思うとムォンという低音の爆発音と共に煙幕が晴れた。空に立つクリアンカも、煙を起こしたセシリアも、その煙に包まれたマリスも展開の早い出来事に驚きを隠せなかったが、座り込んだエルだけは一部始終を見逃さなかった。


「決まりだ。」大の字から上半身を起こした状態で呟いたエルだけはオルガから注意を逸らさなかった。煙だけに意識を奪われなかった。まるで意味不明、不可解な煙幕の中に独り後込しりごむ事無く突っ込んで、番人の目の前に大剣を突き付けたオルガ。


「決まり、だろ?」


「そうね・・・」




 煙が霧散した。オルガの何でもない突撃を躱すとか波紋を放つとか、そんな選択が頭を過ぎるまもなく大剣の戦士が眼前にいた。これが彼らの作戦だったのだろうか。いや、彼らの驚いた表情から察するに違うだろう。合成法術によって生み出された謎の煙に逡巡することなく駆け込んできた。姿はおろか気配すら掻き消してしまう煙だから、私の姿は法術が発動される前の位置を記憶していたよう。最もそこに突撃できる奴を無謀、無鉄砲の馬鹿野郎というのだが。敗北を認めるしかあるまいて。






 鼎かなえの沸くが如し、とでも言うのだろうか。でも、騒がしいだけでなく、賑やかさのおかげで一晩、魔界や竜族から心を引き離すことができた。皆が旅立ちを支えてくれているようだった。石版を受け取ったその日の夜、マリスの酒場で美味しい食事と酒をご馳走になった。4人は特等席、すなわちカウンター席へと誘われ、その他大勢は後ろの方で底抜け騒ぎをしていた。随所にラルホーの声も聞こえた。


 翌日マリスに案内された場所にはもはや見慣れた?転送装置が現れた。次なる番人の居場所に転送してくれるというのは大変有難いのだが、なぜか先頭を歩いているのはマリスと、魔導石店のドワーフだった。旅の無事を祈って門外不出の魔導石を、などということは一切なく、単なる見送りだけだった。昨日の酒が随分と残っているようで(というより朝まで飲んでいたようなのだが)、真っ赤な顔してラルホーと叫んでいるだけだった。商店の並ぶ殷賑いんしんな通りから離れ、落莫らくばくとした区域へ。とある小屋には特に隠されることもなく、転送装置が設置されていた。




 「忘れ物はないかしら。気を付けてね。」そう言うマリスはまるで母親のようだった。そういえば4人に母親の記憶はない。だから余計に響いたのだろうか。そのギャップにみ呂い雨を感じたのだろうか。戦いの時とは違って円かな笑顔、酒場の女主人の時とは違って高すぎるテンションも酔いも抜けていた。


「マリス、次の石版の在り処は――」セシリアの質問に対してマリスは神妙な面持ちで答えた。


「気を付けなさい。貴方達の送り先は『絶望の町』。恐ろしく気分の悪い所。できることなら行かせたくないのだけれど、仕方ないわね。」


「気分の悪い町、とおっしゃいますと・・・」クリアンカも気になった様子だ。


「あまり口に出して説明したくはないの、という感じで濁さしてもらおうかしら。」


「ラルホー・・・」若干シリアスな話をしていたからだろうか、ドワーフの口癖なのか挨拶なのか、聞き飽きたセリフが聴き慣れぬ低い音域で割り込んできた。マリスも含めて皆がドワーフに注目する。そこに立っていたのは初めて真面目な表情を見せるドワーフだった。


「たとえ何が起ころうとも、心を無くしてはならん。心を失っては絶対にいかんぞ。」聞き慣れたらるホーのトーンとは真逆、静かで重くて慎重で抜け目のない発言に視線が集う。どこか悲しく寂しい目をしたドワーフ。


「音楽はいいぞ」。自分の手を離れた心すらも執り成してくれる。耳を塞がなければ音色だけは決して裏切らない。


出し抜けに訳のわからないことを言い出したドワーフに、マリスも含めた全員が戸惑ってしまった。お構いなしに話を発展させるドワーフ。


「感情をなくしてはならん。何が起ころうとも、心だけは――その為の音楽、その為のシアル=ムジカである。」


「えっと・・・あの、その・・・えっ?」エルを始め、誰も言葉が出てこなかった。この時はまだエルもオルガも、セシリアもクリアンカも、ドワーフの意図を、真意を理解できずにいた。それ明けの局面を経験したことがなかったから。まだまだ青二才ということなのだろう。


 転送装置で次なる町、『デス=ポワール』へ送られた4人。


「心を亡くすなよ。たとえ仲間が消えたとしても。自分だけでも逃げて逃げて、生き延びろ。」




                  【音楽の町、シアル=ムジカ 終】

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